宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ本論(四)「精神の史的叙述」2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」(その5):「判断」が「弁証法」的なので、「自己疎外」があらわれてくる!

2024-08-08 15:12:26 | Weblog
(61)「教養の世界」(「自己疎外的精神の世界」)において③「国権」は「善」、これに対して「財富」は「悪」だ!
★(BB)「精神」B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」a「教養と現実の国」すなわち「教養の世界」には、①「現実意識」に映じたさいの「客観的」な対立である「国権」(「風」)と「財富」(「水」)の対立、また②「純粋意識」における「主体的」な対立である「善」(「風」)と「悪」(「水」)との対立という2つの対立がある。(262-263頁)
★a「教養の世界」には、①「客観的」(「現実意識」)には「国権」と「財富」との対立、また②「主体的」(「純粋意識」)には「善」と「悪」との対立という2つの対立がある。(263頁)
☆しかしこれは「教養の世界」の「概念」における2つの対立である。(263頁)
☆ヘーゲルの「論理学」では「概念」はいつも「判断」に、そして「判断」は「推理」に発展していく。(263頁)
☆かくて「判断」の段階と、「推理」の段階とが考えられなくてはならない。(263頁)

★「判断」はどのようなものか?「判断」はむろん「客体」と「主体」との関係、したがってここでは「客体的対立」(「国権」と「財富」)と「主体的対立」(「善」と「悪」)との関係だ。(263頁)
☆「判断」として最初にあげられるのは、③「国権」は「善」であり、これに対して「財富」は「悪」ということだ。すなわち「国権」(「風」)は「普遍的」でいつも「自同性」を保つので「善」だ!これに対し「財富」(「水」)は《「個別」あるいは「対他」・「対自」》でいつも「自己とちがったもの」になるので「悪」だ!(263頁)

(61)-2 ヘーゲルにおける「判断」はいつも「弁証法」的なので、③「国権」は「善」、「財富」は「悪」の反対、すなわち「国権」は「悪」、「財富」は「善」も成立する!①「客体」自身の内部においても「弁証法」的な「転換」があり、「国権」がじつは「財富」、「財富」がじつは「国権」ということがある!②「主体」の側面でも「善」が「悪」、「悪」が「善」になるということがある!そうしてまさにこのところに「自己疎外」があらわれてくる!
★ところでヘーゲルにおける「判断」はいつも「弁証法」的なので、必ずしも③「国権」は「善」、「財富」は「悪」とは限らない。むしろその反対、「国権」は「悪」、「財富」は「善」も成立する。(263頁)
★いなそれのみならず、①「客体」自身の内部においても「弁証法」的な「転換」があり、「国権」がじつは「財富」、「財富」がじつは「国権」ということがある。(263頁)
★かくて「判断」はますます混乱したものになる。(263頁)
★しかしまさにそうなるところに、「判断」が単なる「悟性的判断」でなく「弁証法的な精神的判断」であることが発揮されるのだと、ヘーゲルは考える。(263頁)

★そうしてまさにこのところに「自己疎外」があらわれてくる。(263頁)
☆①「客体」の側面でも、「国権」は「国権」、「財富」は「財富」でありながら、それでいて「国権」は「財富」、「財富」は「国権」に転換し、②「主体」の側面でも「善」と判断されたものも「悪」、「悪」と判断されたものも「善」と判断されざるをえず、かくて①「国権」が「財富」、「財富」が「国権」に、②「善」が「悪」、「悪」が「善」になるというわけで、ただいたずらに「転々動揺」があるだけであり、したがって人間は全く「自己疎外」の状態に置かれている。(263頁)

(61)-2 ①「客体」の側面でなぜ「国権」が「財富」になり、「財富」が「国権」になるか?
★しかし①「客体」の側面でなぜ(a)「国権」が「財富」になり、(b)「財富」が「国権」になるかというと、(a)「国権」はむろん「権力」により統一づけるものではあるが、じつは「権力」は「国民の各自に自由な存在を認め、幸福を享受させる」ことによって、「国民の献身を期待しうる」ところにのみ存在するからだ。いいかえれば「国権」はむしろ自己自身を「財富」として個々人に差し出し享受させて初めて「国権」でありうるからだ。(264頁)
☆逆に(b)「財富」であるが、「財富」はむろん「私一個の欲求」からくるもので決して「公共的」なものではない。しかしすでに(C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」(行為)c「徳と世路」で述べたように、「財富」(「富」)を積むためには、例えば「大きな事業」をすることが必要だが、これは「多くの人々」に関係し、「多くの人々」をうるおすから、「財富」は「個別的」のように見えながら、じつは「公共的」・「普遍的」なものであり、かくて「財富」は、「国権」と結びつき、また「財富」それ自身が「国権」とならなくては、「財富」も「財富」にならない。(264頁)
★このようにして(a)「国権」が「財富」になり、(b)「財富」が「国権」になる。(264頁)

《参考1》 (C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」の段階の課題は、「範疇」(※理性)をまず①「対象」に即して展開すること(A「観察的理性」)、次に②「自己意識」に即して展開すること(B「理性的自己意識の自己自身による実現」a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、最後に③「『対象』と『自己意識』の統一」に即して展開することだ。(C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)これらの3つ(①②③)が(金子武蔵の目次においては)(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」である。(160頁)

《参考2》 ヘーゲル『精神現象学』《 (C)(AA)「理性」B「理性的自己意識の自己自身による実現」=「行為」》のまとめ。a「快楽(ケラク)と必然性(サダメ)」の段階では、ただ「わが身」のことばかり求め、「社会」の中に住んでいても、「社会」に積極的に参加できる人間ではまだなかった。b「心胸(ムネ)の法則、自負の狂気」の段階ではその「法則」は「客観的普遍的な法則」でなく、「自分一個の胸のうちにある」にとどまる。c「徳と世路」の段階で「徳」をそなえるが、この「徳」は「世路」に敗北し「現実的」なものとなり、かくて初めて「人間」は「世の中」の一員たる資格を獲得する。(204-205頁)
☆ここに「社会」の段階が出てくる。「社会」とは金子武蔵氏が言い換えたのであって、ヘーゲル自身はC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」という表現を使う。(205頁)

《参考3》(C)(AA)「理性」におけるB「行為」=「理性的自己意識の自己自身による実現」のc「徳と世路」において、「世路」(「市民社会」・「世の中」)と一体化した人間は①「個別的」(「徳」)でありながら「普遍的」(「世路」)であり、「普遍的」なものも「個別的」であることを、また②「個別的」なもの(「徳」)はむろん自分を否定して「普遍的」なもの(「世路」)に参与しなくてはならないが、「普遍的」なものも自分を否定して「個別的」なものに存在を許してくれることを、チャンと自覚している。かくてそうした人間は、もう「社会」のうちになんらの抵抗をも不安をも感ぜずに、気楽にその一員として生活し活動していくことができる。このことをヘーゲルはC「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」の段階と呼んだ。この段階を金子武蔵氏はC「社会」と言い換えた。(205頁)

《参考4》要するに(C)(AA)「理性」C「社会」の段階とは、「『徳』を具え、しかもこれが『世路』(世の中)と背馳しないものであることが自覚せられて初めて、人間は社会生活をなすことが可能になる」ということだ。(206頁)

Cf.   ヘーゲル『精神現象学』の目次!
(A)「意識」(「対象意識」):Ⅰ感覚的確信または「このもの」と「私念」、Ⅱ真理捕捉(知覚)または物と錯覚、Ⅲ力と悟性、現象と超感覚的世界
(B)「自己意識」:Ⅳ「自己確信の真理性」A「自己意識の自立性と非自立性、主と奴」、B「自己意識の自由、ストア主義とスケプシス主義と不幸なる意識」
(C)(AA)「理性」:Ⅴ「理性の確信と真理」A「観察的理性」、B「理性的自己意識の自己自身による実現」(a「快楽ケラクと必然性サダメ」b「心胸ムネの法則、自負の狂気」c「徳と世路」)、C「それ自身において実在的であることを自覚せる個人」(a「精神的動物の国と欺瞞あるいは事そのもの」b「立法的理性」c「査法的理性」)、
(BB)「精神」:Ⅵ「精神」A「真実なる精神、人倫」(a「人倫的世界、人間のおきてと神々のおきて、男性と女性」b「人倫的行為、人知と神知、罪責と運命」c「法的状態」)、B「自己疎外的精神、教養」Ⅰ「自己疎外的精神の世界」(a「教養と現実の国」b「信仰と純粋透見」)・Ⅱ「啓蒙」(a「啓蒙と迷信との戦い」b「啓蒙の真理」)・Ⅲ「絶対自由と恐怖」、C「自己確信的精神、道徳性」(a「道徳的世界観」b「ずらかし」c「良心、美魂、悪とその赦し」)、
(CC)「宗教」:Ⅶ「宗教」A「自然宗教」(a「光」b「植物と動物」c「工作者」)、B「芸術宗教」(a「抽象的芸術品」b「生ける芸術品」c「精神的芸術品」)、C「啓示宗教」、
(DD)「絶対知」:Ⅷ「絶対知」

Cf. 金子武蔵『ヘーゲルの精神現象学』Ⅱ「本論」:目次!
(一)「意識(対象意識)」1「感覚」、2「知覚」イ「物」ロ「錯覚」ハ「制約せられない普遍性(内なるもの)」、3「悟性」イ「力」ロ「超感覚的世界あるいは法則」ハ「無限性」
(二)「自己意識」1「生命あるいは欲望」2「主と奴」3「自由」
(三)「理性」1「観察」2「行為」3「社会」
(四)「精神の史的叙述」1「古代(あるいは宗教)」イ「東方的時代」ロ「ギリシャ時代」ハ「ローマ時代」ニ「原始キリスト教」、2「中世から近代へ(あるいは道徳)」イ「教養」ロ「信仰」ハ「透見」ニ「啓蒙」ホ「フランス革命」へ「ロマンティスィズム」、3「現代(あるいは絶対知)」

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