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印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

川柳総合事典によると

2012-05-14 07:08:51 | 川柳
自分で図書館にいって、本をしらべるにも限界がある。
こういうときに、式次第のなかに講和があああるのでそのときに話がきけるのは大変ありがたい。

15世脇屋川柳先生とかいてあった。けれど体調不良のためこられなかった。残念である。
しかし代行として、あわてて講師をしてくださったいつもの先生が、またこれもとてもよかった。自分の疑問をとくものがはいっていた。

急遽でやりにくいでしょうけれど、ご自分の合同句会であるので、急遽用意されたと言われていた。ほかのせんせいからいただいた「あの資料」をcopyしてといわれていたのが、『川柳総合事典』で、へーこういうのがすぐに本領発揮して、講和に登場するのかと思った。なるほど、いただいた資料でまるとか、いただいたかたの手書きの文字が入っていた。そのかたの筆跡です。といわれて、そのかたもいらしていた。

川柳の世界が広がった

2012-05-14 07:02:13 | 川柳
昨日は川柳の合同句会であった。初めて遭遇した。去年はまだこの回にはいってなかった。
4つの公民館で切磋琢磨している方々が30人ほどきて、せんせいのお歴々のご列席でパルコ10F#13は埋め尽くされていた。

通っている一つの公民館でなく4つのせかいが一堂に会したことはとても大きい。それぞれ作る句の雰囲気がちがうから。

川柳という悠久の大河

2012-04-21 16:34:40 | 川柳
つまりは六大作家は剣花坊を去った人またはその時代の人たちの様だ。



「新興川柳」を興した田中五呂八、
川柳によってプロレタリア主義を実践し、後に獄死する鶴彬。
剣花坊の元を去った川上三太郎。
三太郎と同時代の六大作家と呼ばれる先人たち

そういう作家たちを経て、六大作家はいずれ何かで耳にはいるだろう。そういうことを友人が教えてくれたこと自体がきれっぱしを掴んだ気分だ。

そして正岡子規と同じ舞台で、同じ職場だったから、子規にはおよばなかったにしろ、新川柳を鼓舞した剣花坊が思い描いていた川柳の未来はさまざまな潮流に揉まれながら、今日に続いてきたようだ。

今行っている蜻蛉の会は少し違う作風で、ダジャレが多いいと友人が言っていた。友人は駄洒落の句は好きでないと言っていた。

いま川柳にかかわる私たちの時代に、こういう方々がとにもかくにも川柳という悠久の大河を残してくれたのである。

剣花坊

2012-04-21 16:15:36 | 川柳
そのなかで剣花坊と言う人が気になって読んだ。


剣花坊にとっての滑稽趣味は古川柳から導き出した一つの方法であり、滑稽によって
生活するものの真実に肉迫しょうという志は、当時の滑稽は低俗なものとする芸術至上
主義の風潮への反動として、折からの自然主義文学の台頭をその好機と捉えたもので
あつて、最初から滑稽川柳を世に問うことではなかった。

なるほど滑稽は滑稽であって、物足りないということは今と同じだ。意味を見いだせないから。

  古池へ飛ばず残ったひきがえる        剣花坊

正岡子規と同時代に活躍したようで、正岡子規さんは新俳句を作りだしている。剣花坊さんにも同じように新川柳を確立するよう時代の要請があったようだ。日本新聞社に所属していたようだから。子規もそうだったようだ。

 正岡子規の俳句革新を目前に追いながら、ついに子規ほどの文学的認知を得るに至らなかった悔しさと自嘲の句であろう。だから清澄庭園にあった「古池や蛙飛び込む水の音」の句碑がある。このパロデイーになってしまったのか。

 

六大川柳作家

2012-04-21 16:05:38 | 川柳
友人が六大川柳作家をおしえてくれた。がしかし5にんまでしか、手帳にかいてくれない。一人だれだったかな?と言っていた。

それで検索したけれどものってない。川柳作家が100人くらいでていて。☆印がついているのが数人。
村田周魚、川上三太郎、麻生路朗、前田雀朗4人はのっていた。あと岸本水府の5人

でもほとんど明治から昭和初期くらいに活躍している。

取り敢えず重箱のなかをさぐる程度に読む。
歴史があって、ただ川柳だーとつくるもので無いようだ。




川柳の合同句会は苦界

2012-04-17 10:44:06 | 川柳
夕べ川柳の代表から電話があった。連続して二か月休んだ。欠席投句は友人がひきうけてくれたのでだしていた。その句が点数がはいっていて、いい句だといってくれた。最近副代表になっている。

で5月13日にパルコで合同句会があるが、この出席可否について。
そのあとの懇親会。
これに、川柳界で十指にはいるかたも選者としてくるようだ。

初めて一年に満たないけれど、初めての参加で苦し紛れで句を作らねばと焦るがてが動かない。

俳句の吟行の風景がまだ整理しきれてないから、海馬がパニックになる。オーバーフローで、色水になってしまう。

去年秋、鬼怒川温泉に日帰り合同句会吟行にいったおり、宿題の4句のみで、吟行とは名前だけで、時間がないからと、宿題だけで、選者のみの、選句であった。

これに反発している人がいて、当日句とか互選などいっていたが却下されていた。
俳句の吟行は、大会はべつにして、いままで参加した限りでは、吟行句のみで互選であるけれど。大きくプロセスの違いはあるなーとおもっていた。

川柳の講師はさいたま文芸のあるまりでも、たちうち不可能なくらいに、油と水のようだ。俳句の人はい主なように、川柳を見下げてくるらしい。そうではないほど川柳なりの輝きがあると思う。

川柳今までは助走

2012-04-10 11:31:03 | 川柳
川柳の世界は奥が深い。
一か月づっと4月課題の「入る」と「雑詠」を考えてノートに記入していた。どれも締め切りが近づくと、底に沈殿してしまって、上澄みにはまた新しいことばがでてきてくる。それは知らないことに蓋をしてしまっている自分に気づかされる連続だ。

少し高尚すぎるんだよ。といわれて、はっと気付いて、蓋をしてしまっていることへの蓋を開けるタイミングを見つけて書き留めることにした。それがなかなか捗らなくて、でもいいスタートを切りたいと焦っているわけ。

佐藤美文さんのこと教えてくれた人がいた。5月の大会でパルコに選者としてくる予定だ。川柳の世界での有名人とは全く知らなかった。耳にした名前が私の釣竿にかかる。その日にすぐに、以前の雑誌にのっていたページが目に留まった。川柳雑誌「さいたま」平成22年12月号の表紙裏1ページに「チームワークの賜物」という文がのっていて、この人はすごい方なんだと。思った。

まだまだいろいろ知らないことばかりで、球筋は決まらず一気に追い付くことはないけれど。。
走り幅跳びでいえば、いままでは助走で、やっとスタートラインにたてた気持ちだ。


兼題席題宿題、嘱目、自由吟

2012-03-01 11:03:17 | 川柳
題詠にもいろいろな言い方がある。
当日句は俳句でも、川柳でも、席題がでる。
吟行になると、嘱目、雑詠となるであろうけれど、川柳では、時間の関係か、雑詠をしてほしいと言う人もいるけれど、却下されている。

題が決まると作句者にどのような影響が与えられるのであろうか。
ネット投句をする人は題がないと句が作れないといっていた。ただの言葉遊びにすぎないでしょうと言いたくなる。

川柳の場合この題によって、人々の哀愁と感動がにじみ出ていて、思わず拍手喝采をおくりたくなる、面白さが滲み出ている。
川柳マガジンをみていると、むかつく、おろおろ、ぼやく、きっぱり、いらいら、こってり、けしからんなどなど。

本当に、きりがない。専門でもない人が認識している、紡ぎだす言葉の面白さは、万人に共通する感情でもあるでしょう。

難波歩き

2012-02-09 00:39:50 | 川柳
またまた句の話
古希デビュー手と足一緒に出るダンスというような句
これは純情さを読んでいてといっているひとがいた。

でも難波歩きだといっていた。
そういうダンスがあるようで、右手と右足が一緒に出る。
江戸時代はふつうにあったそうだ。webにものっていた。

川柳の会ものしりだらけ
とくにこの会は。

義捐金は申告で控除になる

2012-02-09 00:23:11 | 川柳
つぎに税務署にへそくりみせた義捐金というような句これはさきほどの薬のかたの句であったけれど。
どうしてえらんだのか理由。義捐金をへそくりからだして、なさけがあるようで、といってたら
もう一人の方が義捐金は控除になるから、税務署とくみあわせたのが面白いという。
講師もしらなかったというし、知ってましたか?ときかれたのでしりませんでしたというと、

このみちの豊かな知識のあるかたの出番となる。
400万までは申告しなくていい。けれどもおかねが戻ってくる人は200まんでも申告したほうがいい。所得税は申告でそれよりひくいのが住民税で、連動してくる。
控除の対象に火災保険はならないが地震保険は対象となる。従来は火災保険の中に対象となる地震保険がはいっていた。という。

義捐金も控除の対象になるのとならないのがある。等々。

あまり意味がわからないけれど、この会は雑学王がたくさんいるなー。
そういえば比べるとついつい上を向いているというような句があった。上には上がいる。といったことを最近おもったけれど、少しニュアンスがちがって、ついついのほうはライバルといっていた。

薬の副作用

2012-02-09 00:05:33 | 川柳
この川柳の会はすぐに脱線する
疑問を持ちながら薬を飲んでいるような句があって、合評しているうちに、薬の達人がいて、薬関係のメーカーにいたひと?



質問した人は毎日病気で血圧もたかくて、ぐったりしていて、ここへきて、しゃべるのがこえをだすのがこれくらいでやっとなのです。いつもはふせっていて声がでないのです。

コレステロールの値はいくらですか? 110だったかと
先生によっても違うが。何の薬をのんでいますか?名前を聞けば全部わかります。
薬は クレストロールは血管をひろげるくすり、

220から210で薬をのむというけれど、前は240でのませていた。

値は平均値でいっているが、本当は個人差があるので、自分の若い時の値をしっておくのが一番よく、それと比べていまはどうかというのが一番大事である。

なるほど4種類薬をのんでいるひとが、また聞いていた。豊かな知識をもっているひとおおいいですね。

つぎに元医者だった人らしき人がまた注釈を継ぎ足した。

神田川沿いの古着屋

2012-02-08 23:46:19 | 川柳
講師はさらに話をつづける
神田川沿いの古着屋さんの話
やなぎから涙の痕や酒の染み
よのなかにカフカのほどの不幸せ
カザンは
藤吉郎は小作の子
ムッソリーニは鍛冶屋の子
おまえのとうさんあしくされ(怠慢なことらしい)こういう方言があるらしい)
おまえのかあさん意気地なし
おまえの子供は貧乏だ

とにかくなんかよくわからないけれど、
皆は真剣にどこどこの地方の言葉にこういうのがある。などといっている。
関東から北の方の文化圏で生まれた人がおおいいから、解釈に手間取ることが多い。

短詩の添削について

2012-02-08 23:16:34 | 川柳
今日は川柳の会だった
始めに講師が何か言う。何かとはこの1ケ月の間のエピソードみたいなものを

俳句、短歌、川柳 詩歌の選者があつまって、意見の交換会などを行ったという。前もこのようなこと聞いたことがある。
添削について;俳句の女性は添削しない。1字で意味がちがってくるから。その句わるいとおもったらとらなきゃいいじゃないといっていた。

詩歌だったら一字ちがっていても全体にそう影響はないけれど、ともいっていた。
川柳は議論しあって、添削してもいいみたいな、

大きく添削してその人の了解もえないで、特選なんかに乗せている人いる。どうかと思う。
小説は絶対誤字までも了解をとっている。

中七も中八でもいいじゃない。とかいっている。俳句は中七は許されない。
古希はノ木編ついた古稀を少し前つかっていた。今は新聞では古希となっている。

自由律句らぶ

2012-01-15 22:03:50 | 川柳
朝NHKテレビを見ていると、NHK山口のスゴつぶのことを紹介していた。

俳句とも川柳ともその中間とも、携帯おおぎりにも似ている。
12月に放送した動画がながれていた。

すごく言いたいいまの心境を言っていてびっくりした。
寝てませんまぶたが重いだけなんです
就活する私は私じゃない
おつりは小銭からほしいんです
なんかこういう、日常生活の無関心のベールの下にあるものを言っている。
川柳にあるような時事ネタはない

ツイッターにも即でているようだ。オリラジのあっちゃんが司会していた。
山口放送局はすごいですね。

ネットで探すと情報維新 やまぐち自由句らぶ  というところで 句を募集していた。
そういえば種田山頭火の俳句もそんなものがあった。40年前に見た句だ。広島のゆで卵を食べるとき口をあんぐりあけて食べるのをさらりといったものがあった。
山頭火はたしか防府出身である。山口県だ。

今向かっている俳句と川柳が一体化するかもしれぬ。そんなご都合主義
はありえないけれど。自由律といえばいいではないか。

ただし山口のものとは少し違ってくるかもしれない。

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■ 自由律句とは?
自分がどうしても衝動的に語りたい・聞いてほしいと思う感情を、
一気に言ってのける程度の短い一行の韻文の詩型のこと。
■「定型俳句」とどう違う?
≪定型俳句≫ ≪自由律句≫
★ 五・七・五である ★ 五・七・五といった決まりがない
★ 季語が必要 ★ 季語は必要ない
★ 文語で詠む ★ 現代に即した口語で詠む

本来、「定型俳句」と「自由律俳句」を合わせて「俳句」と呼びますが、現在は「俳句」=「定型俳句」と定着している傾向にあるので、ここでは「自由律俳句」のことを「自由律句」と表現します。fm. web

段階をおって、添削していた。一気に言ったものを添削している。しかしこれでは仕切り直ししているようですね。化粧しなおししてるようで、狙いが…。

靴の紐が切れてしまった

2012-01-13 16:58:09 | 川柳
登山靴を履くときは予備の靴紐を用意している。
何かが壊れたcpuはシャットダウンしてリセットもできる。

だが人間は別だ。靴の紐を締めるにも紐はすりきれて予備はない。
覆水盆にに返らず  周の呂尚の故事にある。

先一昨日のこと。浴びせてはいけない言葉を使っている人がいた。本人はそう思ってない模様。今度のイベントに名前入れてないから。といっている。膨れたほっぺで、周囲に聞こえるような大声を上げている。火種は自分ではないことを強調している。火の粉がとんでいるよ。

追い打ちをかけるようだ。まだ終わってない。ここが重要だという目途がなっていない。単純ではなかったようだ。震災と同じで取り壊しとなったようですね。地盤も沈下したようで。何故か土台は砂であった。

先程のTV、火災調査官・紅連次郎再放送「二度焼かれた死体と燃えないガソリンの謎」ににている。監視官は技術をしっかり教えているが「人間形成」を教えてないと悔やんでいた。キーワードは玄人と素人。脚本家はすごいですね。必ずいい言葉の宝石をドラマの中にちりばめている。犯人とは別に、そういう鑑識の立場の仕事場のなかの、上司が部下を育てていく技術だけでなく、人格形成までまとめて責任があるというようなことを。

思わぬ効果があったようだ。こういう立場で庶民のことが見えてくる。
昨日も、花散策クラブで行き場のないことをいろいろあった胸のいれ箱からあふれたことを言って気持ちを楽にしていた。第三者だからずっと聞きながら新年会の会場まで歩いたけれど、じゃんじゃん忘れてしまった。網から全部もれてしまったよ。でも温かみは伝わったよ。