会堂記念日礼拝
ヨハネの黙示録1章9節~20節
わたしは最初の者にして最後の者
このヨハネの黙示録のような黙示文学は、自由にものの言えない時代に、それでも言わねばならないことがあって、それを何とか表現しようとして、このような怪獣やちょっと何かよくわからないものを用いて、それを試みているのです。ようするに、比喩をとおして現実の切羽詰まった状況を表現しようとしているのです。
何かのメッセージを伝え . . . 本文を読む
ヨハネ11章28~44節
イエスと共に食事の席に
まず、今日は、信教の自由をおぼえての礼拝ですから、そのことについて、さきほど、T兄弟から、靖国神社のことについては、お話がありましたが、私からも少しお話をさせていただきたいと思います。バプテストが大切にしている特徴の一つに、信教の自由、政教分離の原則というものがあります。これは、イギリスで発生したバプテストの先達たちが、権力によって弾圧を受けたと . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書7章1~13節、37~39節
渇いている人はわたしのところに
この聖書の箇所は、もちろんイエス様が公生涯を歩み始めて「ときは、ユダヤ人の仮庵祭が近づいていた」という時期のお話です。「イエスはガリラヤを巡っておられた。ユダヤ人が殺そうとねらっていたので、ユダヤを巡ろうとは思われなかった」とあります。それは、この出来事の前に、ユダヤ人のこの仮庵祭とは違う祭のときに、イエス様は、エル . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書6章1節~15節
わたしが命のパンである
イエス様が、5千人もの成人男性に給食された話は、4つの福音書に載っています。毎回言いますように、当時のユダヤ社会では、人の数には、成人した男性だけしか入りませんでしたから、このとき、5000人という数は成人した男性だけで、群衆の中にはこれに子どもや女性も当然いたでしょうから、彼らを加えるともっと多い人数だったと言えます。
ただし、ヨハ . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書2章1~11節
最初のしるしの場所
ヨハネによる福音書によれば、イエス様のなさった最初のしるしは、婚礼の宴会の場で、水をぶどう酒に変えた奇跡でした。これは、ガリラヤのカナという村でなされました。これは、イエス様がある人の婚礼に弟子たちと共に招かれたときのことでした。このとき、母マリアはその宴会の手伝いを頼まれて、イエス様たちよりも、一足先に来ていたものと思われます。
そして、 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書3章1節~16節
人は新たに生まれなければ
ニコデモは、ファリサイ派に属するユダヤの最高議会の議員でした。ですから、ユダヤ当局の中枢にいた人物の一人であったと考えられます。ある夜、彼は、イエス様を訪ねました。夜だったというのですから、イエス様を敵視していたファリサイ派に属していたということもあり、人眼につくのを避けた、仲間たちに見られるのを避けたのでしょう。しかし、彼は、イエス . . . 本文を読む
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ルカによる福音書2章1節~20節
恐れるな
恐れは、誰にもあります。現在、恐れと不安の中にいます、とお答えになる方がこの中にどれくらいおられるでしょうか。私たちの日常には、平和な生活を脅かす多くの事件や事故があります。また、近年の自然災害も脅威です。地震や集中豪雨、竜巻、台風など大きな自然災害の脅威にさらされています。原発の問題も、もう無視のできない大きな脅威となってきま . . . 本文を読む