ルカによる福音書18章9~14節
罪人のわたしを憐れんでください
このイエス様のたとえ話は、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々」に向けて語られているということです。たとえ話に登場している人物は、ファリサイ派の人なので、その代表として彼らが取り上げられたということでしょう。ただし、自分は正しい人間だと思っているのは、私たちもそうなのでして、決してファリサイ派ばかりではありませ . . . 本文を読む
ルカによる福音書16章1~13節
不正にまみれた富で友達を作りなさい
この難解なたとえ話を理解するにあたり、14節の「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った」というところと、19節からの金持ちとラザロのたとえ話を考えることが、そのヒントになるかと思われます。
このたとえ話の発端は、この管理人が、主人の財産を無駄使いしていると告げ口をする者があったというところ . . . 本文を読む
ルカによる福音書16章1~13節
不正にまみれた富で友達を作りなさい
この難解なたとえ話を理解するにあたり、14節の「金に執着するファリサイ派の人々が、この一部始終を聞いて、イエスをあざ笑った」というところと、19節からの金持ちとラザロのたとえ話を考えることが、そのヒントになるかと思われます。
このたとえ話の発端は、この管理人が、主人の財産を無駄使いしていると告げ口をする者があったというところ . . . 本文を読む
ルカによる福音書15章11~32節
罪と救い
放蕩息子のたとえ話は、人が罪に陥っていくときの過程や罪そのものについて、また、神様の愛と赦しについて教えています。
そもそもこのたとえ話は、イエス様のところに徴税人や罪人(罪人とは律法を守らない、守るにも、そうできない厳しい生活の状況を抱えている人々)がやってきて、イエス様がそれらの人々を迎え入れ、一緒に食事をしているというありさまをファリサイ派の . . . 本文を読む
ルカによる福音書10章25~37節
教会-イエス様の教えを生きる群れ
律法に生きようとする人は、それを実行しなければなりません。ファリサイ派とまでは言わなくても、律法を研究している者たちは、それをいかに実行するかにも関心があったと思います。
私たちは律法に生きようとは思いませんが、イエス様の教えには従いたいと思います。
今日の招詞ですが、ルカによる福音書の6章46節から49節です。「わたしを主 . . . 本文を読む
ルカによる福音書6章17~26節
幸いを宣言されるお方
そのことを誰が言うかで、話の内容を素直に聞くこともできるし、できないということにもなります。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる」と、その国で最高に富んでいる者がいて、毎日贅沢に暮らし、おいしい物を食べている人が、おまけに誰にもその富を分けようともしないでいる者が、 . . . 本文を読む