平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2012年2月26日 讃美すべき方

2012-03-23 18:43:24 | 2012年
ルカによる福音書19章28~40節 讃美すべき方  日本社会には、私たちが褒め称えたくなる人は、数限りなくいます。世界中ということになりますと、これまた膨大な数にのぼります。褒め称えられる人々は、世のため、人のために何かをなしえた人々です。身近にいる方々の中にも、賞賛したくなるような、いわゆる立派な人は、いくらでもいます。ただし、よく考えてみますと、誰からも賞賛されるかどうか、ということになりま . . . 本文を読む

2012年2月12日 恵みへの応答

2012-03-22 22:10:09 | 2012年
(会堂記念日礼拝) ルカによる福音書17章11~19節 恵みへの応答  私たちは、神様から一方的な恵みをいただいています。一方的というのは、こちら側が何かしたので、それに報いる形で恵みがあるとかではないということです。何らの条件もなしに恵みをいただいているということです。このお話も、わたしたちを憐れんでください、という重い皮膚病を患っていた者たちの願いにイエス様が、お応えになられたのですが、そこ . . . 本文を読む

2012年2月5日 真実に聖書に耳を傾ける

2012-03-20 21:45:37 | 2012年
ルカによる福音書16章19~31節 真実に聖書に耳を傾ける  このたとえ話は、私たちに天国と地獄のイメージを鮮明にさせるものであると、考える人もいるでしょう。或いは、生前によい行いをしていないと地獄に落ちる、特に、貧しい人々や弱っている人々には親切にしておくことが必要だ、そう考える人もおられるでしょう。あるいは、この世で、富んでいた者、よいものを得ていた者は、地獄におち、この世では貧しかっ . . . 本文を読む

2012年1月22日 良い方を選ぶ

2012-03-05 11:46:28 | 2012年
ルカによる福音書10章38~42節 良い方を選ぶ  つぶやきは、誰の人生にも必ずといっていいほど生じます。つぶやいたことなど、一度もないという人は、よほどの悪い人です。つまり、その人は、我慢したこと、忍耐をしたことなど一度もないに違いありません。つぶやきの多くは、不当な苦しみを与えられ、それを我慢したり、忍耐させられたときに、それに耐えられなくなって起こります。つぶやきは、不当な扱いをされたとき . . . 本文を読む

2012年1月8日 あなたがたが食べ物を与えなさい

2012-03-04 16:30:05 | 2012年
ルカによる福音書9章10~17節 あなたがたが食べ物を与えなさい  イエス様は、弟子の12人を呼び集め、あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになられました。そして、彼らは、神の国を宣べ伝え、病気をいやすために、近隣の町や村に遣わされたのでした。6節には、「12人は出かけて行き、村から村へと巡り歩きながら、至るところで福音を告げ知らせ、病気をいやした」とあります。そして、10節に . . . 本文を読む

2012年1月1日 新しきキリストの宮

2012-03-03 00:22:16 | 2012年
ルカによる福音書2章41~52節 新しきキリストの宮  新しい年の初めは、イエス様が、12歳のときに神殿の境内で、学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり、質問したりしておられるのを両親が見つけて、驚いたという物語から始まります。  2012年は、新しい平尾教会の伝道のための建物が建つ年となります。それで、私も、釣りを若干断つ覚悟をしなければならないかもしれません。そして、私たちは、信仰者として、さ . . . 本文を読む

2011年12月18日 神にできないことは何一つない

2012-03-02 00:00:20 | 2011年
ルカによる福音書1章26~38節 神にできないことは何一つない  メシア、キリスト、救い主誕生の物語は、当時としては、非常に意外なところから始まりました。ユダヤの都エルサレムから遠く離れた辺境の地とも思われていたガリラヤ地方のナザレという小さな町でした。しかも、その救い主を産むことになるのは、王の娘でも、どこそこの令嬢でもありませんでした。身分の低い者と、マリア自らが自分のことを述べていますが、 . . . 本文を読む

2011年12月11日 心が燃えるとき

2012-03-01 12:06:30 | 2011年
ルカによる福音書24章13~35節 心が燃えるとき  イエス様が十字架につけられて死んで、三日目のことでした。その日の朝、香料を持ってイエス様が葬られている墓に行った婦人たちは、墓をふさいでいる大きな石が、転がされているのを見ました。中に入ってみると、そこには遺体はなく、御使いらしき二人の人が現れて、イエス様の復活を告げられたのでした。そして、そのことを弟子たちのもとに行って、告げたところ、彼ら . . . 本文を読む