2007年 1992年
募集 専願 併願 募集 専願 併願
《男子校》
大阪 280 209 628 495 500 1616
清風 355 187 1026 685 511 1359
摂陵 245 157 327 315 234 606
北陽 300 170 678 545 527 2408
明星 135 86 266 250 278 334
《女子校》
薫英 240 152 283 540 474 1450
成蹊 280 127 445 570 587 1070
四天王寺 165 115 566 447 375 1093
宣真 320 221 565 520 416 740
梅花 240 148 251 370 358 433
《共学校》
英真 320 192 565 616 530 652
追手門 174 148 1148 268 286 618
大阪学院 400 411 630 430 591 492
関西大倉 320 207 1353 540 634 832
関大一高 190 286 74 268 587 39
大商学園 380 320 1168 450 689 926
箕面学園 220 104 161 423 549 696
箕面自由 310 167 784 272 371 874
桃山学院 520 431 1268 630 535 1127
履正社 381 309 299 495 317 88
同志社香里 60 67 0 90 250 7
(各校の実際の募集は学科や類系ごとですが、便宜上学校ごとに総計しています)
【入学試験をめぐる変化】
私が教員の仕事に就いた1970年代(多くの保護者のみなさんが小中学生時代を過ごした時期と思います)は、大阪府の15歳人口増加期であり、厳しい入学試験が続いていました。ほとんどの私立高校は専願者だけで募集定員を上回りました。公立高校については本来の希望者に加え私立高校不合格者も集中し、ますます狭き門となりました。
生徒数の増大にあわせ、公立では新設高校が次々と誕生しました。それでも多くの私立高校は専願者だけで定員に達していたのです。
この傾向は第二次ベビーブーム世代が受験を迎える1990年代前半まで続きました。しかし少子化の影響が出始めた2000年代になり入学試験の様子は一変します。大阪府下の7割以上の私立高校が募集定員割れを起こすという私学にとっては深刻な(受験生にとってはラッキーな)状況が始まったのです。上の表を見ても分かるように私立高校の専願者が定員に達したケースは1992年の11校から、3校に激減しています。
【少子化時代を迎えた私立学校】
1990年代に私立学校は少子化時代に向け、①大阪府との間で公立・私立高校の定員について話し合いを行いつつ、②共学化と③中学校の併設を進めてきました。
まず①の公立高校の定員削減についてです。大阪府は私立高校の果たしてきた歴史的役割を尊重し、公立高校と私立高校の収容率を7:3という比率で考えてきました。生徒減少期の今も公立・私立高校はともに定員を減らしながら7:3という収容比率を保っています。(これに沿って公立高校の統合再編が進んでいます)お互いが募集定員を減らすことにより、公立・私立を問わずできるだけ高校をつぶしたくないという大阪府の配慮が働いています。
②の共学化についてです。かつて大阪府下私立高校のほとんどは、男女別学でした。T地区でも共学校は3校のみでした。男女別学は建学精神ともかかわる私立学校の特色の一つでもあり、結果としては男子校と女子校の間で生徒争奪が激化する防波堤にもなっていました。しかし少子化時代の到来は私立学校間の共存共栄時代を終わらせ、一挙に私学の共学化を推し進めました。(同時に校名も変わった学校も少なくありません)
③の中学校併設は、高校での募集減で空きが生じた施設などを有効に活用させるだけでなく、安定した高校入学者を作り出すことになりました。中学校開設は、当時の文部省が発表した「ゆとり教育」に対する保護者の不安感にも助けられ、ほぼ成功する形で現在に至っています。
募集 専願 併願 募集 専願 併願
《男子校》
大阪 280 209 628 495 500 1616
清風 355 187 1026 685 511 1359
摂陵 245 157 327 315 234 606
北陽 300 170 678 545 527 2408
明星 135 86 266 250 278 334
《女子校》
薫英 240 152 283 540 474 1450
成蹊 280 127 445 570 587 1070
四天王寺 165 115 566 447 375 1093
宣真 320 221 565 520 416 740
梅花 240 148 251 370 358 433
《共学校》
英真 320 192 565 616 530 652
追手門 174 148 1148 268 286 618
大阪学院 400 411 630 430 591 492
関西大倉 320 207 1353 540 634 832
関大一高 190 286 74 268 587 39
大商学園 380 320 1168 450 689 926
箕面学園 220 104 161 423 549 696
箕面自由 310 167 784 272 371 874
桃山学院 520 431 1268 630 535 1127
履正社 381 309 299 495 317 88
同志社香里 60 67 0 90 250 7
(各校の実際の募集は学科や類系ごとですが、便宜上学校ごとに総計しています)
【入学試験をめぐる変化】
私が教員の仕事に就いた1970年代(多くの保護者のみなさんが小中学生時代を過ごした時期と思います)は、大阪府の15歳人口増加期であり、厳しい入学試験が続いていました。ほとんどの私立高校は専願者だけで募集定員を上回りました。公立高校については本来の希望者に加え私立高校不合格者も集中し、ますます狭き門となりました。
生徒数の増大にあわせ、公立では新設高校が次々と誕生しました。それでも多くの私立高校は専願者だけで定員に達していたのです。
この傾向は第二次ベビーブーム世代が受験を迎える1990年代前半まで続きました。しかし少子化の影響が出始めた2000年代になり入学試験の様子は一変します。大阪府下の7割以上の私立高校が募集定員割れを起こすという私学にとっては深刻な(受験生にとってはラッキーな)状況が始まったのです。上の表を見ても分かるように私立高校の専願者が定員に達したケースは1992年の11校から、3校に激減しています。
【少子化時代を迎えた私立学校】
1990年代に私立学校は少子化時代に向け、①大阪府との間で公立・私立高校の定員について話し合いを行いつつ、②共学化と③中学校の併設を進めてきました。
まず①の公立高校の定員削減についてです。大阪府は私立高校の果たしてきた歴史的役割を尊重し、公立高校と私立高校の収容率を7:3という比率で考えてきました。生徒減少期の今も公立・私立高校はともに定員を減らしながら7:3という収容比率を保っています。(これに沿って公立高校の統合再編が進んでいます)お互いが募集定員を減らすことにより、公立・私立を問わずできるだけ高校をつぶしたくないという大阪府の配慮が働いています。
②の共学化についてです。かつて大阪府下私立高校のほとんどは、男女別学でした。T地区でも共学校は3校のみでした。男女別学は建学精神ともかかわる私立学校の特色の一つでもあり、結果としては男子校と女子校の間で生徒争奪が激化する防波堤にもなっていました。しかし少子化時代の到来は私立学校間の共存共栄時代を終わらせ、一挙に私学の共学化を推し進めました。(同時に校名も変わった学校も少なくありません)
③の中学校併設は、高校での募集減で空きが生じた施設などを有効に活用させるだけでなく、安定した高校入学者を作り出すことになりました。中学校開設は、当時の文部省が発表した「ゆとり教育」に対する保護者の不安感にも助けられ、ほぼ成功する形で現在に至っています。