宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

「2000年代 戦争と格差社会」(その5):「バーチャルな敵と戦う若者たち」羽田圭介『黒冷水』、舞城王太郎『阿修羅ガール』、佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』!(斎藤『同時代小説』5)

2022-04-19 22:54:16 | Weblog
※斎藤美奈子(1956生)『日本の同時代小説』(2018年、62歳)岩波新書

(53)「バーチャルな敵と戦う若者たち」:羽田圭介の17歳のデヴュー作『黒冷水』(コクレイスイ)(2003、17歳)、兄弟げんかの域を超えた壮絶なバトルで弟が廃人化する!
E  「良識のある大人」が目を白黒させそうな作品がまだある。(184頁)
E-2  羽田(ハダ)圭介(1985-)の17歳のデヴュー作『黒冷水』(コクレイスイ)(2003、18歳)は、高校2年生の兄と、中学2年生の弟が、兄弟げんかの域を超えた壮絶なバトルを繰り広げる物語だ。
E-2-2  弟が、兄の部屋に忍び込んで秘密の文書(Ex. エロ雑誌・エロ動画)を物色する。復讐として自分の部屋に様々な罠を仕掛ける兄。陰湿でフィジカルな攻撃に出る弟、頭脳戦で弟の自尊心をずたずたにする兄。それはやがて日常をおびやかし、最後は弟が廃人化する。(184頁)

《書評1》兄弟喧嘩ではすまない、陰湿で過激な復讐。発端は、弟修作の兄の部屋に無断で入る行為。その仕返しが怪我をさせるほどで、弟も気持ち悪いが、兄のやり口が酷すぎて、それを正義感だとしている兄が怖い。後輩に弟の愚痴を聞いて貰っていたら、その後輩は更に上をいく悪で、すでに弟を薬漬けにしていた。流石に兄は焦って弟を立ち直らせる・・・・。(ところが、どんでん返し。これらが小説の中の小説で・・・・)
《書評2》うーん。重い。描写が気持ち悪い。 憎しみ合う兄弟の話で、最終的に「全てが兄の書いた小説だった」という構成。 私も兄弟仲が良くないので「分からないでもない」が、あまりにも陰湿だ。「殺したい」とは、さすがに理解不能。なんとも胸が重苦しい。でも、相手やそれまでの関係性から「そう思ってしまうこともあるのかな?」 どちらにせよ、私に向かない。もうこの作家さんの本は読まないだろう。
《書評3》「黒冷水」ってどういう意味か、読み進めていけば分かるだろうと思い読み始めた。「黒く冷たい水」というと「陰」なイメージだが、「陰」なんてもんじゃない。真黒でどろどろし、負の感情すべてをごちゃまぜにしたような、気持ち悪くなるほどの「黒」描写だ。

(53)-2 バーチャルな世界とリアルな世界がないまぜになり、非現実的なことが突然起こる:舞城王太郎(1973-)『阿修羅ガール』(2003、30歳)!
E-3  女子も無事ではいられない。舞城王太郎(マイジョウオウタロウ)(1973-)『阿修羅ガール』(2003、30歳)の主人公アイコ(調布に住む女子高生)の初体験の相手は佐野。佐野が行方不明となり殺害された可能性が浮上。佐野に最後に会った人物となったアイコがリンチの対象となる。ネット上の匿名の掲示板に「アルマゲドンin調布」と無差別殺人を予告するスレッドが立つ。アイコはおびえながらも掲示板に「カツララブ子は超悪魔。便所。自宅の近くをうろうろしてるから狩ってマワして殺して良し!」と書き込む。こうしてアイコは現実とも夢とも妄想ともつかぬ戦場で逃げ惑う。(※街では連続幼児殺人犯『グルグル魔人』が暴れており、匿名掲示板『天の声』では中学生狩りが始まり、アイコが住む調布市はアルマゲドン状態となる。)(184-185頁)
E-3-2  バーチャルな世界とリアルな世界がないまぜになり、非現実的なことが突然起こる舞城王太郎の世界。(185-186頁)
E-3-3  『阿修羅ガール』では女子高生の日常語による一人称で緊張感のある世界が描かれる。(186頁)

《書評1》ほとんど改行なしで見開きいっぱいに埋まった文字、しかも女子高生の一人語り。奇妙な事件。圧倒される。なるほどこれが噂に聞いた「21世紀の新しい才能」か。注目されるのも何となく分かる・・・・しかし苦労して340ページを読み切っても、結局大した落ちはない。心が微塵も動かない。どうでもいい他人の夢を、山も谷もない妄想を、延々聞かされた気分になった。
《書評2》「ねえよねえよねえんだよ。」跳ねる女子高生の語り口とクサクサしてる感じが面白いと思っていたら、ヒュッと息を呑む展開。第二部に突入すると、なんの世界なのか勢いを増すカオスに此処は何処状態。しかし第三部で全てがわかり穏やかな風を感じるラスト。こんな幕引き想像できるはずもなく、圧巻だった。密かな片思いというミクロから、自意識と自己の存在というマクロへの飛翔。怪作!

E-4  兄弟で罠をしかけあう『黒冷水』(コクレイスイ)といい、匿名の掲示板が凶器と化す『阿修羅ガール』といい、青春小説の域を超えた「異常な世界」だ。彼らは「目に見えない相手」と戦っており、しかも自分の中の「破壊衝動」を抑えることができない。(斎藤美奈子氏評。)(186頁)

(53)-3 佐藤友哉(ユウヤ)『灰色のダイエットコカコーラ』(2007):「僕」は、「肉のカタマリ」である普通の大人だけにはなりたくないと焦り、人波にダンプカーで突っ込む!
E-5  『黒冷水』と『阿修羅ガール』と同質の少年が、佐藤友哉(ユウヤ)(1980-)『灰色のダイエットコカコーラ』(2007、27歳)にも描かれる。Cf. なお佐藤友哉『1000の小説とバックベアード』(2007)は一種のメタフィクション(※小説というジャンル自体に言及・批評するような小説、Ex. 作中作、詩中詩、劇中劇)だった。(186頁)
《書評:『1000の小説とバックベアード』》「小説」を書きたかったけど「小説のようなもの」である「片説」しか書けなかった「僕」に、なぜか小説の執筆を依頼する女性が現れる。「僕」は他の者たちからの妨害や助言を受けながら、なんとか「小説」を書こうする。佐藤友哉が「小説」に対し悩み、考え、感じたこと、つまり、自分の創っている「小説」について、「本物か偽物か」あるいは「価値or意味あるものか」という佐藤友哉の悩みと、それに対する彼なりの回答が描かれている。

E-5-2  『灰色のダイエットコカコーラ』の主役は「中二病」(※思春期に見られる背伸びした言動、態度が過剰に発現している状態)のテロリスト志望者だ。(186頁)
《参考》「中二病」の症例:「親に冷たい態度をとる」、「孤高を持する」、「ロックや洋楽を聴き始める」、「無理してブラックコーヒーを飲み始める」、「何でもやれば出来ると思う」、「売れたバンドを売れる前から知っていたとムキになる」等。

E-5-3  19歳の「僕」は北海道の冴えない町でくすぶるフリーター。(a)「僕」は、「覇王」の別名を持つ亡き祖父と、中学時代の友人「ミナミ君」を尊敬する。(b)「僕」が6歳のときに死んだ祖父は、町の権力を握った「怪人」。(c) 「ミナミ君」は「計画書」と題したノートに、圧殺、爆殺、刺殺、絞殺、殴殺、毒殺・・・・といった文字を書き連ね、「僕」を興奮させた。(c)-2 しかし「ミナミ君」は「神戸連続児童殺人事件」(男子中学生14歳が相次いで小学生5人を殺傷し、うち2人死亡させた。酒鬼薔薇聖斗サカキバラセイトと名乗る)の少年Aに嫉妬し、17歳で自ら命を絶った。(d)取り残された「僕」は、彼が「肉のカタマリ」と呼ぶ普通の大人だけにはなりたくないと焦り、人波にダンプカーで突っ込む。(186-187頁)
E-5-3-2 「僕」は思う。「これが見たかった/これがしたかった/アクセルを一気に踏み込む」、「右往左往する肉のカタマリ/逃げ遅れる肉のカタマリ/お前たちの存在意義は、ここで僕に殺されることだ」。(187頁)

《書評1》かつて63人もの人間を殺害し、暴力と恐怖の体現者たる「覇王」として君臨した今は亡き偉大な祖父。その直系たる「僕」がこの町を、この世界を支配する―そんな「虹色の未来の夢」もつかの間、「肉のカタマリ」として「未だ何者でもない灰色の現実」を迎えることに「僕」は気づく・・・・「僕」の全力の反撃が始まる・・・・
《書評2》(a)自身を他人(「肉のカタマリ」)とは違う格上(カクウエ)の存在と盲信、(b)見識の狭さから来る過剰な自意識、(c)実は喧嘩に強い、気が付けばハーレム状態を構築しているといった「イキリオタク夢想(無双)」的展開の陳列棚。(※「イキる」:偉ぶっている・調子に乗っている。)(※「無双」:あることが立て続けに起こること・状態。)
《書評3》青年期、誰もが一度は悩んだ事柄。「自分はこのままでいいのか? 日常をだらだら生きて、何者にもならないまま死ぬ。そんなの絶対に嫌だ。」だからといって、なにか特別な才能があるわけでもない。別段何かに力を注いでいるわけでもない。主人公には偉大な祖父がいた。彼は祖父のようになりたいと思った。しかしどうすればいいのかわからない。だけど、ただの「肉のカタマリ」になるのは嫌だ!
《書評4》最後に主人公は実は、見下していた「肉のカタマリ」としての生活を受け入れ、そしてその生活に喜びを見出す。しかしハッピーエンドとは程遠い印象が残る。

E-5-4 『灰色のダイエットコカコーラ』のダンプカーで突っ込むシーンは後の「秋葉原通り魔事件」(秋葉原無差別殺傷事件)(2008)を連想させる。(※秋葉原の歩行者天国において17名がトラックで撥ねられ、またナイフで刺され、うち17名が死亡。)(187頁)

E-5-5  佐藤友哉『灰色のダイエットコカコーラ』(2007)は、中上健次(1946-1992)の短編『灰色のコカコーラ』(1975、29歳)にインスパイアされた作品だ。(186頁)
《書評》中上健次『灰色のコカコーラ』:鎮静剤中毒の予備校生の無為な日々の物語。全篇に漂う無力感、静寂感、そして緊張感。一人称で「らりって」いる主人公が語り続ける。幻覚が現れ、また突然、何の関係もない人物が現れ去る。薬とモラトリアムの世界。主人公は幻覚のもとで、アイスピックで人を襲い、車を破壊し、女子学生を拉致し無免許運転し事故を起こす。鎮痛剤でふらふらに酔った主人公は、無感情で突如、暴力的行動に出る。理由なき暴力のリアリティー。

E-6  兄弟げんか(中2と高2)の域を超えた壮絶なバトルで弟を廃人化させる兄(『黒冷水』)、バーチャルな世界とリアルな世界がないまぜになり、現実とも夢とも妄想ともつかぬ戦場で逃げ惑うアイコ(女子高生)(『阿修羅ガール』)、「肉のカタマリ」である普通の大人だけにはなりたくないと焦り、「肉のカタマリ」どもにダンプカーで突っ込む「僕」(中2)(『灰色のダイエットコカコーラ』)。それにしても、この時代(2000年代)の青少年(中高生)は、いったいどうなってしまったのか?(187頁)

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