宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

叢小榕『老荘思想の心理学』第3章20「酒と純粋な精神状態――心身の弛緩から見える自然な生き方」(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生):酔った者、赤子、睡眠中の人は「純粋な精神状態」にある!

2024-01-18 13:05:18 | Weblog
※叢小榕(ソウショウヨウ)編著『老荘思想の心理学』新潮新書、2013年:第3章「何が自然で何が不自然か」
(20)酒と純粋な精神状態――心身の弛緩から見える自然な生き方(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生タッセイ)
道家の関尹(カンイン)が言った。「酒に酔った者は、車から落ちた時、けがはしても死ぬことがない。車に乗っている意識がないし、落ちた自覚もない。死ぬこと、生きること、驚き懼(オソ)れることも、その胸中に入らない。このような『純粋な精神状態』では、いかなる物事にぶつかっても、びくともしない。」(『列子』黄帝、『荘子』外篇・達生タッセイ)

★酔った者、赤子(赤ちゃん)、睡眠中の人は「純粋な精神状態」にある。
★道家は「赤子」を精神状態の最も純粋な者の例としてしばしば取り上げる。『老子』第55章に「徳を厚くそなえている人は、赤子に比べることができる」とある。『列子』「天端」には「嬰孩(エイガイ)の時期にあっては、精神が純粋にして雑念がなく、和の至りであるから、外物から傷つけられることもなく、至高の徳がそなわっている」とある。
★「純粋な精神状態」とは、安危も利害もまったく意識せず、自然のなりゆきに身を任せる「弛緩状態」、つまり「自然な状態」である。「弛緩状態」にあれば、緊張が生じず、身体が構えず、抵抗による不自然な摩擦や衝撃が起こらないため、外物によって傷つけられにくい。
★中国拳法の一つの「酔拳」では、酔態が弛緩状態として、ポジティブに生かされている。Cf. 『ドランクモンキー 酔拳』(1978)ジャッキー・チェン主演の香港映画。実在の武術家・黄飛鴻(コウヒコウ)(1847-1925)がモデル。酔八仙拳に基づくカンフーを見せる。
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