コヘレトの言葉3章1~11節
神のなさる業
箴言に続いて、知恵文学の一つだとされるコヘレトの言葉です。コヘレトとは何者であったのかは、1章の12節からのところに書かれています。ダビデの子であり、イスラエルの王として、エルサレムにいたとあります。13節には「天の下に起こることをすべて知ろうと熱心に探究し、知恵を尽くして調べた」そして、「太陽の下に起こることをすべて見極めたが、見よ、どれもみな空しく . . . 本文を読む
箴言16章1~9節
主が一歩一歩を備えてくださる
箴言(教訓の意をもつ短い区。戒めとなる言葉)は、旧約聖書のなかでも、ヨブ記、コヘレトの言葉などと同様、知恵文学というジャンルに含まれるものです。箴言の知恵は、基本的には道徳的教えとして理解されています。格言(簡単に言い表した戒めの言葉)を集めているといった様相をも呈しています。聖書のなかで、何か生きる上で、すぐ役に立つような言葉はないか、簡単に探 . . . 本文を読む
詩編137編
異教の地で
この詩編137編は、捕囚としてバビロンに連れて来られているイスラエルの民が、自分たちの悲しみや苦しみを歌い、敵への報復を願い、祈り求めているといった内容になっています。
「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた」とあります。バビロンというのは、イスラエルの民にとっては、異教徒の国です。
彼らは、そのバビロンに国を滅ぼされました。そして、捕囚 . . . 本文を読む
エステル記8章1~8節
エステル記の意味
エステル記のような物語は、聖書の中では、あまり好まれません。ユダヤ人にとっては、自分たちを殲滅しようとした敵を倒したという痛快なお話なのですが、キリスト者である私たちには、イエス様が語られた福音に照らしてみても、よくわからない書と言えるでしょう。和解とか、平和とか、暴力の連鎖を断ち切るとか、そのようなテーマに生きようとしている私たちには、何となく違和感を . . . 本文を読む
詩編23編
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない
「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」で始まる詩編の23編は、私たちにはとても馴染みのある、詩編の中でも、最も愛されているものの一つです。私たちは、この詩によって、多くの慰めを得てきました。とても、美しい詩ではないでしょうか。
ところで、ダビデが歌ったとされるこの詩編は、いったいどのようなときに、ダビデが歌ったものと考えられてきた . . . 本文を読む
敬老の日礼拝にて
ルツ記4章7~17節
神様のご計画に祝福を見る
時代は、イスラエルがまだ12部族に分かれ、士師と言われる指導者がそれぞれの部族を治めていたころのお話です。ユダの地のベツレヘム(イエス様がお生まれになった町)に住んでいたエリメレクという男が、飢饉が国を襲ったので、家族を連れて、モアブの野に移り住みました。当然、彼らはイスラエル人、アブラハムの子孫でありました。家族には、妻のナオミ . . . 本文を読む
ダニエル書2章37節~49節
真の主権者
ネブカドネツァル王は、即位して2年目のこと、何度か奇妙な夢を見て、不安になり眠れなくなりました。夢を見て、ある程度、今の自分の状況を逆に理解させられるときがあります。つまり、今の自分は、このようなところに欲求を感じているのだな、ストレスがあるのだな、不安があるのだな、そういったことです。ところが、何ら、思いあたるものがない、まったく意味不明、そのような夢 . . . 本文を読む