宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

『伊勢物語』(Cf. 在原業平825-880)「第36段 玉葛(タマカヅラ)」:山の峯までずっと生えている玉かづらのように、あなたとの仲をずっと続け、「絶えよう」と私は決して思っていないのに!

2022-01-15 16:14:57 | Weblog
むかし、「私のことをお忘れになったようですね」(「忘れぬるなめり」)と恨み言(「問ひ言」)を言ってきた女のもとに、男が贈った歌。

「谷せばみ峰まではへる玉かづら絶えむと人にわが思はなくに」
谷が狭いので(谷せばみ)、山の峯までずっと生えている玉かづらのように、あなたとの仲をずっと続け、「絶えよう」と私は決して思っていないのに。

《感想1》「女」は『蜻蛉日記』の藤原道綱母(ミチツナノハハ))のようにすぐれた歌人としての自尊心のある人かもしれない。
《感想1-2》だが「男」(在原業平)は「女」に気を遣い優しい。藤原兼家が道綱母に気を遣ったのに似る。(Cf. 道綱母は、この時代の一夫多妻制を受け入れられない人だった。)

《感想2》もし「女」が『源氏物語』の六条御息所 (ロクジョウノミヤスドコロ)のような人だと「男」は大変だ。(Cf.  多分、この「玉葛」の「女」は「此の世」的な平均的な女性のようだと、評者は思う。)
《感想2-2》気位が高い六条御息所は、自分の心を持て余す。源氏の心がわりに苦悩し、生霊(イキリョウ)となって源氏の正妻葵上(アオイノウエ)をとり殺す。死後も怨霊となり、紫上(ムラサキノウエ)や女三宮(オンナサンノミヤ)を苦しめる。 

《感想3》『伊勢物語』は「此の世」的なストーリーだ。おどろおどろしい「生霊」「怨霊」はでてこない。紫式部は『伊勢物語』をすでに読んでいた。『伊勢物語』の「此の世」的世界に、「あの世」的「生霊」「怨霊」を登場させ、新たな趣向を加え、『源氏物語』を書いたのかもしれない。


★『伊勢物語』第36段「玉葛」
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