教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

エリート学生のつまづき~家庭裁判所裁判官との懇談会から

2007年02月28日 | 子育て
 早稲田大学生スーパーフリー事件や京都大学アメフト部員暴行事件・大阪大学生ホストによる監禁恐喝事件等を持ち出すまでもなく、有名大学在学生の凶悪事件が後を絶ちません。私が教員生活を始めた頃、学習面で良くできる中学生の多くはクラブ活動や生徒会活動でも活躍し、人間的な魅力も持ち備えていました。ところが最近ではテストの点数は取るが、掃除や係活動はしない、クラス行事にかかわろうとせず潰そうとするという傾向を持った「優等生」の増加が見られるようになりました。

 長年少年事件に関わった家庭裁判所の関係者からも同様な指摘がされています。大阪家庭裁判所裁判官との懇談の場で、このようなお話がありました。

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 暴行・窃盗で事件となった有名な国立大学の大学生が、面接を始めた段階から自分には能力があると言ってのけ、優れた者は何をしても許されると心から信じ、事件になったこと事体がおかしいと不満を述べる。間違っていると言うと、こんなに真剣に言っているのに分からないのですか、と逆切れする。意識の中に、高学歴の者は、社会のすべてにわたって優遇されるという意識が深く根付いている。この独りよがりの幼児的な傲慢さが「エリート」たちを思わぬ犯罪へ導く。被害者が受けた心身の痛みに対し関心がなく鈍感である。「何をどう謝ればよいか教えてください」とも言う。

 エリート学生の生育歴調査で特徴的なことは、日常生活での他者との関係性が量質ともに不足していることがあげられる。自然や友人とのふれ合いが少なく、放課後も大人が管理した時間で過ごしている。学習塾・習い事・スポーツ教室に通うのに忙しく、子どもだけで群れを作り遊ぶという体験が乏しい。そのため仲間を誘う、待つ、もめる、仲直りをするなどの積み重ねが少ない。こういった子どもたちの多くに共通するのは、思春期の反抗期が無いことである。悩まない思春期を送っていて親の庇護(ひご)に安住し自分のなかの葛藤や困難と向き合うことを避けてきた。だから判断に迷う場面に遭うと混乱を起こし、うまく解決する術を見出せないのである。

 エリートたちは成績が良いことのみを善とし、周囲の評価に合わせた自分作りを行ってきたため常に不安の中で過ごしている。成績が伸びないと(かつての自分が他者にそうしたように)全人格まで否定されるという脅迫観念に追われ、不安を抱くケースが少なくない。成人になっても成績主義的価値や文化が人格の深くまで浸透し、競争的な制度のもとで「できる自分」を演じ続けようとする。そのため多くの者が恒常的な心的ストレスを蓄積している。彼らが「できない」自分をも肯定できたら、どんなに気持ちが楽になるだろうか。

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 私はお話を聞き頷(うなず)きながらも自分が関わる子どもたちは大丈夫なんだろうかと心配になりました。テストで素晴らしい点数をとることで私たち大人は安心してしまいがちです。しかし時期を失うと身につかないのは学力だけではありません。子どもは子ども同士の遊びの中で(ゲーム遊びではなく、決してリセットできない他者との遊びを指します)我慢する、順番を守る、仲直りするなどの人間としてのルールを身につけるのです。子ども時代にこれらのルールを身につけるチャンスを逃すと、取り返しがつかないことになることをエリート学生たちの起こす事件が教えてくれていると思うのです。