教育相談室 かけはし 小中連携版

ある小学校に設置された教育相談室。発行する新聞「かけはし」が、やがて小・中3校を結ぶ校区新聞に発展しました。

子どもは大人たちの善意の中で育つ

2007年02月02日 | 子育て
 私がT市内にある幼稚園や小学校に通っていたころのことです。小学校から生家までの200mばかりの道沿いにある家は、すべて上がりこんだことがありました。

 隣家のO銀行独身寮には長い木の廊下があり夏の暑い午後はひんやりしていて絶好の避暑地でした。バス通りを隔てたNさんの家には2歳年下の可愛い男の子がいていつも私が連れまわしていたし、その隣のIさんの家には見事な枝振りの桜の大木があり夏休みともなれば朝の6時頃からその木に登って蝉捕りをしていました。その隣のSさんの家では生まれて初めてシュークリームを食べさせてもらい、その隣にいたOさんの家にはお気に入りの犬がいて給食のパンの残りを食べさせていたし、その隣の一つ年下のK君の家には立派な暖炉があり昼食をいただくこともしばしばあり、その隣の家には当時としては珍しい芝生の庭が広がっていて歩きだして間もない男の子と芝生の上で遊び、学校の向かいには私を取り上げてくれた産婆さんがおられ…と果てしなく記憶が続きます。

子ども心にも一宿一飯の恩義を感じ、出会えば挨拶しなければならない大人ばかりでした。大塚市場におつかいに行けば「けんちゃん、今日は何を買いにきたん」と声をかけられ、子どもたちの買い食い場所であった駄菓子屋の『のむら』のおばちゃんも『まえだ』のおっちゃんも、遊び場だった住吉神社の神主さんも、みんな仲良しの大人たちでした。今になって考えてみれば、私には同学年・異学年を問わずたくさんの友人がいましたが、それにもまして多くの大人たちの善意を受け、守られながら育ってきたのだと思います。 

現在ではスーパーの進出で大塚市場はつぶれ、対面販売の店自体がなくなってしまいました。駄菓子屋は駐車場になり、住吉神社も神主は去り無人の神社になりました。街の暮らしの中から人と人の関係が消え、金と物の関係だけが残ったように思えます。子どもを育てるという機能が、この街のどこに残されているのかと考えてしまいます。

私は50年同じ街に住み続けていますが、この地域の変化に「変わり果てた」という言葉を連想してしまいます。こんなふうに思うのは、年末に観た吉岡秀隆くんの映画「オールウェイズ」のせいだけではないと思います。小中学校のPTA活動が、大人と子ども、大人と大人の関係を少しずつでも取り返していくことにつながることを願っています。