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印度ヒマラヤは崖っぷち

非人情的、破壊的、創造的。又崇高、峻嶮。

五分間吟

2013-02-19 12:29:11 | 川柳
この句会最後に五分間吟というのがある。
出題された人が選者、で五分間吟をしている。選者の弁「5分間ですが、良い句がたくさんありました。読むと本当にたったの5分間で3句だしていて、いい句で人生のcutをうまくよめている。

きっと7.5部分をいくつかあためていて、それに出された席題と関連づけているのでしょうか?
軸の句として最後に選者の句があるけれど、句のリズムがととのっていて、さすがです。一句一生と言う感じ。必殺技みたい。


川柳の東京句会を見る

2013-02-19 11:17:06 | 川柳
友人のブログにもう今日の日付のブログが載っていた。川柳Mクラブ東京句会1月例会に出たと早速今日の日付でブログが載っていた。今日の日付だけれど、じっくり長く書いていて、推敲していたから、昨日の日付が変わってのことでしょうか。この人のブログは日付だけで時間がのってないからね。

さっそくその1月例会のHPをみさせてもらった。その1月例会では5分間吟というのがある。この5分間によく言葉が∞にでるものですね。3句まで提出だったが中には3句とも入選の方もいました。その方は2句のっていた。もう一人知っている人がいた。その人も2句のっていた。

なるほどー、こうやって作っているのかと感心する。

句会の運営方法を変更?

2012-11-21 11:24:32 | 川柳
川柳の会に入会して2年足らず。1年半。まだまだ分からないことがいっぱい。なにがわからないのかもわからない。

11月の会でS句会は成立10年となったと言われていた。そろそろこのO会もやり方をかえてもいいのではないかと言われた。今は課題吟2句、雑詠2句、席代2句。宿題は当日相互選をする。宿題のどちらかを評価する。そして、そのどちらかは相互選のは発表だけで討論はなし。当日句は講師の選となっている。

この討論の仕方を変更?選も勉強の一つだからと言われていた。合同句会の時は、講師のかたと、会の代表の方の選が発表されていた。選をしたかた本人の句は最後に発表していた。選択したこだわり理由をはじめに発表して、少し緊張気味ながら皆さんの句を選別して発表するのだから、大変なことです。

取り敢えずそういうこともあるのでしょうけれど、みなさんの合意でしばらくは現状のままということで、変更案は見送りとなった。来月の席題についてもこの会は幅広くと言われていた。

時事川柳

2012-11-20 12:24:36 | 川柳
少し間があいたけれど、先週の川柳で、使わない方がいいという言葉がある。もちろん社会的に使わない方がいいという言葉はみんな承知している。

アメリカ大統領の選挙が終わったばかりで、オバマさんの名前を書いたところそれはNG言葉となった。当日配られた武州の雑誌にその規定が書かれていたからなおさらだった。まだまだ知らないことがどうしても多すぎる。と思った。

それで今借りている川柳の中の中国と言いう本を今日図書館に返すことにした。まだ読みたかったけれど、残念ながら。17日が返却期限で同時に借りてきたものはすでに5日前くらいに返却済みだったけれ。これ1冊だけまだ手元に残していた。土曜日に妻沼に出かける都合上返却できないので、16日に夜遅くパソコンで延長手続きをしていた。12月1日まで
が返却期限に変わった。それまでは手元に置いていいけれど、もう未練がなくなってきた。

日露戦争から太平洋戦争までの、殆ど戦争で亡くなったひとの作品が1000句のっているかな。なかには4人のグループで100句つくって、作者は誰とは書いてないけれど全員特攻隊。第13期海軍飛行予備学生という項目。もっとも鋭い問題を提起しているのがこの合作百句川柳だと考えるからである。この本の編集者は書いている。少しまた期間を作ってまた借りることにする。

自分の心を川柳にさらりと

2012-11-12 17:14:07 | 川柳
友人が言っていた。rバス旅行に行く前の日。さいたま市民文芸に短歌をのせている。8,9,10号とのっているという。現在は11号が送られた。そして1号は俳句をだした。応募は一部門になっている。川柳は、すぐに内容が消えていく。特に時事川柳は命が短い。そのときが過ぎてしまえばすべて終わりみたいな。その方は川柳も俳句も短歌もしているが、その歯ごたえというか手ごたえは短歌なんだろうと思った。そのひとのこだわりは短歌なんだ。

川柳をしている人はそうでない。いっぽ足をふみいれると、提灯をくぐっていく。そんな一角に庶民の集いがある。そこに川柳があるのだとおもう。

戦後傷病兵援護の法制度ができる前、経済的にも社会的にも難儀な時期のこと。傷病兵の川柳会での講演。
  「戦争は再びやってはいけない。それを五体に銘記されているのは貴方達の筈だ。敗戦によって自分の心まで見失ってはならないし、そのために川柳があるのだ。」
四国松山の柳人前田伍健というかたの講演のときのないようだと本にのっていた。

その人たちの句はまさに自分の心を詠んで川柳をつくっている。と絶対思う。
ろくに川柳を味わっていないのに、川柳の味がする。それはフランスパンの中のふっくらした軟らかい生地にも感じる。そんな側にある日常の味わい深いものだ。

石原青龍刀という人

2012-11-07 23:43:55 | 川柳
でその三人の中で石原青龍刀さんが中国に30年間もいて生き方が興味深い。戦後日本に帰ってきていろいろ新聞などたくさん選者をしていたようだが全部おろされている。真実の理由はわからないが…おろされることがあるのですね。日本を心から愛していたのに、経済復興とともに精神の荒廃をきたす。老妻を暴走族に撥ねられて失う。号泣した。本人も昭和54年9月5日死去。(1979年)享年81歳。

「墓標かと見れば国会議事堂です」    1970
「大陸郷愁あはれにたのし白菜鍋」    1964
「支那通りの辞書になかった国が出来」  1966 
昭和41年9月 今は史那といってはいけない。今でも北京街頭などで、白菜を零れ落ちそうになるまで積み込んだトラックや、道端のここかしこに山のようにおかれた白菜をみるそうだ。原風景であろう。

この人の生涯をたどると戦後史の脈絡がわかろう。いろいろ言われている一徹がさがある。
誰一人としていないだろう。こういうひとに関心をもつひとがいるだろうか。

三島女郎衆

2012-10-21 15:45:58 | 川柳
句会で三島女郎衆のことを詠んだ句があった。
みんな一瞬とまどった。これは差別用語ではないか?それが解ったうえで記述者が記述したいとも。それには検索すると、すぐでているから、というけれど。検索は…だからきちんと調べて…となっていた。でギャラリーと軽食喫茶のオーナーである地元のかたが、普通にお祭りで踊っています。と言われる。ジャーいいのでですね。となる。作者も自信を持って作句していた。

考えてみれば三島女郎衆の歴史は戦争にはじまり戦争に終わっている。
三島は東海道の宿場町。

天正18年(1590)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)が小田原北条氏攻撃に際し、将士の休養のために女たちを与え慰安(いあん)したことにはじまり、昭和20年の日本敗戦後の昭和31年に法律により廃止され三島女郎衆の歴史は終わっている。三島女郎衆はそれで生計をたてていた。

その後、毎年開催される三嶋大社の夏祭りには農兵節の踊りが披露され老若男女が喜んで行列に参加している。地元の人は三島女郎衆の影の部分を十分理解している筈なのに、あえて影の部分を軽蔑せず、むしろ三島女郎衆を繰り返し歌い込み、彼女らを弔うごとく踊りに集中する。という。

三島女郎衆の魂を昇華させ三島の水で清め鎮魂歌となっているのでしょうか。
昭和に入り、死出の旅路に就く多くの青年将校を見送った三島女郎衆を偲び憐み農兵節を淡々と喜んで伝えている方々は、真に大人だと思う。

ノーエ節
…溶けて流れて ノーエ溶けて流れて ノーエ エー溶けてサイサイ流れて三島に注ぐ3. 三島 女郎衆は ノーエ三島女郎衆は ノーエ ...

こういう歌詞である。前に何度か耳にしたことはある。

三島から帰るとき

2012-10-20 17:13:31 | 川柳
三島駅で調べてきた17:29にのりこむ。一行12人そして、熱海で東海道線17:48にのりかえる。東京駅19:40につく。一応大丈夫。一度決めた東海道線をこのまま東京駅にいけば取り敢えず東京までいけるから、安堵する。

それからみんな車両の中でいい感じに談話しながら、北へ向かう。5駅目の小田原付近から軌道修正の話となる。隣の席のイケメンの青年が話をきいていて、スマホ携帯で調べて、平塚で湘南新宿ライン乗り換え案が浮上がる。それいいねー。平塚乗り換えと帰路を一気に変更した。平塚は熱海より10駅目。

湘南新宿クライン快速・籠原行は「平塚」始発。そこが魅力で、このまま東京に駅についても、疲れたからだで、東京駅で京浜東北線に12人分の座席の確保は難しい。80歳代の人もまじっているから不安も消えました。よく、鎌倉をあるいてから、大船でお風呂にはいってから、打ち上げをして、帰りは湘南新宿線で大宮にむけて帰っていた。東京で乗り換えがなくて、わずらわしさが無くて済む。

よって帰路
三島17:29~17:42 熱海 2駅 JR東海道本線
熱海17:48~18:36 平塚 10駅 JR東海道本線東京行
平塚18:47~20:21大宮(埼玉県) JR14駅 湘南新宿クライン
とGO。みんなして、平塚で、ぞろぞろとおりて、始発の湘南新宿ラインにのりこむ。
ベクトルがうごくように。

帰って三島ー大宮で駅路線で検索したら 第一候補に載っていた。
検索する時、北浦和にすると、違う路線になる。新橋まわり、新宿まわりなど。いろいろある。
調べる時、どの路線がベターかを頭で考えて、駅名の入力をいろいろ変えてみると、条件を満たす路線を事前に見つかる。

三島の梅花藻

2012-10-19 23:06:29 | 川柳
たしかにあたりまえのことだった。
三島の街はせせらぎの音が聞こえる。
綺麗な川が街中に流れている。
住宅の間を縫うように湧水の清らかな川がながれている。

橋の下をかがめて渡る。飛び石を渡る。そして、木道が続いている。飛び石を5つくらいわたって、木道へとなる。その繰り返しだ。
そういうのが1.5キロくらい繋がっている。
川側の道をあるくのだけれど、そこに自動車もすれすれにくる。よけて歩くのですが、乗用車は川側を縫うように過ぎていく。川に車輪を落としてしまうほどぎりぎりなのである。

飛び石の道もしつこいほどながくてたいへんだった。
友人は右足を落として、その右足の靴が水に浸かってしまった。
運よく浅かったものの、結構深いところもある。そこはふくらはぎほど水に浸かるであろうか。

確かに当たり前のことのようにこのドレミファロードは続いている。
そして川の流れには梅花藻がはえていて、水の流れに身を任せて、ゆらゆらと揺れていた。
とりもなおさず三島の風景のfeaturesだ。

支援とは生意気だから交流といおう

2012-10-11 12:01:54 | 川柳
川柳の講師はいつも頭が下がる。
言葉の端々にぐっとくる人間としての温かみがある。

地震の被害にあわれた釜石の大川小学校と浦和の高校との交流会に午前中いかれたそうで、その時の話を聞かせてくれた。
教え子さんが先生来てよ為になるからといってくれて、昨日午前中いかれたそうで、その話をかいつまんで聞かせてくれた。午前と言っても12時からいって、と言われていた。川柳が13時からで遅刻するかもといっていたが、遅刻せずに間に合われた。それだけでも関心していたのに。

そして支援とは生意気だから交流という

御葬儀屋さんが心の底から泣いたという。家族全員がなくなられて、甥っ子とか姪っ子が葬儀を出されたそうだ。
大事なことは「てんでんににげろ」という。
人の事は構わず自分で逃げろ。てんでんばらばらからだそうだ。

発想イメージ。がいい。
私がなまいきなことを言うのはいけない。先生はいつもそういうお考えである。

だれもが思っていても。だれもが生意気にふるまっている。そういう人が多いのに。

ケーキにまつわる話

2012-10-11 11:26:48 | 川柳
昨日は川柳の日だった。
題詠がケーキ2句。それと雑詠が2句。

清記~選句~披講~合評となるけれど、いつも時間のかんけいから、題詠が雑詠のどちらか一方を合評することになっている。

本日はケーキが面白い句がおおいからとケーキ

みなさんの生き様が句にでいてはなはだ面白い。

●昔働いていて、接待で必ず帰りに、家族のためにケーキを買ってくれる。勘接待側が余計な勘ぐりをご家族にもたせないために、手渡すのだという。
●バイキングのケーキをとりたいのだけれど、もうなにも残っていない。ホテルの人に言えばいいものを、言えない。
●食べ放題の欲しいケーキは無くて、みんな持って行っている。食べたいのに。女性は全種類のケーキもっていくんですね。そんな男性人の本音。
●子供の夢はパティシィエ
●孫には持って行くけれど。孫はケーキをもってこない。
●切り分けたケーキの一番小さいのをくれるから、それで家庭内での俺の地位を知った
●さりげない共同作業で手がふるえた。
●自分の分まで食べる別腹をもっている相方
●きまぐれでケーキを買っていったところ、疑われた。

本当にこれまでのささやかな人生が楽しそうですね。川柳の醍醐味です。


五輪呆け

2012-08-09 16:31:11 | 川柳
昨日は川柳の日だった。
このところ、オリンピックを夜中の3時ごろまでみていて、ぼーっとしていて、気が付いた時は、用事がぬけていて、いってないのがいくつかある。

市ヶ谷も携帯に電話貰っても、すっかり忘れていた。駅のホームで待っているというので、30分以内で合流した。もう申込金をはらっていて、しかも2000円だったから、迷惑をかける。

それでこの日の川柳は前の日から厳しく自分に言い聞かせていた。
それに席題を決める順番にあたっていた。

河童の句

2012-05-16 11:39:04 | 川柳
川柳に河童の句がとにかく多い。目につく
何故に、なぜに。
…河童の空に青空がある
風景はなんとなくわかるが、、雄大なとはわかるけれど、言葉のインパクトはある。
河童の運用について、きちんと開示して欲しいきがする。選者が作った句であるから、それなりに意味があるのでしょうけれど。不当な権利を乱用しているかとも思える。
何故になぜに。

俳句でも河童はある。いわゆる河童忌、餓鬼忌、我鬼忌。として。7月24日。

きりり、やさしい美しい句

2012-05-15 17:09:34 | 川柳
俳句も技巧がたっぷり入った句がある。5つくらい言いたいことがはいっていた。多分いい句であるのでしょう。主宰誌の三番目に掲載されているから。でも読んでいて後で思い出せない。まるで活字に刺殺されているようだ。春の水と満ちてこぼれずと川の名が星の名、などほかのもこれと似たようなたくさんの言葉であふれている。役者はそろっている。と言う感じで。

それでもこの句は片足で踊っているようにしかみえないのである。脚は二本あるのにね。たこの脚みたいにつかっているとしか思えないの。矛盾して勘違いかも知れないけれど。そんな句にお目にかかることが多い。精々二つあればいいと思う。先生は二句一生だとよく口にされるけれども。

句会で選句しているうちに、自然と自分の好みがわかるようなこであろうかと思われる。きりりとして、美しく優しい言葉で、それが一番人になじみがいい。

旧派柳風会系

2012-05-14 07:22:55 | 川柳
自分の川柳をかってに方向づけしていた。しかし旧派柳風会系とわかった。
以前教えていただいた六大作家は新川柳の流の中に位置していた。

流の系統図のなかに、相関図のようではあるが、その中に吉川雉子朗さんがかかれている。このかたは宮本武蔵で有名な作家「吉川英治」さんである。
しかしこの部屋の後ろに業者がきて、といっても川柳マガジン社であるが、いろいろ本をうっていた。そのなかに、このグループもはいっていたから、垣根はないに等しい気がした。

俳句でいうような高い仕切りはないようであった。キリスト教でいうような、カトリックとプロテスタントというような垣根は見受けられないと思った。