創世記2章4~17節
大地に仕え、大地を守る人間の使命
「主なる神が地と天を造られたとき、地上にはまだ、野の木も、野の草も生えていなかった」のです。その理由は、「主なる神が地上に雨をお送りにならなかったから」です。しかし、それだけではありません。「土を耕す人もいなかった」からでした。岩波の月本昭男訳では、「神ヤハウェが地と天を造った日、地にはまだ野のいかなる潅木もなく、野のいかなる草も萌え出 . . . 本文を読む
創世記9章8~17節
虹は永遠の契約のしるし
「主は地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」のでした。(6:5~6)。同じような箇所が6:11~12にもあり、「この地は神の前に堕落し、不法に満ちていた。神は地をご覧になった。見よ、それは堕落し、すべて肉なる者はこの地で堕落の道を歩んでいた」とあります。こう . . . 本文を読む
創世記2章18~25節
互いが助け手
「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」。そのように神様は考えられました。園で生活する様子を見ていて、神様は、人間は、ひとりで生活することはいいことなのだとは、お考えになられなかったのです。それで、彼に合う、合うというのは、ふわさしい、彼にぴったりとくる、そういう助け手を与えようと考えられました。そして、同時に合うという言葉は、 . . . 本文を読む
創世記1:24~2:4
神のかたどって創造された人間
聖書は、創世記の天地創造に始まります。そして、黙示録の新しい天と新しい地の完成で終わります。創世記は、聖書全体の、神様がこの世界を救うという宇宙的な規模の物語の始まりを描いています。そして同時に、聖書全体が示そうとしているテーマのいくつかを描いています。例えば、神様の存在、主である神様、人間とは何か、なぜ、人間には悩みや悲しみがあるの . . . 本文を読む
マタイ28章1~10節
キリストは復活なさった
私たちにとって、イエス・キリストの復活が果たして真実に起こったのか、どうか、という問題を科学的に実証しようとする人がときにおりますが、それはまったく意味のないことです。これこそ、まさに、信仰の事柄だからです。しかしながら、そうは言うものの、マタイによる福音書では、イエス様の復活が、まさしく真実に起こったのだと強力に主張してはばからないので . . . 本文を読む
マタイ福音書27章45~56節
罪なきお方の十字架
イエス様は、十字架につけられました。罪状書きには、「これはユダヤ人の王である」と書かれていました。この罪状書きには、ローマ帝国の総督ピラトのユダヤ人たちへ向けられた皮肉が込められていました。ピラトは、イエス様が、自分のことを王などと考えているようすを認めることはできませんでした。もし、そうなら、ローマへの反逆罪となります。
ピラトは . . . 本文を読む
マタイ26章1~16節
記念として語り伝えられる人
マタイでは、「これらの言葉をすべて語り終えると」とありますように、すべて語り終えた、つまり、イエス様は教えるべき言葉をすべて語り尽くされたということを表しています。そして、いよいよ、十字架の道行きが始まるのです。そのときに弟子たちに言われたのでした。「あなたがたも知っているとおり、二日後は過越祭である。人の子は、十字架につけられるために . . . 本文を読む
マタイ24章1~14節
最後まで耐え忍ぶ者は救われる
当時の建物の中で、ヘロデ王の建てた神殿は、絶対的な建物でした。普通の人々の建物が、おそらく日干し煉瓦のようなもので建てた粗末なものであった時代に、神殿は、永久的な姿をイメージさせていたのではないでしょうか。美しく、堅固で、一つ一つの石も大きく、土台のしっかりとした壮大なものだったのでしょう。この建物に弟子たちは、目を見張ったことでしょ . . . 本文を読む
マタイ19:16~30
金持ちの青年の悲しみ
青年時代には、人の一生の中でも特に、真実なもの、美しいものを求めて生きようとする、或いは、理想に燃えて生きようとする、そういう傾向がありはしないでしょうか。この青年もまた、そうした青年期特有の人生の時期を迎えていました。彼は、永遠の命を得たいと願っていました。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と、青年はイ . . . 本文を読む
マタイ16:13~20
教会の始まり
フィリポ・カイサリアは、ヘロデ大王の子フィリッポスが、皇帝アウグストウスを称えて(ご機嫌をとったということ)紀元前2世紀頃に再建し、自らの領地の首都としたヘレニズム的都市だったといいます。ガリラヤ湖の北西約40キロメートル、ヘルモン山の南側の麓に位置した今でいうところのリゾート地のような風光明媚なところだったそうです。
お話は、イエス様一行が、 . . . 本文を読む