ヨハネによる福音書20章19節~29節
信じて生きる者に
私たちの人生には、不安や苦難は必ずといっていいほどやってきます。できれば、そのような機会は少なく、期間も短いことを祈ります。しかし、神様はそのような機会にこそ、イエス様との真の出会いを用意されています。そういった意味では、不安や苦難のときはキリストへの招きの時であり、人生のかけがえのないときであるかもしれません。弟子たちは、イエス様に出会 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書13章1節~15節
模範を示されたイエス様
このイエス様が弟子たちの足を洗われたという洗足の行為は、後々までも人々に語り継がれていったことでしょう。とても美しい、そして、とてもわかりやすいお話です。ですから、聖書にも収められている、そう思います。当時は、通常、足を洗うという行為は、奴隷の仕事でした。人々は、外出から帰ってくると足を洗う習慣があったようで、金持ちたちは、その足を洗 . . . 本文を読む
ヨハネによる福音書10章7節~18節
囲いに入っていないほかの羊も
イエス様は、ヨハネによる福音書の中で、ご自身のことをいろいろなたとえを用いて表現されました。いのちのパン、世の光、まことのぶどうの木、などです。ここではまず「私は羊の門である」と言われています。私を通って入る者は救われるとありますから、イエス様は救いへと至る門ということになります。羊は神様の創造された人間です。羊は、この門を出入 . . . 本文を読む
ヨブ記42章1節~6節
神の義
ヨブは、義人として神様の称賛を受けていました。ところが、彼は、神様の試みに遭います。サタンが神様に、彼は理由もないのに、神様を敬うでしょうか、神様がすべてを守り、祝福されているので、彼はそのゆえあって、神様を敬っているのです、と言ったのでした。それで、神様は、サタンに彼を試みに遭わせることを許したのでした。その結果、ヨブは、自分の財産であった数々の家畜を奪われたあ . . . 本文を読む
ヨブ記1章6節~22節
人が利益もないのに神を敬うでしょうか
このヨブ記は、信仰とはいったいどのようなものなのかを私たちに教えています。多くの宗教で人々は、信仰することで、多くの利益を得られると考えています。日本の多くの神社は、ご利益にも専門分野があります。学業、商売繁盛、結婚、離婚、就職、病気、農業、漁業、宝くじなど、さまざまにあります。そして、人々は、願う内容の、よりご利益のある神社を求め、 . . . 本文を読む