犯罪被害者の法哲学

犯罪被害・刑罰・裁判員制度・いじめ・過労死などの問題について、法哲学(主に哲学)の視点から、考えたことを書いて参ります。

曽野綾子著 『太郎物語・大学編』

2010-06-01 23:37:17 | 読書感想文
p.88~

 あらゆることに図太くあることが、太郎の理想なのだが、大ていの場合うまくいかない。図太くあるということは、しかもどういうことなのだろう。生れつき図太いという人間がもしいるとしたら、それは、鈍感ということなのだと思う。
 本当は感じているのだが、いろいろ考えてジダバタしてみても仕方ないので、じっと軽挙妄動せず、かつ、或る程度、あきらめてしまうことが、図太くなる道だ、というふうに、目下のことろ、太郎は考えている。

 太郎は、本田悌四郎を決して嫌いなのではなかった。父方の親戚の中では、むしろ好きなタイプであった。第1に、本田悌四郎は威勢が悪い。水割りのビールをちびちびすするような表現は、見栄っ張りの正反対なのである。太郎がなぜ、見栄っ張りを嫌うかというと、多くの見栄っ張りは弱いからであった。
 本田悌四郎のもう1つ立派な点は、人間や世の中を見る目が確かなことである。外界が、穏やかに、しかもよく見えると、人間は自然に、落ちついて、肩の力を抜くことができるものらしい。つまり精神が、もっとも、その人らしくふるまえるようになる。


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 平成22年に生きる社会人の私は、昭和51年の大学生である太郎君から教えられることがとても多いです。