平尾バプテスト教会の礼拝説教

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会での、日曜日の礼拝説教を載せています。

2017年5月14日(家族の日礼拝) 聖書の教える家族とは

2017-08-25 18:21:53 | 2017年
家族の日の礼拝というので、家族について聖書から考えてみたいと思います。「家族は互いに助け合わねばならない」。これは、聖書の言葉ではなく、ある党の改憲草案の24条第一項です。これをみて、多くの方々は、いいことを言っていると思うでしょう。今のような社会のなかでは、介護など、家族が助け合って生きていくことが求められているではないか、と。家族のなかで虐待などが起こるのは、思いやりが育っていないからであって、ほんとうに互いに助け合わねばならない、と憲法で決めてもらって、教育に力を注いだ方がいい、と。しかし、それに対して、これは大いに問題があると言っている方々の主張は次のようなものです。戦前の家族については明治民法が用いられ、例えば、結婚も結婚相手も、決定権は「家長」(父や夫、男の子や男兄弟)にあり、自分のことなのに、女性は自分で決められませんでした。そもそも女性は人権も無いも同然でした。自分の財産も持てず、相続も夫から長男へ、でした。当時は「長子相続」で、男であっても次男以下には相続の権利がありませんでした。財産も、戸主の権利も、すべて、長男だけに引き継がれるものでした。兄弟間の差別が公然と法制化されていました。もう一つ、戦前の日本の社会体制は天皇制で、その中でも「家制度」は「天皇制」を下から支えるための仕組みでした。戦前の日本社会は、天皇を親、国民は「天皇の赤子」と呼ばれる、こどもに見立てた「疑似家族」。「家族」の中にはすべてを決める絶対的な「家長」がいて、家族みんなが家長に従うように、国には「天皇」がいて、国の「家長」である天皇の言うことは絶対でした。そういうヒエラルキー意識を、小さなピラミッドから大きなピラミッドに積み上げるように、植え付けたのです。つまり、「家制度」は、一番身近なところに差別をつくり、その構造を温存させる仕組みでした。戦前の日本に独特の、人権を破壊する制度でした。 . . . 本文を読む

2017年5月7日 キリストの恵みの賜物により与えられた永遠の命

2017-08-25 17:47:09 | 2017年
アダムが神様の戒めを守らず、罪を犯したために、全人類に罪が入り、その罪によってすべての人間が死という滅びに至ることになりました。そして、その罪がはっきりと誰の目にもわかるようになったのは、モーセに与えられた律法によってでした。律法を守らないことは、明らかな罪と定められました。しかし、律法以前のアダムとモーセの間の時代にも、人は死んでいったのであり、そのことを考えるときに、それらの人々も罪を犯したことがわかります。つまり、すべての人は罪を犯すことがわかります。一人の罪によって、その一人の人アダムを通して死がすべての人を支配するようになったのですが、神様の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物によって、すべての人は義とされ、命を得ることになりました。それも永遠の命を得ることとなったのです。それでは、その神様の恵み、イエス・キリストの恵みの賜物とは何か、ということですが、それについては、5章の1節から11節に書かれています。「キリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった」、「わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されました」、「わたしたちはキリストの血によって義とされたのです」、「敵であったときでさえ、御子の死によって神と和解させていただいた」といった内容です。そして、これらのことを信じる信仰によって、わたしたちは神様から義とされるのです。とはいえ、この世に生きる私たちには、多くの苦難や試練があります。それらは、忍耐することを教えたり、練達へと導き、ついには、希望を生むことになるとあります。そして、その希望は私たちを欺くことがないとまで言います。それは、わたしたちに与えられた聖霊によって、神様の愛がわたしたちの心に注がれているからなのです。 . . . 本文を読む

2017年4月23日 正しい者は信仰によって生きる

2017-08-24 11:52:28 | 2017年
パウロは、⾃分のことをキリスト・イエスの僕だと⾃⼰紹介しています。そして、⾃分の使命を「わたしたちはこの⽅により、その御名を広めてすべての異邦⼈を信仰による従順へと導くために、恵みを受けて使徒とされました」と理解しています。そして、あなたたちローマ⼈たちも、イエス・キリストのものとなるようにと召された⼈々であることを告げます。パウロは、祈るときにいつもローマの信徒たちのことを思い起こし、いつか神様の御⼼によってローマの彼らのところへ⾏きたいと願っているけれど、今⽇まで妨げられてきたと⾔います。福⾳の伝達は既にローマまで及んでおりました。パウロが、ローマの信徒たちのところへ⾏きたいと願っている理由は、「あなたがたにぜひ会いたいのは、霊の賜物をいくらかでも分け与えて、⼒になりたいからです。あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」ということでした。まず、霊の賜物とは、何かということですが、これはコリントの信徒への⼿紙12章のなかで展開されています。教会において、神様が聖霊によって、信徒各⾃に分け与えられる多種多様な能⼒(知恵の⾔葉、知識の⾔葉、信仰、病気を癒す⼒、奇跡を⾏う⼒、預⾔する⼒、霊を⾒分ける⼒、異⾔を語る⼒、異⾔を解釈する⼒など)であり、それらは⾃分⾃⾝のためにではなく、本来、他者の益のために、お互い分かち合い、助け合うべき信者の共有財産であるということです。そして、パウロは、福⾳を恥としない、と述べます。これはパウロの信仰告⽩とも⾔えます。当時、キリスト者たちに対する迫害もあったわけですから、それに対する断固たる姿勢がうかがわれます。しかし、福⾳は、⽊にかけられた者は神に呪われたのだというユダヤ⼈にも、⼗字架にかけられるなんて愚かだというギリシア⼈にも、信じる者すべてに救いをもたらす神様の⼒だとパウロは述べます。 . . . 本文を読む

2017年4月16日(イースター礼拝) キリストは死者の中から復活された

2017-08-24 11:47:40 | 2017年
マタイによる福⾳書では、他の福⾳書にはないものとして、マグダラのマリアともう⼀⼈のマリアが、墓場で天使の御告げを聞き、それから弟⼦たちのところへ⾏く途中に復活のイエス様に出会ったという話の前後に、祭司⻑やファリサイ派の⼈々が、イエス様が⼗字架におつきになり墓に葬られた後、イエス様の復活を予想して、策を弄しているお話がでてまいります。祭司⻑やファリサイ派の⼈々が考えたのは、次のようことでした。それは、イエス様が、⽣前、「⾃分は三⽇後に復活する」と⾔っていたのを思い出したけれどそれは、おそらく弟⼦たちが、墓の中に葬られたイエス様の死体を盗み出して、「イエスは死者の中から復活した」と⼈々に⾔いふらそうとしているのではないか、というものでした。それで、彼らは総督ピラトに番兵をつけて墓をよく⾒張ってくださいと、お願いに⾏ったのです。そして、実際、現場では、天使が現れ婦⼈たちと話しているその場⾯を番兵は⾒て、エルサレムに帰り、祭司⻑や⻑⽼たちにそのことを報告するのです。ところが、彼らは相談して、多額の⾦をこれらの番兵に与えて「弟⼦たちが夜中にやってきて、我々の寝ている間に死体を盗んで⾏った」と⾔うように話を改ざんしたのでした。そして「この話は、今⽇に⾄るまでユダヤ⼈たちの間に広まっている」と聖書は説明しています。つまり、初代教会の⼈々が、イエス様の復活を宣べ伝えていったとき、それは弟⼦たちが死体を墓から盗み出して作った作り話ではないか、いわゆる弟⼦たちのでっち上げではないか、という噂が随分とあったということです。それで、マタイは、そこらの真相を解き明かそうと努⼒をしているのです。私たちにとって、イエス様が復活なさったということは、最⾼に重要なことです。イエス様が⼗字架におつきになられたことは解釈としてとらえることができますが、復活されたことを信じることは⼈⽣の⼤きな賭けとなります。 . . . 本文を読む

2017年4月9日(召天者記念) 真っ二つに裂けた神殿の垂れ幕

2017-08-24 11:43:17 | 2017年
イエス様が十字架の上で、死なれた場面です。キリストの教会には、この十字架がシンボルとして掲げられています。十字架にかけられる者は、神様に呪われたことを示していると信じられていた時代です。だからでしょうか、十字架についた途端にさらに激しい侮蔑の声が群衆の中から沸き起こりました。誰一人として、イエス様を弁護する者がおりません。ただし、息を引き取られたときに、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについた多くの聖なる者たちの体が生き返った」とあり、そうした、一連の出来事を見ていた百人隊長や一緒にイエス様の見張りをしていた人々が、「本当に、この人は神の子だった」と言ったということです。古来、キリスト者たちは、この十字架こそ、神様の愛が私たち人間に注がれている証しだと理解しました。神様が、子である、それも一人子であったイエス様を十字架におつけになられたのです。イエス様は十字架の上で、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれました。まさに、この叫びの中に、わたしたち罪にまみれた人間が、神様に裁かれ、焼き尽くされていくその姿を想像することができるでしょう。そうした厳しい裁きを受けて当然の私たちに代わり、イエス様が、十字架におかかりになりました。それも、神の子が、人間によって、判決を下され、侮辱のなかで、耐えがたい暴力を受けて死んでいかれたのです。私たちは、この十字架にわたしたち人間の罪を見ます。また、同時に、私たちに下されるはずであった神様の裁きの厳しさを見ます。そして、そういう形でしか、人間の罪は赦されなかったという、痛々しくも限りなく注がれている神様の深い愛を見ます。それまで、犠牲の供えものを携えて神殿に入っていた者たちにとって、それに代わる永遠なる犠牲の供え物が与えられました。キリストの父なる神様によって。 . . . 本文を読む

2017年4月2日 孤独のなかで祈る

2017-08-24 11:38:28 | 2017年
イエス様のゲッセマネの祈りは、とても孤独なものでした。ゲッセマネの園に弟子と一緒に来られたイエス様は、ペトロとゼベダイの子たち以外はそこにおいて、4人でさらに進んでいかれました。「そのとき、悲しみもだえ始められた」とありまして、イエス様のこれまでにない内面の苦しみが読み取れます。あるところまで来たときに、「ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい」とペトロたちに命じ、ご自身は少し離れて一人で祈られました。うつ伏せになられて、「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに」と祈られました。イエス様にとって、これからほんとうに厳しい試練のときが始まるのですが、それを意識されて、必死になられて祈る姿が描かれています。ペトロたち3人には、「わたしと共に目を覚ましていなさい」と、ある意味では、共に祈っているようにと願われたイエス様でした。しかし、ペトロたちには、その思いが十分に伝わりません。彼らは、イエス様が戻って御覧になると、眠っていたのでした。いろいろな意味で、まったく孤独で、父なる神様と向き合わねばならないイエス様でした。それこそ祈りの本質でしょうけれども。イエス様は、これから起ころうとしていることを回避してくださることを願われましたが、しかし、最後には、御心が行われますようにと、すべてのことを父なる神様にお委ねするのでした。イエス様は、この祈りを三度繰り返されました。祈りの度に、弟子たちのところに戻って来られました。そして、彼らが自分と同じように必死になって祈っていることを願われ、期待して戻ってみると、彼らは、その度に眠っておりましした。「ひどく眠かったのである」とあります。イエス様の願いよりも、自分たちの体の生理的現象に負けてしまったのでした。孤独という祈りの本質、他者の祈りに心合わせることの難しさなどを思います。 . . . 本文を読む

2017年3月26日 主よ、まさかわたしのことでは-裏切りの予感-

2017-08-22 23:09:04 | 2017年
最後の晩餐の場面です。一同が、食事をしているとき、イエス様は突然このようなことを言われました。「はっきり言っておくが、あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている」。それで、弟子たちは非常に心を痛めたと書かれています。そして、その次にどのような態度を弟子たちはとったかと言いますと、「主よ、まさかわたしのことでは」と代わる代わる言い始めたのでした。そこで、イエス様は、「わたしと一緒に手で鉢に食べ物を浸した者が、わたしを裏切る」と言われ、暗にそれがユダであることを伝えます。そして、その直後、ユダも「先生、まさかわたしのことでは」と言うのですが、そのときイエス様は「それはあなたの言ったことだ」と意味深長な言い方をされました。この聖書の箇所は、キリストを信じて歩んでいる者たちにとって、実に、日々の生活の中で自分の身にも起こりそうな出来事として迫ってきます。私たちは、イエス様を信じて、日々の生活を送っておりますが、いつもどこかでイエス様を裏切っているのではないか、今はそうでなくても、何かの折には裏切るのではないか、といった恐れが頭の片隅をよぎることがあります。弟子たちは、それまでのイエス様の言動からいよいよ何かのっぴきならぬ事態が訪れるのではないか、といった恐れの中にはあったと思いますから、イエス様が言われた弟子の一人が裏切ろうとしているというのは、根も葉もないことではなく、おそらく、誰かそういう者が、自分たちの中から現れるだろうくらいのことは考えたと思われます。弟子たちは、誰もが自信がありませんでした。ひょっとして、自分がその裏切者にならないとも限らない、そのような予感の中にありました。ですから、代わる代わる「まさかわたしのことでは」と答えたのでした。ただ、マタイでは、この後の主の晩餐の場面には、まだユダもいたと思われますから、罪の赦しがユダにまで及んでいると理解できないこともありません。 . . . 本文を読む

2017年3月19日 あなたがたはその日その時を知らないのだから

2017-08-22 23:00:49 | 2017年
これは、天の国のたとえ話です。花婿を迎えに10人のおとめがそれぞれにともし火を持って出て行きました。当時は、花嫁のところへ花婿が迎えにくるのですが、その花婿を花嫁の友人が明かりを持って出迎える習慣がありました。ですから、ともし火を持っていた10人というのは、花嫁たちではなく、結婚をする花嫁の友人たちでした。ところが、そのうちの5人は賢く、5人は愚かでした。賢い5人は、油が切れたときのためにと予備の油を用意しておりましたが、愚かな5人には、その準備はありませんでした。賢いおとめたちは、予定していた時刻に花婿が来ないことがあるかもしれないと考え、愚かな娘たちは、予定の時刻に来るものと勝手に思い込んでおりました。ところが、実際は、花婿は予定した時刻には到着せず、真夜中にやってきたのでした。その時、10人のおとめたちは皆眠気がさして眠り込んでしまっていたのです。真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声がしたので、皆起きてそれぞれのともし火を整えたのですが、すでに消えかかっておりました。愚かなおとめたちは、油を分けて欲しいと賢いおとめたちに頼みましたが、彼女たちも分けてあげるほどの量はなかったので、店に行って買って来なさい、とつれない返事です。愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿はやってきて、賢いおとめたちの出迎えで、一緒に婚宴の席に入り、そこで戸も閉められてしまいました。そのあとで、愚かなおとめたちが帰ってきて、婚宴が行われている建物に入ろうとするのですが、その家の主人は、「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」と言ったということです。これは、イエス様が再びこの世に来られるとき、イエス様が来られることを婚礼に、また、イエス様を花婿にたとえております。私たちには、イエス様がいつ来られるかは知らされません。しかし、いつ、来られてもよいように目を覚ましておく必要があるのです。 . . . 本文を読む

2017年3月12日 ろばに乗って来られたキリスト

2017-08-22 18:45:54 | 2017年
イエス様が、ろばに乗ってエルサレムに入城されたようすは、世の多くの王たちがしていたように、軍馬に乗り、また、戦車に乗って意気揚々と行っていた凱旋パレードとは大きく異なりました。戦勝国となった将軍や王たちは、大勢の家来を引き連れ、その両脇には大勢の市民が歓声や音楽をもって迎えていたことでしょう。今であれば、優勝したスポーツ選手たちの凱旋パレードを思い浮かべたらよいのでしょうか。イエス様がなさったのは、日ごろは荷を担いでいたであろうろばに乗って、それも子どものろばであった可能性もあります。ですから、とても弱々しい、優しいといったイメージです。それに乗ってエルサレムに入ってきたのでした。マタイでは、これは預言者の言われていたこと「シオンの娘に告げよ。見よ、お前の王がお前のところにおいでになる。柔和な方で、ろばに乗り、荷を負うろばの子、子ろばに乗って」(ゼカリヤ書9章9節)が実現するためであったとあります。そのとき、群衆が上着を脱いで道に敷いたり、木の枝を切って敷いたのは、王を迎える所作であったようです。それからまた、イエス様がろばに乗っていくその前後にいた群衆たちは、「ダビデの子にホサナ(「主よ、救ってください」、「バンザイ」などの意味)。主の名によって来られる方に、祝福があるように。いと高きところにホサナ」と叫びました。ここでいう群衆たちは、それまでエリコやガリラヤからついてきていた人々であったと思われます。ところが、都エルサレムの住人たちは、そうではありませんでした。「いったい、これはどういう人だ」と言って、騒ぎになりました。そこで、群衆は「この方は、ガリラヤのナザレから出た預言者だ」と、答えたのでした。イエス様に出会った当時の人々からして、イエス様に対する理解は微妙に異なりました。「柔和」は、痛めつけられる、惨めという意味もあるようですが、そのようなお方を私たちはキリストと呼んでいます。 . . . 本文を読む

2017年2月19日 祈りと信仰

2017-08-22 17:49:35 | 2017年
「祈りとは」、と聞かれたら、私たちはいかようにでも答えるでしょう。祈る時は、いつがいいのか。祈りの姿勢はどのようなものがよいか。しかし、その多くは、イエス様が教えてくださっていますから、そこに既に答えはあります。また、イエス様自らが祈っておられますので、その姿勢からも学ぶことができます。今日の箇所では、マタイによる福音書の14章23節「群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた」。イエス様は、よく祈るためにたったお一人で山に登られました。そこで祈られました。それは、ちょうどモーセがシナイ山で神様から十戒をいただいたときのことを彷彿とさせます。山は、誰もおりませんので、神様と一対一で向き合うという点では、環境が整っています。それから祈りということで、この箇所からは、ペトロの叫びが、また一つの祈りの姿勢として考えられるでしょう。これは、弟子たちだけで、向こう岸に漕ぎ出したのですが、途中で逆風が吹いてきて、波がたち舟を思うように操縦できなくなったときのことでした。これは夜通しそうであったようです。しかし、明け方頃、イエス様は彼らに湖上を歩いて近づいてきました。それを見た弟子たちは、幽霊ではないかと怯えたのでした。それで、イエス様は、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」と声をかけます。そこで、ペトロが、自分も歩いてイエス様のところへ行かせて欲しいと願います。イエス様から来なさいと言われて、舟を降り、水の上を歩き始めたのですが、途中で強風に気づき恐れが生じて沈みかけます。そのとき、イエス様に「主よ、助けてください」と叫びます。ペトロは、死ぬかもしれないと思い、必死でした。このときの叫びが、祈りです。これは、とても短いものですが、簡潔であり、強く熱く必死な思いが込められています。イエス様はすぐに手を伸ばして彼の手をつかみました。 . . . 本文を読む