宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

三田村信行(1939-)「おとうさんがいっぱい」(1975年)『絶望図書館』(頭木弘樹編)所収:1人のおとうさんが、おとうさん(1番)・(2番)・(3番)へとワープ的に分裂し乱闘する!

2018-09-17 21:15:31 | Weblog
(1)
全国の家庭でおとうさんが増えた。(増えない家もあった。)トシマ・トシオの家ではおとうさんが3人(1~3番)になった。「自分が本物だ」とお互いに喧嘩し、大騒ぎになった。おかあさんは狼狽し、病気になってしまった。
(2)
全国でおとうさんが増えたのは、1週間だけだった。その後、政府は家庭再組織委員会の調査官を各家庭に派遣し、増えたおとうさんのうち、「誰を本当のおとうさんにするか」判定させた。トシマ・トシオの家では、トシオが判定者となり、おとうさん(1番)が本当のおとうさんと認定された。(実はトシオは困ってアミダで決めた。)他の二人のおとうさん(2番)・(3番)は、警察に連行され、国家の管理下で別人として生きることとなった。
(3)
問題は解決し、今や「全ては、一時的な悪夢にすぎなかったのだ」とトシオは思った。おかあさんも元気になった。そんなある日、玄関に誰かが来た。そこに何と、もう一人の自分(トシオ)がいた。そのもうひとりの少年(トシオ)は、自分(トシオ)を見て驚き呆然とした。

《感想1》
全く同じ身体、同じ生年月日、同じ経歴、同じ人生経験、名前(トシマ・タツオ)も同じ、3人のおとうさんが出現した。
《感想2》
最初のおとうさんから見ると、身体が同一・過去が同一だが、今以降は、身体・経験が別の他の2人のおとうさんがいることが驚愕だ。
《感想2-2》
おとうさん(1番)は先に会社から帰宅して家にいた。おとうさん(2番)が外から電話してきて、しばらくして家に帰って来た。飲み屋で飲みすぎ、公園で寝て夜明かししたおとうさん(3番)もいた。では分裂する前のおとうさん(1番=2番=3番)から、おとうさん(1番)・おとうさん(2番)・おとうさん(3番)へと分裂した時の具体的状況はどのようなものだったのか?
《感想2-3》
分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の身体は、そのまま、おとうさん(1番)の身体となり、分裂しワープして生まれたおとうさん(2番)の身体・おとうさん(3番)の身体が、この世界の中のそれぞれ別の場所に出現する。
《感想3》
分裂前、おとうさんの身体は一つしかない。その身体が分裂しワープして3つの身体になった。ただしおとうさん(1番)・おとうさん(2番)・おとうさん(3番)の各人の意識(記憶)と、分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の意識(記憶)が、つながっていなければならない。
《感想4》
分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の身体は、そのままおとうさん(1番)の身体となり、それとは別に、分裂しワープして、おとうさん(2番)の身体、おとうさん(3番)の身体が、この世界の中に出現したと考えられる。
《感想5》
おとうさん(1番)については、もとのおとうさんと身体が同一だから、つまり身体の場所が突然ワープし他の場所に移るということがないので、もとのおとうさんの記憶とつながる。
《感想5-2》
分裂しワープして異なる場所に出現する2つの身体は、今や違う場所にいて、その各おとうさん(2番)(3番)の意識(記憶)は、どのようにして、もとのおとうさん(1番=2番=3番)(今は1番)の意識(記憶)と連続しつながるのか?ワープすると、別の場所に移るので、場所に関してもとのおとうさんの記憶と普通、つながらない。
《感想6》
この場合、「覚醒」していたら、身体が分裂しワープしたおとうさん(2番)・おとうさん(3番)の分裂以後の意識(記憶)が、分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の経験の意識(記憶)と、断絶し連続しない。つまり場所の意識(記憶)が連続しない。かくて身体の分裂・ワープは、分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の「睡眠中」に生じるしかない。
《感想6-2》
1人のおとうさん(1番=2番=3番)が、土曜日で早く会社を出て、家に着く前、電車内で居眠りした。その時、おとうさんの身体は3つに分裂した。つまり、その場所にそのまま残った身体と、分裂しワープし他の場所に移動した2つの身体だ。
《感想6-3》
突然無から電車内の他の場所に出現した身体は、無からの出現を他者から気づかれてはならない。電車内の周りの他者たちは乗り降りの際に入れ替わりごちゃごちゃで、またドアの出入りの最中などに物陰からある人がワープして無から突然現れても気づかない。(どの身体も、他者と同じ世界の内にあるから、他者に無からの出現が気づかれてはならない。)
《感想6-3-2》
補遺:どの身体も、他者と同じ世界(日常生活世界or至高現実)の内にある。おとうさん(1番)・おとうさん(2番)・おとうさん(3番)の各人の意識(記憶)も、分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)の記憶も、この他者と共有された世界の意識(記憶)だ。
《感想6-4》ワープによる無からの《身体の突然の出現》を「他者」から気づかれてはならないと同時に、おとうさん(2番)・おとうさん(3番)「自身」が、他の場所への《身体の突然の出現》について知ってはならない。だから身体が電車内の他の場所に出現する時、おとうさん(2番)・おとうさん(3番)は夢遊病的に睡眠中でなければならない。そして分裂前の1人のおとうさん(1番=2番=3番)がすわった場所と似たような車内の別の場所におとうさん(2番)、おとうさん(3番)は、夢遊病的に睡眠したまま離れてすわる。彼らは、かつて1人のおとうさん(1番=2番=3番)だった今のおとうさん(1番)とも席が離れている。そして、おとうさん(1番)はいまだ睡眠中、おとうさん(2番)も、おとうさん(3番)も睡眠中だ。
《感想6-5》
かくて今や、同一の電車内に、互いに出会うことなく、おとうさん(1番)、おとうさん(2番)、おとうさん(3番)が存在し、互いに離れた座席に座って睡眠している。そして眠りから覚め、寝ぼけ状態で、おとうさん(1番)は、どこにもよらず早く帰宅する。おとうさん(2番)も寝ぼけ状態で席が変わったことに気づかず、電車を降り、寄り道し、家に電話をかけ、しばらくして帰宅した。おとうさん(3番)も寝ぼけ状態で席が変わったことに気づかないまま、電車内で偶然、友だちに会い、さんざん飲み、酔いつぶれて公園で夜明かしした。
《感想7》
以上が、1人のおとうさん(1番=2番=3番)が、おとうさん(1番)・おとうさん(2番)・おとうさん(3番)へと分裂し出現した時の具体的状況と推定される。(※これは評者による推定。しかも一例だ。作者は、分裂の具体的状況を説明しない。)
《感想7-2》
もとのおとうさんが、「自分が分裂しワープできる」と思っている(Ex. 分身の術を使う孫悟空)なら、評者が述べたような、①身体の分裂・ワープの際に本人たちが「睡眠中」あるいは「夢遊病的に睡眠中」であること、また②「他者たちに身体が無から出現することに気づかれないこと」というような具体的状況を考える必要がない。この小説のポイントは、分裂して出現した3人のおとうさんが、「自分こそ本当のおとうさんだ」(自分は分身などではない)と主張して、「自分が分裂しワープしたことを認めない」ことにある。
《感想7-3》
意識が一つのまま、身体が分身(分裂)し、分身した複数の身体に部分的意識が宿るケース(Ex. 上記、分身の術を使う孫悟空)では、「自分こそ本物だ」と分身が主張することはない。
《感想7-4》
ところが3人のおとうさんへの分裂(分身)のケースでは、分裂した身体に宿る意識のそれぞれが、「自分こそ本物の意識だ」と主張し乱闘する。「分裂後は別々の経験をしている別々の意識なのに、その分裂後の各意識が、過去と連続した一つの意識となっている」、つまり「今の別々の意識がどれも、同一の過去の経験の意識(記憶)と連続している」という事態が今、生じている。分裂した意識のそれぞれが、「自分こそ本物の意識だ」(分身ではない)と主張する。かくて「そのような事態がなぜ生じたか」を明らかにするため、身体のワープ的分裂の際の具体的状況を推定する必要があった。
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