平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2017年5月28日 救いはあまねく行き届く

2018-02-21 17:22:24 | 2017年
ローマの信徒への手紙11章11〜24節
救いはあまねく行き届く

 パウロは、異邦人伝道に自分は召されたと信じています。そして、その召命観に従って、宣教活動を展開しました。しかし、パウロは、かつてキリスト者たちを迫害していたユダヤ人の一人であったという自覚を持っています。ユダヤ人の救いはいったいどうなるのか、という問いは、おそらく復活のイエス様と出会ったあとも、否、出会ったあとは別の形で、頭から離れることはなかったと思われます。
 実際、ローマにいる異邦人でキリスト者になった者たちのなかには、おごり高ぶる者がいて、ユダヤ人への軽蔑を露骨に口にする者たちもいることを耳にしたのでしょう。また、コリントの教会がそうであったように、異邦人でキリスト者になった者と、その地方に離散していたユダヤ人であったけれどもキリスト者に改宗した者など、同じキリスト者でも、それぞれ両者の間で、気持の行き違いがあったことは想像に難くありません。それで、パウロは、そのことについてここではっきりとユダヤ人たちへの救いについての自分の考えを述べることにしたのでした。
 まず、ユダヤ人たちの罪(イエス様を十字架においやったこと、また、イエス様が十字架にかかり三日目によみがえるという形で、救い主となられたことを信じようとしない罪)、によって、異邦人に救いがもたらされる結果になったけれど、それはユダヤ人にねたみを起こさせるためだったというのです。
 つまり、救いを約束された選ばれた民族としてのユダヤ人が救いに与ることにならず、かえって、これまで真の神様を信じようとしなかった異邦人に救いがもたらされることになったということです。自分たちがある意味では、十字架につけたキリストが、ユダヤ人に限定されていたはずの救いを全人類のための救い主となられ、そのとおりにイエス・キリストを信じて救いに与ったという異邦人たちが増えてきたということです。
 ですから、そのユダヤ人たちの罪がかえって世の人々にとっては富となり、ユダヤ人たちの失敗が異邦人たちの富になっているのです。そして、こうして、次の段階では、それによってねたみを感じたユダヤ人たちが皆救いにあずかるように導かれていくのです。そう考えると、それはどんなにかすばらしいことでしょうか、と言います。それは、どのような道筋でそのようになるのか、それについて、さらにもう少し考えてみます。
 パウロは、自分は異邦人に使命があると言います。それで、自分の務めを光栄に思っています。その理由は、自分のやっていることは、何とかして自分の同胞(ユダヤ人)にねがみを起こさせ、そのことがユダヤ人たちの幾人かでも救くうことになり、そのような仕事を自分は神様からいただいたからだというのです。
 パウロには、異邦人伝道に力を注ぐことは、ひいてはユダヤ人たちの救いになるのだといった確信のなかにありました。それは、パウロの伝道によって異邦人が神様との和解に入れば入るほど、つまずいたユダヤ人がねたみを起こし、奮起して自分もまたイエス様の救いを受け入れるといった出来事が起こるという確信でした。ですから、安心してパウロは、同胞のユダヤ人ではなく、異邦人への伝道に励むことができたのでした。
 また、異邦人が救われたことについて、接ぎ木のことを例にとって説明しています。それは、ある枝が折り取られ、野生のオリーブである異邦人が、その代りに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになったという話です。これはどういうことかと言えば、キリストにつまずいたユダヤ人は、「不信仰」のゆえに神様の民から切り離され、それまで神様の民に縁のなかった異邦人が「信仰」ゆえに神様の民に加えられたという話です。ですから、切り取られたのは、ユダヤ人たち、しかし、ユダヤ人たちがつらなっていたのは、真の神様であるオリーブの樹、その真の神様であるオリーブの樹に接ぎ木されたのは、野生のオリーブであった異邦人たちだったというのです。
 そして、神様の民に属するかどうかは、民族によってではなく、信仰によって決まると主張します。ただ、これらのことは神様の慈しみの不思議な働きなのであって、決して異邦人キリスト者がそれで誇り、高ぶることはできません。彼らに何らかの誇るべき優れたものがあったからということではありませんでした。異邦人は、ユダヤ人たちよりも、イエスという救い主を受け入れたということでした。しかし、先のような順番で、いつかはあまねく救いの出来事は全世界に行き届くことになります。
 ユダヤ人という民族から始まった救いの出来事は、彼らの罪(つまり、イエス様を十字架においやり、イエス様を救い主として認めようとはしなかった罪)のために途中で断たれたかに見えたけれども、それで、その救いの出来事は異邦人に受け入れられていった、その結果、大勢の接ぎ木された異邦人はキリスト者となり、ユダヤ人はむしろ救いから断たれた者たちとなってしまったかに見えました。
 それは、ふるくから真のオリーブの樹につながっていた枝であったユダヤ人たちの枝が折り取られて、野生のオリーブである異邦人が、その代わりに接ぎ木されたようなものでした。しかし、真のオリーブの樹から切り離された枝としてのユダヤ人たちも、悔い改め、不信仰にとどまらないならば、こうしたユダヤ人たちを再び、神様は、ご自身に接ぎ木され、神様という深い根から、豊かな養分を受けとることになるのです。
 私は、ローマの信徒への手紙の8章の28節のパウロの言葉、「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、私たちは知っています」を想い起こします。
 イスラエルの歴史で言えば、ユダヤ人たちは、イエス様を救い主として受け入れることを拒否したがゆえに、救いの木から枝が切り取られてしまいました。しかし、それがために、異邦人に福音の宣教は広がっていきました。それは、ユダヤ人という一つの民族を超えて、全世界に広がることを可能としました。一見、ユダ人は神様の裁きのなかで、救いから断たれたかに見えたけれども、そうではなく、残されたユダヤ人が再び真の樹に接ぎ木され、そして、ついには、ユダヤ人全体にまで、この救いの出来事は広がっていくという話なのです。
 11章の15節「もし彼ら(ユダヤ人たち)の捨てられることが、世界の和解となるならば、彼らが受け入れられることは、死者の中からの命ではなくて何でしょうか」と、パウロはユダヤ人たちが捨てられ、再び受け入れられることをイエス様の十字架と復活に少し重ねて考えています。また、16節「麦の初穂が聖なるものであれば、練り粉全体もそうであり、根が聖なるものであれば、枝もそうです」と、ここでの麦の初穂と根というものが、何を指しているかですが、これは、折り取られたユダヤ人たち、切り倒されたユダヤ人たちの残りのユダヤ人たちという理解が一つにはあるようです。イスラエル全体は、その残りの者の信仰ゆえに、清いのである、清い者となるのだということです。
 パウロは、一方では、イエス様を受け入れようとしないユダヤ人たちのことを折り取られたと理解しながら、しかし、それがあったからこそ、異邦人へも福音が広がることとなり、また、それだけにとどまらないで、残されたユダヤ人たちにねたみを起こすこととなり、ひいては、ユダヤ人すべての救いへと戻ってくることになる、そのようなことをイメージしておりました。
 翻って、今に生きる私たちも、自分たちの身の回りで起こっている出来事を振り返ってみたいと思います。否、このようなことは随所に見られるのではないでしょうか。一見、それは不幸に見える、一見、それは絶たれたかに見える、一見、それは裁きにでもあったように見える、一見、それは失われたかに見える、一見、失敗したかに見える、しかし、そこには、万事を益とされる神様のご計画があって、実は、もっともっと豊かになるために、神様はそのような一見ネガティブ(否定的)な道を備えられた、手順を踏まえられたということです。
 それは、多くの方々が経験されたことではないでしょうか。万事を益とされる神様の御業です。
 このパウロの考えでは、神様の救いが異邦人へと移ってしまったかに見える状態に対して、ユダヤ人たちはねたみという否定的な人間の心理状態になってしまい、そのことが、逆に、彼らを発奮させることになって、ついには、彼らがイエス・キリストにある救いに導き入れられることになるという理解ですが、それと同じようなことが私たちの人生にもいくつでもあったことを私たちは知っているのではないでしょうか。
 パウロが、キリスト者たちを捕えよう、迫害しようとして、ダマスコに息をはずませながら旅していたとき、そのときの彼の姿には、意気揚々として、少しの迷いもない正義を行使しているつもりになっているパウロなのですが、それが、復活のイエス様に出会って、しばらく目が見えなくなります。
 しかし、この目が見えなくなったがゆえに、パウロは、いろいろなことを考えなければならなくなったわけです。もちろん、パウロにしか聞こえない神様の御声があったことを私たちは聖書から知らされていますが、目が見えなくなるということは一見、これはこれまで自分がキリスト者たちに行っていた迫害という罪に対する神様からの罰と一瞬理解されたことでしょうから、彼は、随分と落ち込んだはずなのです。
 このパウロが体験した出来事は、一見、神様にユダヤ人である自分こそしっかりとつながり正しい者としての自負があったことでしょうから、それが、まさに折り取られるという体験をしたのでした。
 そして、ひょっとしたら、迫害を執拗にしていたパウロこそが実は、救に与り喜んでいるキリスト者たちにねたみをおぼえる者であった可能性もなきにしもあらずです。しかし、聖書には、そのような自分の内面について、パウロが、書いてある箇所はありませんので、あくまでも私の憶測でしかありませんが。
 私はキリスト者になって、いくつも、自分の人生に起こった否定的な出来事が、自分の救いへつながったという証しを聞いてまいりました。それは、ある出来事がねたみというこれまた否定的な感情を誘発し、それが救いに至る動機になったというお話は、聞いたことはありませんが、その出来事がねたみというものではないけれど、何らかの否定的な感情を誘発したという点では同じであったのではないでしょうか。
 高校生の1年のときにバプテスマを受けた自分の場合は、そのようなものはありませんでしたが、しかし、人生の歩みをするなかでは、幾度もありました。つまり、私がこのようなことを成すために、或いは、教会がこのようなところに至るために、神様は、一見、当時ネガティブ、否定的と思われることをなされたのではないか、ということです。
 私は、鹿児島で就職がうまくいかなかったことで、福岡にでてくることになり、そして、教員を10年勤めた後に牧師としての召命観が与えられました。教員をしなかったら、与えられなかった召命観であったかもしれません。そして、造ったばかりだった家を売ったことで、借金がなくなりましたが、蓄えもなくなりました。しかし、それで、神様にのみより頼む姿勢を教えられました。
 前任地では、信徒も少なく教会がどのようなところかを知っている人がほとんどおらずに苦労しましたが、しかし、かえって、いろいろな形態の伝道のあり方を試みることができました。
 大名のこともそうです。大切な手続きに不備があり、どうなるかなと思いましたが、それによって、規則などがしっかりとしたもので整えられることになりました。ヴィジョンの共有を急ぐあまり、大きな混乱を招いてしまいましたが、しかし、その混乱があった結果、抱えている課題や問題が鮮明となり、それ以降は、時間をかけて少しずつ、それらのいろいろな課題や問題を解決していこうという姿勢が私自身のなかにも生まれました。
 この平尾の建物を1994年に新築したことで、多額の借金を負うことになりましたが、それがあるために、それぞれが教会に対して、特に、当時の信徒の方々はそうなのですが、色々な観点で責任を負う姿勢を誰よりも強くもたれています。これはバプテストに限らずよく言われることですが、教会が分裂することさえ、当初は、それは大きな痛みを伴うことにもなりますが、そのようなことで、実は教会は歴史的には増えてきたという側面をもっている、ということです。
 そういうわけで、私、私たちは、「神様のご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働く」と言われる、神様のお力を信じることができます。
 神様の福音が行きわたるための神様の思いもよらぬやり方を今日は、知ることができました。それは、とても逆説的なものでもあります。壮大なご計画のなかで、福音は行きわたり、いつの日か、必ずや全世界のすみずみまで行きわたることになるのでしょう。たとえ、災いとおもえるものも、神様のなかでは、すべてがよき道へ進めるための手立て、ご計画であります。否、そう信じて、宣教の業に今日も努めてまいりましょう。


平良 師

最新の画像もっと見る