宇宙そのものであるモナド

生命または精神ともよびうるモナドは宇宙そのものである

テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『ポンペイ夜話』(1852):オクタヴィヤンの詩的な愛と、アッリアの愛欲的な愛が時空の移動によって出会い、二人の恋が成就する!

2018-10-23 22:56:11 | Weblog
(1)
フランスの若い青年3人がイタリア旅行に出かけ、ナポリでストゥーディ博物館を見物した。そこにはポンペイからの発掘品があった。オクタヴィヤンが深く心をとらわれたのは、ある溶岩(火山灰)の塊だった。それは女性の麗しい輪郭を保存した胸と脇腹の押型だった。それは、2000年前、紀元79年ヴェスヴィオ山の溶岩が彼女の身体を包んで焼き殺し、冷え固まったものだ。オクタヴィヤンはその押型の女性に恋をした。
(2)
その後、3人は鉄道に乗り、ポンペイ遺跡に向かった。そこには遠く消滅し去った生活がまざまざと保存されていた。玉石を敷き詰めた舗道、商店、屋根の抜けた家々、居酒屋、兵営、円形劇場、門、墓地など。オクタヴィヤンは驚きに打たれた。
(3)
やがて彼ら3人は、アッリウス・ディオメデスの別荘にたどり着いた。それは、ポンペイ屈指の建物であり彼らは門、中庭、談話室、廊堂、白大理石のテラス、浴室、古代の赤で彩色した八つの部屋等をまわり、そして最後に地下の酒蔵を見物した。
(4)
その酒蔵で、案内人が無関心に説明した。「ナポリの博物館に陳列されている押型のあの婦人の遺骸は、ここで17体の遺骸の間から発見されました。」「その婦人はいくつかの金の指輪をはめており、見事な上衣の切れ端が身体の形を保存した火山灰の塊に貼りついていました。」
(5)
貴重な遺骸が発見された正確な場所を知り、オクタヴィヤンは深い愛惜の涙を流した。彼の涙は、彼女が溶岩に窒息して死んだ場所へポツリと落ちた。
(6)
この時、友人の一人ファビオが、「考古学はもうたくさんだよ。飯を食おう。」と言った。3人は宿屋で食事をとった。やがて酒がまわり3人は女の話を始めた。ファビオは女の美貌と若さを追い求める快楽主義者だった。もう一人の友人マックスは、恋の複雑な策略が好きで、自分に最も関心の薄い女を、嫌悪から思慕にみちびくことだけに熱中した。
(7)
これに対しオクタヴィヤンは「現実の女には魅惑を感じない」と言った。彼は詩人で、恋を日常生活の環境から、星の世界、空想の世界に移そうとした。彼は時に彫像に恋をした。かくてアッリウス・ディオメデスの別荘の地下室から発掘された押型が、彼にこの太古の女性への恋を引き起こした。
(8)
この詩的な陶酔を、下劣な酒の酔いで乱したくないと思い、オクタヴィヤンは実は、食卓で酒を飲まなかった。彼はその夜眠れず、夜風に当たって頭を冷やし、心を鎮めようと夜中、宿を抜け出しポンペイの廃墟に向かった。
(9)
ポンペイの廃墟を月が照らす。オクタヴィヤンは時折ぼんやりした人の姿が闇の中を滑っていくのを見た。そしてなんと月の光のもと、廃墟の家がすべて修復されていると気づいた。時計が夜の12時を指した時、太陽が昇り始めた。ポンペイの街が復活し19世紀から約2000年前、ティトゥス帝の時代に戻った。
(10)
オクタヴィヤンはある上流階級の青年と出会った。そして彼に連れられオデオン座(喜劇劇場)に行った。劇の途中、彼は婦人席に居る飛び抜けて美しい一人の女性に気づいた。彼はこの女性こそ、ナポリの博物館の押型の婦人にちがいないと思った。彼女こそ、彼が恋する遠い歴史の闇の中の幻の婦人だ。
(11)
芝居が終わると、一人の少女がやって来てオクタヴィヤンに言った。「私はアッリウス・ディオメデス様のお姫様、アッリア・マルチェッラ様にお仕えする者です。お姫様はあなた様を愛していらっしゃいます。どうぞご一緒においで下さい。」彼は、ある秘密の家に案内された。そして浴室係の奴隷に引き渡され、古代の作法で体を洗われ、白い上衣を着せられた。少女が彼を別の部屋に案内した。
(12)
部屋の奥の寝台上にアッリア・マルチェッラが横たわっていた。二人は一緒に寝台へ横たわり食事した。彼女の腕に触れた時、オクタヴィヤンはそれが大理石のように冷たいと思った。彼女が言う。「私の魂は未だこの世をさ迷っています。あの博物館で、私の身体の形を保存する溶岩の塊の前で、あなたは熱いお心をお向け下さいました。あなたの激しいご愛情が私に命を取り戻させ、2千年の距離をなくしました。」
(13)
物質的な形が消え失せても、幽魂が宇宙をさまよう。熱情的な精神が、魂を遠く流れ去った過去から手元に引きよせ、万人が死んだと信じる人物をよみがえらせる。オクタヴィヤンは、アッリウス・ディオメデスの娘アッリア・マルチェッラへ愛を伝え、彼女がそれに応えた。彼女は今やティトウス帝の時代に一日の生を得て、二人はポンペイの(今は廃墟だが)かつての美しい寝台の上にいる。
(14)
アッリア・マルチェッラが言った。「あたしはあまりに長い間愛を知らなかったので、寒くてたまりません。私を抱いて下さい。」奴隷たちが去り、あとに二人の激しい恋の場面が続いた。
(15)
突然、そこに老人(父親)アッリウス・ディオメデスが現れた。彼はキリスト教の十字架を襟元に下げる。彼が娘に言った。「どうしてお前はよしない恋の戯れを、死んでも繰り返すのか?なぜ生ける者を生ける者の世界に任せることが出来ないのか?」娘アッリア・マルチェッラが答える。「私は命と若さと美しさと快楽を愛した古い神様方を信じます。色も香もない亡びの中に私を押し戻さず、せっかく愛が私に返してくれたこの生活を楽しませてください。」
(16)
老人(父親)が娘に続けて言った。「お前の神々は悪魔だ。お前は偶像教の冥途へ戻れ!」そしてオクタヴィヤンに「若いキリスト教のお方よ。この幽霊をお捨てなされ。」と言った。「わしの言葉に従うじゃろうな、アッリア!」と老人が叫んだ。「いやです。」とアッリアが答えた。
(17)
「それでは最後の手段に訴える!」と老人(父親)が言う。彼は激しく除魔の呪文を唱えた。するとアッリアの頬はたちまち蒼白に変わっていった。彼女から苦悶の溜め息が洩れた。オクタヴィヤンは自分を抱いていた彼女の腕が解けるのを感じる。彼女を包んだ夜具はしぼみ、部屋は廃墟と化した。そしてついに、そこに「骨をまじえる一つまみ」の灰だけが残った。オクタヴィヤンは激しい叫び声をあげて気絶した。
(18)
翌朝、宿屋でマックスとファビオは、オクタヴィヤンが居ないのに気付き、ポンペイの廃墟をさがした。最後に半ば崩れた小さい部屋で気を失って倒れているオクタヴィヤンを発見した。彼は「ぶらぶら歩いているうちに卒倒した」とだけ語った。
(19)
これ以来、オクタヴィヤンは深い憂鬱症にとらわれた。アッリアの面影が心につきまとい、あの悲しい結末も彼女の魅力を壊さなかった。やがて彼は耐えられず、ひそかにポンペイにもどり、月光の夜の廃墟を愚かしい希望に胸をときめかせ歩いた。しかし幻覚はふたたび起こらなかった。
(20)
オクタヴィヤンは、最近若く美しいイギリスの女性と結婚した。彼は申し分のない夫だった。しかし彼女は女の本能で、夫がほかの女を愛していると気付いた。ところがオクタヴィヤンには踊り子の噂もなく、社交界でも女たちへ月並みな愛想しか言わず浮いた話はない。夫の秘密の引き出しにも裏切りの証拠がなかった。彼女は約2000年前のアッリウス・ディオメデスの娘アッリア・マルチェッラに嫉妬していた。だがそれを、どうして気づくことが出来たろう。

《感想1》
溶岩(火山灰)の胸と脇腹の押型の女性に激しい恋をするとは、オクタヴィヤンは不思議な人物だ。
《感想2》
愛する者の死の現場がオクタヴィヤンにもたらす衝撃。ポンペイの廃墟の地下室こそが、押型の女性が2000年前、ヴェスヴィオ山の溶岩に身体を包まれ焼き殺された現場だった。歴史上の現場が持つ抒情性!
《感想3》
恋を日常生活の環境から、星の世界、空想の世界に移し、あるいは彫像に恋をし、また太古の女性に恋する時、恋はどのように成就されるのか?
《感想3-2》
それは詩的な陶酔だが、精神的にとどまらず、肉体の陶酔も必要とするはずだ。幻視、幻聴、幻覚あるいは、音楽、舞踏、酩酊、苦行など。
《感想4》
ここでは2000年前への時空の変化が、遷移的に起きる。夜の闇の中で廃墟の建物が修復され、はかない《影》が《延長し抵抗する物質としての肉体》へと変化していく。
《感想5》
死後もアッリア・マルチェッラの魂が2000年さまよう。彼女の魂は何を求めるのか。激しい愛を求める。オクタヴィヤンの愛は詩的で時代を超える。アッリアの愛は愛欲的で肉体を必要とする。
《感想5-2》
オクタヴィヤンの詩的な愛を、アッリアは愛欲的な肉体の愛の渇望へと解釈し直し、彼女の魂に肉体を与える必要があった。彼女の肉体は2000年前、ティトウス帝の時代にしか存在しなかったので、彼女の魂の力(愛)によってオクタヴィヤンはその時代に運ばれた。
《感想5-3》
かくて彼女が言う。「あたしはあまりに長い間愛を知らなかったので、寒くてたまりません。私を抱いて下さい。」オクタヴィヤンの詩的な愛と、アッリアの愛欲的な愛が時空の移動によって出会い、二人の激しい恋が成就する。
《感想6》
古い神様(古代ローマの神々)を信じるアッリア・マルチェッラは、精神(魂)の愛あるいは彼岸の愛を信じない。彼女は《この世の命と若さと美しさと快楽としての愛》のみ信じる。彼女にとって、精神(魂)の世界つまり彼岸はなく、それは《色も香もない亡び》にすぎない。
《感想6-2》
キリスト教徒の老人(父親)アッリウス・ディオメデスは、精神(魂)の世界つまり彼岸を信じる。この世にさまよう魂は、救済されていないのだ。精神(魂)の世界つまり彼岸に移動でしていない。
《感想6-3》
このキリスト教の立場から肉体について言えば、肉体は滅びることが運命づけられている。この限りではキリスト教は、奇跡を否定する。
《感想6-4》
奇跡を否定するキリスト教は、(2000年前の時空で)肉体を復活させた(奇跡の)死後の魂を、幽霊と呼ぶ。《肉体を持った魂(幽霊)に対する除魔の呪文》は、魂を破壊しないが、この世の肉体を破壊する。かくてアッリア・マルチェッラの肉体を復活させた2000年前への時空の移動は破壊される。今や、アッリアは一つまみの灰となりやがて飛び散る。生きたポンペイの街が廃墟に変化する。

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テオフィル・ゴーチェ(1811-72)『死霊の恋』(1836):悪魔的な妖しい幻の恋!私は僧侶で毎晩城主になる夢を見るor私は城主で夢の中で僧侶となる!

2018-10-23 22:54:08 | Weblog
(1)
66歳になる僧侶の恐ろしい恋の話。その時、私は20代だった。それは、3年以上続いた悪魔的な妖しい幻の恋だった。
(2)
私は幼少のころから、神様に仕えることを天職と心得ていた。24歳の年まで修行修行の連続だったが、私には「神に一身をささげること」は世にもたぐいなく立派なことと思えた。そして終に僧侶の誓約をする叙品(ジョホン)式の日を迎えた。私は天使にでもなったように喜びにあふれた。
(3)
ところが叙品式の途中、私は女神のように美しい若い婦人を見てしまった。私に新しい欲望が生れた。それは恋の欲望だった。私は「僧侶になりたくない」と心のうちで叫んだ。その人は「あたしはあなたが好き、あなたを神さまから横取りしたい」と哀願する必死の眼差しを送ってよこした。しかし叙品式の途中で大騒ぎし、また多くの人々の期待を裏切ることはできなかった。私は僧侶になった。
(4)
そして教会を出る時、不意に誰かが私の手を握った。あの人だった。「ほんとに薄情な人!なんてことをなさったの!」そう言って人ごみの中に、彼女は消えた。私が神学校に戻る途中、ひとりの小姓が現れ、「コンティニ宮にて、クラリモンド」と書いた紙を私に渡した。私は当時、世間のことを全然知らなかったので、何も行動しなかった。
(5)
私は初めて恋の虜になった。そして僧侶になったことを後悔した。クラリモンドにひたすら会いたかった。私は、恋知りそめたばかりのあわれな神学生となった。狂おしい身もだえに私は陥った。
(6)
ある日、監督のセラピオン師が私を見て言った。「あんなに信心ぶかく、物静かで優しかった君が、まるで猛獣のように部屋の中で騒ぎまわっている。悪魔のそそのかしだ。祈りなさい、断食しなさい、瞑想しなさい。」師の訓戒が私を正気に返らせた。心の落ち着きも多少とりもどした。
(7)
やがて私はクラリモンドの住む街を離れ、田舎の教会の司祭として赴任した。私は職業上のあらゆる義務をきちんと果たしたが、もはや聖なる使命があたえる幸福感を感じられなかった。クラリモンドを忘れられなかった。
(8)
ある晩、私のもとに使いの男が現れ、「非常に身分の高い女主人が、死に瀕して司祭に会いたがっている」と言った。私は馬車で、豪壮な建物に連れていかれた。だが女主人は亡くなっていた。「せめてお通夜をしてあげてください」と執事が言った。
(9)
その遺骸はなんと私が気も狂わんばかりに愛するクラリモンドその人だった。透きとおった屍衣の下の白く美しい遺骸!私はクラリモンドの遺骸の唇に接吻した。すると死者の唇が応え、目が開き言った。「ロミュオー様、あたしは、あなたをずいぶん長いことお持ちしましたのに、死んでしまいました。でも接吻でよびかえしてくださったこの命を、あなたに差し上げますわ。では、またお近いうちにね!」あの人の頭がふたたび後ろへ倒れた。そして私は気を失った。
(10)
3日後、私は司祭館で目を覚ました。数日後、セラビオン師がやってきて、私に言った。「遊女のクラリモンドは、八昼夜ぶっつづけの大饗宴のあと死んだ。彼女の恋人という恋人は、全部悲惨なまたは無惨な最期を遂げている。私に言わせるとクラリモンドは悪魔そのものだ。人の噂によると、あの女が死んだのは今度が初めてではない。」
(11)
私は、ある晩、夢を見た。幽霊のクラリモンドが目の前に立っている。私はその手に、繰り返し接吻した。クラリモンドの肌の冷たさが、私に快い戦慄を感じさせた。彼女が言った。「あなたにお目にかかる前から、あなたを愛していました。恋しいロミュー様。ほうぼうお探ししていて、あの叙品式の日にあなたを発見しました。私は全ての愛を込めた眼差しを送ったのに、あなたは私より神さまを選びました。」
(12)
「一度死んだものを、あなたの接吻で生き返らせていただきました。それなのにあなたは未だに神さまを私より愛しています。あなたの心を独り占めしたいのに!」とクラリモンドの幽霊が、心もとけそうな愛撫をまじえ語った。私は、彼女を慰めるため、怖ろしい冒瀆を口にした。「あなたを神さまと同じほど愛している!」
(13)
するとクラリモンドが言った。「あたしの行くところへついて行って下さるわね!幸福な楽しい日々、目もくらむほどの豪華な生活をあたしたちは送るわ。明日、出かけましょう、いとしい騎士さま。」彼女は消え、私は鉛のような眠りに落ちた。
(14)
翌日、夜、眠りに落ちると、再び夢が始まった。カーテンが開いてクラリモンドが入って来る。もはや幽霊の姿でなく盛装した貴婦人だった。彼女は、私のために城主の衣装一式を持ってきた。私は着替え、彼女が私の髪を整えた。私は若い城主ロミュオーとなる。そして二人は馬車でヴェネチアの城に向かい、歓楽の時を過ごした。
(15)
この夜以来、私はいわば二重人格になり、二人の人間となった。ある時は、私は僧侶で毎晩城主になる夢を見ると思い、ある時は、私は城主で夢の中で僧侶となると思った。クラリモンドは妖しく魅力的で、彼女を恋人に持つことは二十人の女を情婦にするに等しく、彼女は様々の似ても似つかない女になることが出来た。
(16)
城主の夢が私には現実となり、(その城主の)毎晩の忌々しい悪夢で、私は村の司祭になり、昼間の享楽のあがないをするため、苦行を積まねばならなかった。そしてセラピオン師の「クラリモンドは悪魔だ」との言葉が思い出され私を不安にした。
(17)
さて少し前からクラリモンドは健康がすぐれず、顔も青ざめている。ある朝、私は果物をむいて指を切った。血が流れた。それを見たクラリモンドが猿か猫のように寝台からすばやく飛び降り、私の流れる血をすすった。彼女は私の血を吸い続け、やがて再び美しく健康となった。クラリモンドが言った。「あたしは死なない!あたしは死なない!あなたの血が、あたしに命を取り戻させてくれる!」
(18)
私が(城主の現実から)夢の中の司祭館へ戻った時、セラピオン師が言った。「お前は魂を失うだけで気が済まず、身体まで失おうとするのか!お前はいかなる罠に囚われたのだ?」
(19)
ある晩、私は鏡に「クラリモンドが私の酒に何かの粉を入れる」のが映ったのを見た。私は寝たふりをして、ことの成り行きを確かめた。クラリモンドが金のピンを私の肌に刺し、流れる血をすすった。「あたしの命を消さないために、ほんの少しあなたの命を分けていただく。あなたをこんなに愛していなかったら、他に恋人をこしらえて、あなたの生き血を吸い尽くす決心もできるのです。」
(20)
セラピオン師の言ったとおりだった。しかし、私はクラリモンドを愛さずにいられなかった。相手は吸血鬼だったが私への心遣いから、ひどいことをする心配がなかった。そして私は「この血と一緒に、僕の愛があなたの身内へ流れ込むように!」と思った。私とクラリモンドは、それからも仲良く暮らした。
(21)
だが私は、二重生活にすっかり疲れ果てた。僧侶と城主のどちらが幻想か、はっきりさせてしまおうと思った。セラピオン師が、「大患には劇薬が必要だ。クラリモンドの死骸を掘り起こし、蛆虫に食い荒らされた死骸を見れば、お前は正気に立ち戻るだろう」と言った。私は、身体の中にいる二人の男の一方を殺し他を生かすか、仕方なければ両方とも殺してしまおうと思った。
(22)
夜半にセラピオン師と私は、クラリモンドの墓に行った。鶴嘴で掘り、棺の蓋を開けるとそこには、蛆虫に食い荒らされ腐乱した死骸でなく、屍衣に包まれ大理石のように白いクラリモンドの姿があった。口のすみに赤い血の滴(シタタリ)があった。セラピオン師が「悪魔、恥知らずの淫売、血と金に餓えた妖婦!」と叫び、聖水を撒き散らし、棺に十字の印を刻んだ。
(23)
たちまちクラリモンドの美しい遺骸が砕けた。灰と半ば石灰に化した骨が残った。私の心の中でなにか大きなものが一挙に崩れ落ちた。クラリモンドの恋人ロミュオー侯と、司祭館の貧しい僧侶の二重生活は終わった。
(24)
翌朝、教会の玄関にクラリモンドが現れて言った。「ほんとに薄情な人!なんてことをしたのです!ずいぶん幸せだったのに!あたしたちの魂と身体を結び合わせていた糸は切れました。さようなら。あなたはきっと永久にあたしが恋しくてたまらなくなるでしょう。」そして彼女は、煙のように消え去り、二度と姿を見せなかった。
(25)
ああ、全くあの人の言ったとおりでした。私は今でもあの人を忘れられない。魂の平和のために、余りに高価なものを私はなげうちました。神の愛も、あの人の愛に変われません。
(26)
66歳の僧侶の私が、若い僧侶の皆さんに言いましょう。「決して女を見てはならない。いつでも地面を見て歩きなさい。刹那の気のゆるみが、手もなく永世を失わせることがあるのだから。」

《感想1》
最初、クラリモンド(貴婦人)が私(神学生・僧侶)に惚れた。私はモテる男だ。不思議だ。妖艶な貴婦人に若い神学生が惚れられるというメロドラマ仕立てだ。
《感想2》
恋知りそめたばかりのあわれな神学生が、狂おしい身もだえに陥るのはありうることだ。ただし、これは1830年代ロマン主義時代の小説だ。今の時代の現実の恋はもっと散文的で、身もだえなどしないかもしれない。ただしストーカーは居る。
《感想3》
私(僧侶)がクラリモンドの遺骸の唇に接吻した。すると接吻によって遺骸に命が吹き込まれた。クラリモンドは死霊となった。(人間として生き返ったわけでない。彼女は日常の現実では幽霊だ。身体を持つのは夢の中だけだ。)死霊クラリモンドが、命(夢の中での身体)を保つには私(僧侶)の血が必要だ。この死霊は吸血鬼だ。
《感想4》
死霊クラリモンドに対し、私(僧侶)は「あなたを神さまと同じほど愛している!」と怖ろしい冒瀆を口にする。
《感想5》
死霊クラリモンドとの生活は夢の中でのみ可能だ。夢の中で私(僧侶)は若い城主ロミュオーとなり貴婦人で遊女のクラリモンドと豪勢で贅をつくした幸福な生活を送る。
《感想6》
私の夢と現実の二重生活は、夢の比重が高まり、どちらが現実でどちらが夢か判然としなくなる。「私は僧侶(現実)で毎晩城主になる夢を見る」のか、「私は城主(現実)で夢の中で僧侶となる」のか、区別がつかなくなる。
《感想7》
(僧侶としての私の)夢の中に現れるクラリモンドは死霊だが、死霊が命を保つ(夢の中で身体を持つ)ためには、私(僧侶かつ城主)の血を必要とする。クラリモンドは吸血鬼だ。
《感想7-2》
可哀そうなことに、死霊にして吸血鬼のクラリモンドは、私(僧侶)の夢の中でしか身体を持てない。城主ロミュオーとクラリモンドとの豪華で性愛的な生活は夢の中でしか可能でない。豪華な饗宴の飲食や性愛は、身体を必要とするから。
《感想8》
私(僧侶or城主)のクラリモンドへの愛は深い。死霊でも吸血鬼でも、私はクラリモンドを愛する。
《感想8-2》
ここで注意すべきは、僧侶と城主が完全に分裂していないことだ。「二重生活の意識がいつも非常にはっきりしていた」。「違った二人の人間のなかに同じ自我の感情がそのまま残っていた。」(ゴーチェ)かくて私(僧侶or城主)は、二重生活にすっかり疲れ果て、僧侶と城主のどちらが幻想か、はっきりさせてしまおうと思う。
《感想9》
クラリモンドの美しい遺骸が砕け散ることで、夢の中でのクラリモンドの身体が消失した。墓の中の(吸血鬼の)クラリモンドの遺骸は日常の現実における身体としては機能せず、僧侶の私が見る夢の中での身体としてのみ機能する。死霊クラリモンドは夢の中でしか、現実的身体を持たない。僧侶の私が属す日常の現実の中では、死霊クラリモンドは幽霊としてしか出現できない。
《感想10》
(日常の現実にあった)クラリモンドの美しい遺骸が砕け散り、死霊クラリモンドは夢の中での身体を失った。私(僧侶)の夢の中で、城主ロミュオーはもはや身体を持つクラリモンドに会えない。
《感想10-2》
クラリモンドは、幽霊としてなら、この日常の現実に出現できる。しかし彼女は、私(僧侶)にもう会わないと決断した。「ほんとに薄情な人!」だと、彼女は私(僧侶or城主)に対し愛想をつかした。
《感想10-3》
死霊クラリモンドに、私(僧侶or城主)は捨てられた。私のみが未練を持ち続ける。「私は今でもあの人を忘れられない」。

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ノディエ(1780-1844)『ベアトリックス尼伝説』1837年::カトリックの奇跡物語だ!信仰のない世界ではドッペルゲンガーの物語になる!

2018-10-23 22:51:38 | Weblog
(1)
ジュラ山地の斜面に、ほぼ半世紀前まで「花咲くさんざしのノートル=ダーム」という教会と修道院の廃墟があった。
(2)
その創設者の「聖女さま」が亡くなり、2世紀が経った頃、聖母マリア像の聖櫃(セイヒツ)係尼僧をベアトリックスがつとめていた。彼女は18歳で、聖母マリアに一生を捧げても捧げきれないような情熱的な愛情をもって仕えた。
(3)
近くの年若い領主レーモンがある日、森で刺客に襲われた。その瀕死の怪我人は修道院に運ばれ、彼をベアトリックスが介抱した。回復したレーモンは、ベアトリックスに「妻になってくれ」と懇願した。
(4)
ベアトリックスは苦しんだ。彼女は「地獄の情熱」にとりつかれた。夜、ひとり内陣に行き聖櫃を開き聖母マリアに訴えた。「ああ、あたしの青春を守って下さった方!・・・・ああ尊いマリアさま!どうしてあたしをお見捨てになったのです?」
(5)
つぎの晩、一台の馬車が、回復した美しい騎士レーモンと誓願を破って彼に従った若い尼僧を載せ、修道院を去った。
(6)
ベアトリックスは愛情の陶酔と幸福の中で過ごした。しかしやがて彼女がレーモンに愛されていないことを知る日がきた。その人のために神の祭壇を捨てたその相手から完全に捨てられる日がきた。今や彼女は、この世に誰一人頼るものがなかった。
(7)
やがてベアトリックスは哀れな乞食女となった。捨てられて十五年がたった。彼女は疲れと空腹で、ある門前で気を失い倒れた。彼女は尼僧に介抱され、意識を取り戻した。そして彼女はそこが、「花咲くさんざしのノートル=ダーム」であること知る。彼女は歓喜したが、直ちに深い呆然自失の状態に陥った。
(8)
「神さまどうかお情けを!」と乞食女のベアトリックスが門番の尼僧に言った。「花咲くさんざしの聖母さまに遠い昔、あたしお仕えしていたんです。」「それはベアトリックス尼が聖櫃係尼僧を勤めていた頃です。」
(9)
すると門番の尼僧が言った。「ベアトリックスさまは、お堂の聖櫃のお勤めを一度もおやめになったことはありません。」乞食女ベアトリックスが言った。「そうではなくて16年前に同じお役目を勤めていて、あやまちのうちに生涯をおえた、もう一人のベアトリックスのことです。」すると門番の尼僧が「今のベアトリックスさま以外のお堂の聖櫃係なんて聞いたこともないわ」と答えた。
(10)
門番の尼僧が立去ると、乞食女ベアトリックスは勇気を奮って立ち上がり、柱伝いに聖櫃に近づいた。確かにそこには尼僧が立っていた。その聖櫃係尼僧は彼女自身だった!
(11)
尼僧が歩いてきた。そして言った。「あなたなのねベアトリックス。ずいぶん長いこと待っていました。あなたが出て行ったその日からあなたの代わりをしてきました。誰にも、あなたのいなくなったことが分からないようにね。これはあなたの愛のおかげで可能になった並々ならない恩寵なのです。」尼僧は聖母マリアだった。
(11)-2
聖母マリアが、「あなたのお部屋にはあなたが残していった衣があります。その衣を身につけ、昔の純潔を取り戻しなさい」とベアトリックスに言った。
(12)
聖母マリアは、祭壇の階段をのぼり、聖櫃(セイヒツ)の扉をあけ、その中に金の後光と、花咲くさんざしの飾りにつつまれ、神々しい威光のうちに腰を下ろされた。
(13)
昔の衣を着てベアトリックスは、かつてその信仰を裏切った朋輩たちの間に滑り込んだ。だが彼女を咎める声はなかった。誰一人彼女がいなくなったことに気づかなかったように、誰一人彼女が戻ってきたことに気づかなかった。
(14)
門番の尼僧が寝床を用意して戻ってみると、あの可哀そうな女の姿はもうなかった。
(15)
ベアトリックスはその後、苦しみも後悔も恐れもなく、幸福のうちに一世紀のあいだ生きた。彼女は聖母への優しい忠実さのためにその栄誉に値する者だった。彼女は聖者の位に列した。

《感想1》カトリックの奇跡物語だ。信仰のない世界ではドッペルゲンガー(同時に複数の場所にいる同一人物)の物語になる。理性(科学)の立場では、奇跡物語もドッペルゲンガーも虚妄だ。
《感想2》作者ノディエは、「ルターやヴォルテールの一派」にくみしない。カトリックに聖母マリア信仰があるが、ルター派のプロテスタントにはない。ヴォルテールは啓蒙主義者であり、理性の立場から奇跡を信じない。
《感想3》キリスト処刑のイバラの冠がサンザシだ。サンザシはメイフラワー(Mayflower)。イギリスの清教徒が信仰の自由を求めアメリカに渡った船は「メイフラワー号」だ。

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ノディエ(1780-1844)『死人の谷』1833年: 悪魔パプランは若者との契約で「命」を要求した!Cf. 悪魔メフィストはファウスト博士との契約で「魂」を要求した!

2018-10-23 22:49:29 | Weblog
(1)
その日は「隠者の谷」にある鍛冶屋の親方トゥサンの誕生日で、宴会が催された。朝から弟子たちも浮かれ、近所の娘たちも集まってきた。
(2)
そこに旅の2人連れが立ち寄った。馬車の事故があり、乗り合わせていた2人が、歩いてたどり着いたのだった。黒いケープの紳士(パンクラス・シューケ博士)と赤い服を来て赤い帽子をかぶった小人(コラス・パプラン)だ。
(3)
小人にせがまれてユベルト婆さん(トゥサンの母親)が「谷」の昔話をした。約100年前、まだ家も町もない森ばかりの谷にある貴族が、宮廷を去り信仰の生活を求めやってきた。彼は隠者として信仰に生きオディロン上人と呼ばれた。彼には大財産があり、谷を開発し多くの建物を建て、町を作り繁栄させた。
(4)
さてオディロン上人は、ある信仰深い若者を見込んで、その若者に身の回りの世話をしてもらった。ところがその若者は、財差目当てでオディロン上人に近づいたのだ。
(5)
30年前、若者はオディロン上人を殺した。だが財産を奪い逃走しようとしたところを発見された。若者は上人が住んでいた洞窟の中に閉じこめられ、逃げられなくなった。ところが犯人(若者)は洞窟から忽然(コツゼン)と姿を消した。
(6)
洞窟からは悪魔と若者との契約書が見つかった。そこには悪魔の言葉で「殺人罪に30年の猶予を与える」と書いてあった。それはちょうど30年前の今日、万聖節(11/1、Cf. 前夜がハロウィーン)の夜、死者の鐘が鳴る時だった。
(7)
ところが実は、その若者の30年後の姿がパンクラス・シューケ博士だった。そして小人コラス・パプランこそが悪魔だった。悪魔との契約は期限が来たら悪魔に「命」を渡す。(つまり殺される。)命を取るため、悪魔は博士(殺人罪の若者)についてきた。
(8)
今、死者の鐘が鳴った、パンクラス・シューケ博士は、あわてて鍛冶屋のトゥサンの家から出て行った。そのすぐ後、小人コラス・パプラン(悪魔)が出て行った。
(9)
翌朝、谷で、恐ろしく引き裂かれ、ひどく変形し、小さくなった死体が発見された。天の火か地獄の火に焼きつくされたようだった。誰の死体か判別できなかったが、その傍らにパンクラス・シューケ博士の黒いケープが残っていた。その時から「隠者の谷」は「死人の谷」と呼ばれるようになった。

《感想1》ここでは悪魔パプランとの契約は「命」を引き渡すことが条件となっている。ところで、かのファウスト博士の場合、悪魔メフィストと結んだ契約の条件は、「魂」を引き渡すことだった。(ゲーテ『ファウスト』第1部1808年)
《感想2》『ヴェニスの商人』で契約の条件に肉1ポンド(「命」)を要求したシャイロックは、悪魔パプランに似るが、「魂」を要求した悪魔メフィストと違う。
《感想3》契約の条件に、とりわけ違約の場合、「命」を要求するのは、歴史的には人間同士でも普通だった。例えば戦国時代の人質。
《感想4》悪魔に「命」を引き渡すこと(殺されること)と「魂」を引き渡すことは異なる。
①魂は「不死」であるから、「不死の魂」を引き渡したら死後、人は空虚となり完全に消滅する:悪魔メフィストはファウスト博士との契約で「魂」を要求した。
②「命」を引き渡すだけなら、つまり死ぬだけなら「不死の魂」は死後も存在し続ける:悪魔パプランは若者との契約で「命」を要求した。

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ノディエ(1780ー1844)『青靴下のジャン=フランソワ』1832年:著者は科学の時代に幻視を信じるor信じたい!

2018-10-23 22:45:10 | Weblog
(1)
狂人ジャン=フランソワの話。1793年のこと。フランソワは20代半ば。青靴下をいつもはき、小さな三角帽子をかぶった気のいい若者、しかし狂人だった。
(2)
フランソワは二重の存在で、精密科学が極めて優秀で正確に理性的に議論する。しかし日常生活は全くだめで、人と話を交わせない。そして彼はしばしば目を遠くへ向ける幻視者だった。
(2)ー2 
あるいはフランソワには二つの魂があると言ってもよい。一方で、現実世界(粗雑な世界)では彼は狂った魂をもつ。他方で精密科学の高貴な空間(世界)では彼は純化された魂を持つ。ここでの彼の話は脈絡がありまっとうだ。
(3)
1793年10月16日、青靴下のジャン=フランソオワが物思わしげに天を見ていた。そして言った。「あの血のあとを目でたどってごらん。フランス王妃マリ=アントワネットが天に昇ってゆくのが見えるよ。」後になって、「この日、王妃が断頭台で斬首された」とのニュースが伝わった。フランソワは王妃の死を幻視した。
(4)
フランソワは学生時代、きわめて優秀で学校でいくつも賞をとり表彰された。しかも彼は天使のような美男子だった。彼を見込んで、有力貴族の夫人がその一人娘の家庭教師に彼を雇った。彼はその娘を思慕した。しかし彼は仕立屋の息子にすぎず、身分差はどうにもならない。彼はその苦悩を紛らわすために、オカルト学や心霊術の研究に陥った。そして彼は狂った。
(5)
私はその秋、勉強のためストラスブールに移った。そしてフランソワの事は忘れていた。春になり、私は実家に戻った。ある朝父が新聞を見て、「あの貴族夫人とその一人娘が3日前、夕方4時過ぎに斬首された」と言った。
(6)
ところが実はその日、私は広場に立って天空を凝視するフランソワに会ったのだ。彼は、夕方4時頃、空に手をさしのべ、一声叫んで倒れ死んだ。それは貴族夫人とその一人娘が斬首された時間だった。フランソワは、彼が愛したあの貴族の一人娘の死を幻視したに違いない。

《感想》狂人である幻視者、そして彼の純愛の話だ。1832年の著者は科学の時代(or理性の時代)に生きる。だが著者は幻視を信じるor信じたい。

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ノディエ(1780ー1844)『スマラ(夜の霊)』1821年: 諸現実の層が重なる!①①-2日常の現実、②②-2②-3夢=《夢の現実》、③《夢の現実に登場した亡霊》が経験した現実、④夢の夢!

2018-10-23 22:41:37 | Weblog
(1)プロローグ(序曲)
「偽りの夢は夜の幻にまぎれ、亡霊をあやつって、愚かな者を脅かす。」(カトゥルス)ロレンンツォは新婚1週間。そばに新妻リシディスが眠る。ロレンンツォは眠りにおち、その眠りの中に無数の精霊・亡霊たちが出現する。
(2)レシ(物語歌)
ロレンンツォの眠りの中での物語。おれ(ルキウス)はアテナイの哲学堂で学業を終え、テッサリアの邸に行く。おれ(ルキウス)が眠りにおち、夢を見る。テッサリアの歓楽の娘たち(魔女たち)の幻が出現する。不幸な者たち、すなわち生ける亡霊たちの幻も出現する。《おれ(ルキウス)を戦場でかばい死んだポレモン》の亡霊が現れる。そこは陰気な世界。金髪のミュルテのハープがおれ(ルキウス)を救う。黒髪のテイス(金髪のミュルテの妹)。キラキラ光る長いまつげのテライラ。実は、彼らは魔女で、亡霊のポレモンを苦しめた。ポレモンがそれについておれ(ルキウス)に語った。
(3)エピソード(挿歌)
ポレモンは、テッサリアの美女の中の美女、メロエに心を奪われた。だがメロエは魔女の女王!ポレモンはメロエの宮殿にいき、恍惚と恐怖の最後の夜を迎える。メロエは、おれ(ポレモン)の心臓が止まっているのを確かめると、怪しげな無数の夜の霊たち(スマラ)を呼び集めた。彼らはメロエの魔法の指輪から現れた。周囲には魔女たちの儀式がもたらした罪のない生贄の遺骸の山。魔女たちは真紅の屍衣をまとって人を殺す。死者が蘇り、それら汚鬼たちの饗宴。おれ(ポレモン)は取り乱し,わなわなと震える。ミュルテのハープが、おれを落ち着かせ安らかに眠らせた。
(4)エポード(第三歌)
「そこで彼らは罰に服し、過去の罪を贖う。」(ウェルギリウス)さて以下はルキウスの夢!ポレモンと金髪のミュルテが、呪いをおれ(ルキウス)に投げかけ、おれの知らない人殺しの罪で、おれを責める。おれ(ルキウス)は槍を持った兵士たちに護送され処刑場に向かう。おれ(ルキウス)は処刑され、おれの首が落ちる。「ミュルテ!」とおれは叫ぶ!金髪のミュルテが「ルキウス!ルキウス!」と叫ぶ。夕闇のこうもりが、おれに羽根をくれる。私は処刑台の周りを、輪を描いて飛ぶ。おれ(ルキウス)は、ポレモンが処刑されるのを、飛びながら見る。魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、金髪のミュルテが踊る。無数の夜の霊たち(スマラ)が魔女の女王メロエに報酬を求める。おれ(ルキウス)は、白髪で皺だらけの子供たちに、蜘蛛の糸でベッドに縛りつけられる。女王メロエが、死んだポレモンの胸から心臓を引きむしる。
(4)-2 エポード(第三歌)(続)
おれ(ルキウス)は目を覚ます。ありとあらゆる悪霊と、魔女たちと、夜の幻は消えた。そこは戦場で死んだポレモンの死の儀式の場、コリントスの城壁の下だった。おれは震える手でポレモンの胸を探った。だが彼の胸はカラッポで心臓がなかった。(これはまだロレンツォの夢の中だ!)
(5)エピローグ(終曲)
ロレンンツォが目覚める。ルキウス、その戦友ポレモン、テッサリアの魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、ミュルテ、無数の夜の霊たち(スマラ)の夢は終わる。かたわらに新妻リシディスがいた。

《感想》
日常の現実(①①-2)、夢=《夢の現実》(②②-2②-3)、《夢の現実に登場した亡霊》が経験した現実(③)、夢の夢(④)が、諸現実の層として重なる。
①ロレンツォの現実、つまり日常の現実。(新妻リシディスと共有された現実。)
②ロレンンツォの夢の中に、ルキウス、その戦友ポレモンが登場する。夢=《夢の現実》であり、ルキウスの現実だ。
②-2 ルキウスの現実の中に現れたポレモンの亡霊。
③ポレモンの亡霊が経験した現実。
④ルキウスの夢の中に、テッサリアの魔女の女王メロエ、3人の魔女テイス、テライラ、ミュルテ、無数の夜の霊たち(スマラ)が現れる。
②-3 ルキウスの現実として、戦友ポレモンの死の儀式の場が描かれる。
①-2 ロレンツォが目覚め、《ロレンツォの夢》=《ルキウスの現実》から、ロレンツォの日常の現実(新妻リシディスと共有された現実)に戻る。そこに新妻リシディスがいて、ロレンツォに話しかける。

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ノディエ(1780ー1844)『トリルビー』1822年: ジャニーは、永遠の愛と、地上の愛に引き裂かれた!&永遠の愛は、互いが不死の存在(非地上の存在)でないと成立しない!

2018-10-23 22:39:51 | Weblog
いなせな小妖精(いたずら小鬼)トリルビー。色男でかわいらしい。漁師ダガルの藁ぶき家に居ついて、褐色の髪のジャニー(ダガルの妻)に惚れていた。小鬼トリルビーがジャニーをいつも口説くので、彼女は困ってしまった。老僧ロナルドが呼ばれ、祈祷により小鬼トリルビーはダガルの藁ぶき家から追い出された。
(2)
ところが、ジャニーは追い出された小鬼トリルビーが可哀そうだと思うようになった。そして、トリルビーが居なくなって家は淋しい。湖の青い魚も捕れなくなり、夫ダガルの漁は不漁となった。ジャニーは憂鬱がひどくなる。ジャニーは実は、自分が「トリルビーを好きだったのだ」と気づいた。
(3)
妖精トリルビーの追放から1年たち、不漁に困ったダガルは妻ジャニーとともに、老僧ロナルドの僧院まで巡礼に出た。僧院に着くと、老僧ロナルドが「追放した悪霊を呪え」と説教し、それを信徒たちに誓わせた。「妖精たちは悪霊で彼らは追放後、災厄を引き起こすからだ」と老僧が言った。ジャニーは気が進まなかったが、夫ダガルととともに(トリルビーを含め追放された小妖精すべてに対する)呪いの宣誓をした。
(4)
僧院には、ベールで隠された肖像画があった。ジャニーは、それに惹かれベールを取った。何とそれは呪われたジョン・トリルビー・マクファーレンの肖像画だった。(つまり、それは人間の姿をとった小鬼トリルビーだった。)
(5)
呪いの宣誓をし巡礼から戻っても、ジャニーはトリルビーを忘れられない。そしてある日、湖に舟を出した。向こう岸で年老いた旅人がジャニーを呼んだ。その旅人が「湖を渡りたい」と言った。ジャニーは彼を舟にのせた。ところが、その老人は姿を変えたトリルビーだった。
(6)
トリルビーは、ジャニーに、ダガルの藁ぶき家(ジャニーの家)に戻してくれと頼んだ。ところで老僧ロナルドは、トリルビー追放に当たり、トリルビーが家に戻れる条件を2つ定めた。①ジャニーがトリルビーに「好きだ」と言うこと。②夫ダガル自身がトリルビーを家に運ぶこと。ジャニーはその時、「好きだ」と言わなかった。しかし実はすでに、彼女は、「トリルビーが好きだって、これまで私はわかってなかった」と舟の上で一人呟き、それをトリルビーが聞いていた。(つまり「好きだ」と言っていた。)(①)
(7)
トリルビーは、「一時でもジャニーに愛されたことは、永遠の喜びだ」と言った。ジャニーは、夫ダカルに結婚の誓いをしたので、ジャニーはトリルビーに「愛してる」と言えないと思った。トリルビーは、「妖精の愛は地上の愛でないから自分に『愛してる』と言ってもダカルを裏切ったことにならない」と言った。しかしジャニーは終に「愛してる」と言わなかった。トリルビーは水に飛び込み消えた。
(8)
ジャニーが舟を家に向けた時、ちょうど夫ダガルの舟に会った。ダガルが網を上げると、たくさんの青い魚が捕れ、それとともに宝石で装飾された小箱が網の中にあった。ダガルは宝物を手に入れ喜んだ。「巡礼のおかげだ」と言った。だがトリルビーが小箱の中に隠れていた。かくて夫ダガル自身がトリルビーを家に運び(②)、トリルビーはダガルの藁ぶき家に戻った。
(9)
老僧ロナルドが、ダガルの家を訪れにやって来た。彼は、ダガルに「悪霊を呪う誓いで、最後の悪霊まで断罪した」と述べた。ジャニーは、彼らから見えない位置でそれを聞いた。だが喜びのあまり、「これでもうトリルビーが断罪され絶滅されることはない!」と大きな声で言ってしまった。
(10)
老僧ロナルドがそれを聞いた。彼は、墓場に新しい墓穴を掘り、トリルビーへの呪いの儀式を始めた。すると宝の小箱が割れる音がし、同時に死に際の最後の吐息のような声がして、その声が墓穴のそばの「聖者の木」の中に消えて行った。「トリルビー!・・・・」とジャニーは叫び、新しい墓穴に身を投げた。瀕死の彼女は、ダガルの方に手を伸ばし、彼と「聖者の木」にかわるがわる視線を投げかけ言った。「いとしいダニエル、地上の千年も一瞬でしかないわ。」彼女は死んだ。
(11)
それから何百年がたった。私はその墓地を訪れた。ジャニーの墓の上の石には「永遠に離れられないものにとって、地上の千年は一瞬でしかない」と刻まれていた。今もトリルビーがジャニーの墓の前でつくため息が聞こえる。妖精は地上のものでないから、不死だ。「愛するものをかちうるには、そして愛するもののために泣くのには、千年なんて、ほんのわずかのときなのだ!・・・・・・」不死の者の愛は永遠だ!

《感想1》
不死の妖精トリルビーは、非地上の存在であり、非地上の愛、つまり永遠の愛に生きる。永遠の愛は地上にない。永遠に比較すれば、「地上の千年も一瞬でしかない」。(そもそも人は千年も生きられない!)
《感想2》
ジャニーは、永遠の愛と、地上の愛に引き裂かれた。ジャニーは地上で夫ダガルを愛し、夫ダガルとの愛の誓いを守った。彼女は、心からダガルを愛していた。
《感想3》
だがジャニーは、同時に地上で、不死の妖精トリルビーを愛してしまった。トリルビーとの愛は、永遠の愛であり、地上にない。彼女は夫ダガルとの地上での誓いを守りつつ、死ぬことで、トリルビーとの永遠の愛も手に入れようとした。(永遠の前には、地上は些細な存在だ。)
《感想4》
だが地上の存在であるジャニーは、その死とともに、身体も魂も消え去った。不死の妖精トリルビーは、もはやジャニーに会うことが出来ない。非地上の世界に住むトリルビーの永遠の愛を求めたジャニーは、地上の存在なので、ついに永遠の愛を手に入れることが出来なかった。
《感想4-2》
すなわち、地上の存在であるジャニーは、不死でないため、永遠を手に入れることが出来ない。地上の存在のジャニーは、死によって身体も魂も消え去る。
《感想5》
非地上の存在である妖精トリルビーは、不死であり永遠であるので、永遠の愛に生きることが出来る。しかし、彼が愛したジャニーが地上の存在であるため、死によって彼女の身体も魂も消え去り、トリルビーの永遠の愛はその対象を失った。
《感想6》
永遠の愛は、互いが不死の存在(非地上の存在)でないと成立しない。地上の存在のジャニーと非地上の存在である妖精トリルビーが互いに求めた永遠の愛は、成立しない。
《感想6-2》
地上の存在のジャニーの悲劇は、「死によって、永遠の愛が手に入る」と思ったことだ。ジャニーは「魂の不死」を信じた。だが著者ノディエは「魂の不死」を信じない。「死によって身体も魂も消え去る」のだ。この『トリルビー』の物語は「魂の不死」を信じない時代、宗教が理性に敗北した時代の悲劇物語だ。

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ノディエ(1780ー1844)『夜の1時の幻』1806年:幸福の感情のうちに死んだ狂人は、誰が何といおうと、彼の主観において幸福だ!狂人は幻でなく現実を見ている! 

2018-10-23 22:36:09 | Weblog
(1)
私は悲しくて眠れず、ある夜、散歩に出た。夜の1時の鐘が鳴った時、墓場に人影があった。その人影がため息をついた。翌日同じ場所に行くと、そこにほぼ同じ時刻、再び人影(幻)が現れた。私はそれを追ったが見失った。3カ目の夜、再び墓場に行くと夜1時、幽霊(男)についに直接出会った。
(2)
その幽霊(男)が私に話した。「彼女、オクタヴィが、あの星にいる。もう降りてこない。おれはオクタヴィと結婚するはずだった。ところが、名家の跡とり息子が現れ、あいつの両親がおれをお払い箱にした。式の2日前、おれは火を式場で放つことなど考え公園を歩いていた。」
(3)
「そこにオクタヴィが通りかかった。『もう1度明日くる』と彼女が言った。翌日、公園に彼女は来なかった。その夜、1時の鐘が鳴った時、おれはオクタヴィの館に行った。オクタヴィは死んでいた。」
(4)
「おれは、忌み嫌われ恐れられる病気となり、それから1年がたった。彼女の1年目の命日の夜、おれはあの公園に行った。そこにオクタヴィが現れた。彼女はもやの中の曙のようにそっと漂っていた。おれは気を失った。彼女の燃える息がおれを暖めた。彼女がおれの唇からまぶたへ、そして髪へとくちづけした。おれは柔らかく包み込まれ、安らかになった。だが目を開くともうオクタヴィはいなかった。あの星までつづく、蒼くふるえる光の筋だけが残っていた。」
(5)
「彼女が、もう来ないんだったら、俺の方から行く」。以上がその男が話した事だった。
(6)
それ以来、その男は姿を現さなくなった。私は彼を捜し、ついに彼が狂人で精神病院にいるとわかった。訪ねると、彼はすでに骸骨のようにやせていた。男が言った。「あしたおれは行くことになる。オクタヴィが呼んでくれたんだ。」
(7)
翌日、私が再び精神病院に行くと、彼は死んでいた。
(8)
その日の夜、私は、かつて彼と会って話をした墓場に行ってみた。夜の1時が鳴った。オクタヴィの2度目の命日だった。あの星が、雲間からゆっくりと姿を現わした。「人は君を狂人と言うが、君は新しい生の中で、品位と美しさをとりもどしたのだ。」私は、あの男についてそう思った。

《感想1》幸福のうちに死んだ狂人の物語。人の主観は物的世界(感覚)と心的世界(感情・欲望・意図・夢・イデア的意味世界・「意味展開としての諸虚構」)の膨大な意味からなる。意味は感情・欲望・意図に彩られている。人は感情・欲望・意図に生きる。幸福の感情のうちに死んだ狂人は、誰が何といおうと、彼の主観において幸福だ。狂人の幻は、(ア)《他者の主観》にとってのみ、あるいは(イ)抵抗性と延長性を示す《物・身体・他者身体》にとってのみ、幻だ。
《感想2》狂人は幻を見ない。彼は現実を見ている。(ア)《他者の主観》が、狂人の現実を幻と決めつける。(イ)狂人の現実(幻)が、狂人の《物世界(物・身体・他者身体)》と意味的に両立可能である。

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田房永子(タブサエイコ)『キレる私をやめたい~夫をグーで殴る妻をやめるまで~』2016年:①「休む」、②「自分をほめる」、③「今」に注目する!

2018-10-23 22:33:43 | Weblog
はじめに
A 日曜日、「なんで、いつも朝食の準備を自分だけがするんだ!」とイライラしてきて、寝ている夫を殴る私!
A-2 34歳まで、このように私はしょっちゅうキレていた。35歳の今、私はキレない。

《感想》この本が扱うのは、妻、夫の問題でなく、「キレる」自分が嫌になっている人の救済の問題だ。

第1章 キレまくっていた私
(1)母・担任・元彼
B 私は母からも、担任からもひどいことを言われて育った。私はキレた。Ex. 担任が「田房さんは何も取り柄がないから将来はなるものがないわね!」と言った。
B-2 元彼が「才能もお金もないエイコちゃんが、こんないい部屋に、ぼくのおかげで住める」と言った。私はキレた。

《感想》何とひどいことを担任が言うのか!無神経、最低、パワハラだ。元彼も最悪だ。「私」は働いているが、元彼の発言は、「専業主婦」への傲慢な侮辱に似る。

(2)今の夫、タカちゃん
B-3 今の夫、タカちゃんが「部屋が散らかってる」とか何か感想を言うと、「自分が責められてる」とどうしても思ってしまう。私はキレる。
B-4 自分はDVのように、「キレて殴る→謝る→蜜月期」のサイクルだ。
C 子どもも生まれた。しかしキレる。
C-2 自分のことを「ダメだ」って思ってる時、私はキレる。
D 夫とケンカした時、いつになく夫が強く私を掴んだので、私はキレて夫の暴力を110番した。ひどく反省した。すでに夫、タカちゃんと結婚して6年。夫が、許してくれた。

《感想1》「自分が責められてる」とどうしても思ってしまいキレる。「後ろめたい」からキレる。自分のことを「ダメだ」と思ってしまってキレる。これらは本当だ。
《感想2》これらはパワハラの一部の動機でもある。パワハラはもちろん他の動機もある。傲慢、権力者意識、見せしめ、刑罰、人への侮蔑、差別、悪意、苛める楽しみ等々。


第2章 どうしたら「キレる」をやめられるの?
(1)専門家
E 誰か(何かの専門家)に、「夫はいい人です」とか「素晴らしい夫婦です」とか言ってほしい。
E-2 「箱庭セラピー」、神経科など色々ある。

《感想》誰かにほめてもらうと言っても、みんな忙しいし、世間のしがらみもあり、私生活を吐露するのもむずかしく、かくて専門家に相談し、ほめてもらうしかない。

(2)ゲシュタルトセラピー
F ゲシュタルトセラピー:次々と座布団にすわって、色々な役(様々な状況ごとの「私」、「お母さん」、さらに「体の部分」)を、自分(私)が演じる。
①まず自分(私)について話す。「夫にキレちゃうんです。そこまで怒ることじゃないのに・・・・」
②自分(私)の怒りを思い出し、体で感じる。肩がカッカしてくる。「怒っている」自分だと思う!
③自分(私)のカッカする肩がなんと思っているか推定する。カッカする肩は、一方で夫に「ムカムカする」と思い、他方で私に振り回されない夫に「いいな」と思う。
④夫を「いいな」と思う自分(私)になってみる。その自分から、「怒っている」自分がどう見えるか言う。「その自分(私)はまるでお母さんみたいに見える!」
④-2 「お母さんみたいだと夫に嫌われる」と私。右手に力が入る。
⑤そのお母さんに対し、わたしの右手が「殺してやる」と言う。
⑤-2 さらにお母さんに言いたいことを、私が色々言う。
⑤-3 「お母さんは、いつも私が真剣に怒る時に限ってヘラヘラする」と私。
⑥私がお母さん(の役)になる。(お母さんがいることにした座布団に、私が座る。)
⑥-2 「エイコちゃん(私)はそんなに悩まなくていいのに――」、「エイコちゃんは宝物だから、そんなに怒らないで!」、「仲良くしたい!」とお母さん(の役)になった私が言う。
⑦私が(私自身の役になって)「お母さんのこと、許したい」、「ずっと子ども扱いされて耐えられなかった」、「そういうところが嫌いだし、殺してやりたい」と言う。
⑧再び私がお母さん(の役)になる。「そんなに言われても覚えてないし――」、「私は子育てが得意じゃなかった」、「今は、さみしいけど、そんなにさみしくもありません」と母さん(の役)になった私が言う。
⑨再び私(の役)になる。お母さんの言っていたことを聞いて私が感想を言う。「なんかお母さんに腹を立てたのが、アホらしくなってきました」、「なんか可笑しいです」。笑いがでる。

《感想》まず①自分がキレるのはなぜかを自分で述べる。②その怒りを体で感じる。怒りが体の特定の部分に集中する。③そこに溜(タ)まった怒りの内容をその体の部分(Ex. 肩)に言わせる。私が、「夫に対しキレる私」と、「夫を肯定する私」に分裂する。④「夫を肯定する私」になって、「夫に対しキレる私」について、どう思うか述べる。④-2 夫に対し私がキレる理由が、私にわかる。「夫に対しキレる私」はまるで「お母さん」そっくりで、⑤私の右手が「お母さん」を殺したいと叫ぶ。「怒り」が私から自立化し、体(右手)に宿る。⑤-2&⑤-3ここで私がキレる原因が「お母さん」だと分かる。ここからは「お母さん」と「私」の役を、私が交互に演じ(⑥⑦⑧)、両者の和解に至る(⑨)。

(2)-2 マグマがなくなった
F ゲシュタルトセラピーで、体の中のマグマがなくなった。
F-2 私は「暴れ出す何か」(マグマ)を「キレたらだめ、嫌われる」と押さえつけていた。
F-3 今、私は、キレるはずの場面で怒りがわいてこなくなった。

《感想》「怒り」の原因であった「お母さん」(私の分身)と「私」(私の分身)の「対立」が解消し、私は穏やかになった。「暴れ出す何か」(マグマ)つまり「怒り」がなくなった。

(3)暴力
G だがまだエイコ(私)の中に、マグマのくすぶりが残っていた。数か月後、エイコはキレた。
G-2 子ども(2歳)が牛乳をひっくり返した。子どもを叩いた。
G-3 しかし「暴力って絶対無意味だ」とエイコは思った。「意味のある暴力なんて記憶にない!」(Ex. 先生からの暴力)

《感想1》「暴力でしつける」のは権力関係・力関係を思い知らせ、相手に服従を強いることだ。この服従が成立するのは「痛みの回避を求める欲望」があるからだ。
《感想1-2》ただし服従が強固となるためには、権力関係・力関係(暴力)が世界観的倫理によって正当化されねばならない。つまり正当化の理論がいる。
《感想2》なお「痛みの回避を求める欲望」に対抗できるのは、「麻薬」か、「世界観的倫理」(正当化の理論)だ。Ex. 殉教者にとってのキリスト教。


第3章 キレるメカニズム
(1)キレないためには、意識が「今」にいることが大事だ(⇔「未来」・「過去」)
H キレる原因①「未来」に悪いことが起きると勝手に決めつける。Ex. 大変なことになる。
H-2 キレる原因②あの時、こうしてなかったからと後悔し、「過去」に目が行く。
H-3 キレる原因①②は、要するに、意識が「今」にないことだ。
H-4 キレる原因③責任感が強い。Ex.1 私のせいで、このままでは大変なことになる。Ex.2 私のせいで、とんでもないことになった。
H-5 かくて冷静に「今」にいることが大事だ。

《感想1》「未来」への不安・心配が、君をパニック状態にする。つまり「未来」への不安・心配を引き起こした相手に対しキレる。
《感想2》「過去」への後悔が、君をパニック状態にする。今更、過去は変えられないのに、君は過去にこだわる。君は、「過去」への後悔を引き起こした相手に対しキレる。

(2)キレないためには、「状況」でなく「心」に注目する
I また「状況」でなく「心」に注目することが大事だ。
I-2 例えば「ブドウが食べたい」と泣く子供。「オレンジしかない」「ないんだから仕方ないでしょう」と私。子供は泣き止まない。これが「状況」のレベル。
I-3 「ブドウが食べたいんだよね」、「ブドウ大好きだよね」、「ブドウがなくて残念だね」と私が言うと、子供は泣き止んだ。これが「心」のレベルだ。

《感想1》キレるのは、「心」のレベルで起きる。問題は「心」だ!
《感想2》「状況」が問題となるのは、「状況」が「心」に影響を与えるからだ。「状況」が「心」に問題を引き起こさなければ、そもそも「状況」が問題にならない。

(3)キレないためには、「前提」(※バーチャルの現実)に気づかねばならない
J キレる時は、「バーチャル体験」と同じことが起きている。
J-2 ある「前提」(※バーチャルの現実)がすでにある。この「前提」のもとで、ある出来事が起きてキレる。

《感想1》「前提」とは、「未来」・「過去」へのこだわりだ。かくて、キレないために、「今」に生きるのだ。
《感想2》また「前提」とは、「状況」へこだわることだ。かくて、キレないために、「心」そのものに目を向ける!
《感想3》「前提」とは思い込みだ。「自分は悪意に囲まれている」、「皆が自分の悪口を言っている」、「あいつは自分を馬鹿にしている」などの「前提」があると、なにか出来事や相手の行動に対し、君はキレやすくなる。

(4)キレなくなる効果的方法:①「休む」、②「自分をほめる」、③「今」に注目する
K キレなくなる効果的方法①「休む」。「自分はダメだ」と思い、「自分に厳しい」ので君は疲れている。だからEx. 体をいたわる・眠る。Ex. 行きたくないところに行かない。Ex. 好きなところに出かける。Ex. 逃げる。
K-2 キレなくなる効果的方法②「自分をほめる」(栄養補給だ!)。Ex. 翌日やるべき予定の項目を書きだして、それが翌日出来たら自分を「ほめる」。半分出来たら、半分出来た分を「ほめる」。
K-3 キレなくなる効果的方法③(「ほめる」ものがどうしても見つからない時は)「今」に注目する。君は「今ここにいる」!(Ex. 机が見えます、座っています、椅子の上にお尻がある。)かくて「状況」や「世間体」が削ぎ落され、自分の素材(「心」)が見えて来る。「悪くないじゃん」と思えれば最善。
K-3-2 ③-2 また、すでに見たように、キレないためには、意識が「今」にいることが大事だ(⇔「未来」・「過去」)。

《感想1》①「休む」、②「自分をほめる」、③「今」に注目するは、君の心が安らぐため重要だ。
《感想2》特に③意識が「今」にいることが大事だ。(ア)「未来」に悪いことが起きると勝手に決めつけない。Ex. 「大変なことになる」と過度に不安にならない。(イ)またあの時、こうしてなかったからと、「過去」に目が行き後悔にさいなまれても過去は変わらない。君は過去を受け入れるしかない。死んだ子の歳を数えてもしかたない。子どもはもう死んだ。
《感想3》君は実は(ウ) 責任感が強いのだ。(Ex.1 このままでは大変なことになる。Ex.2 私のせいでとんでもないことになった。)もっと自分を許してよい。

(5)アンダードッグが爆発し、トップドッグをはねのける時、君は「キレる」:岡田法悦(ノリヨシ)(日本ゲシュタルト療法学会理事)
L ゲシュタルトセラピー理論は、心の中のトップドッグ(topdog、勝者・支配者)とアンダードッグ(underdog、 敗者・負け犬)との対立が「キレる」ことの原因だと説明する。
L-2 トップドッグ(※超自我に相当)は、「本当はやりたいけど、やっちゃダメ」、「本当はやりたくないけど、やらなきゃいけない」と君に命じる。そして怒りを「わがままだ」「良くないものだ」と抑える。
L-3 アンダードッグは、「でも・・・・」「やだな」「逃げたい」「反抗する」という気持ちだ。(※超自我への反動エネルギー!)もともとのものなのでエネルギーが大きい。かくてアンダードッグが、爆発的にトップドッグをはねのける時、君はキレる。

《感想1》トップドッグ(※超自我に相当)は必要不可欠だ。「本当はやりたいけど、やっちゃダメ」(Ex. 基本的に犯罪はダメだ)、「本当はやりたくないけど、やらなきゃいけない」(Ex. 会社が嫌でも働かないと給料が入らない)、そんなことばかりだ。、他者たちとうまくやり、自分が生きて行くには必要だ。
《感想2》もちろんアンダードッグが消えるわけでない。「でも・・・・」「やだな」「逃げたい」「反抗する」という気持ちだ。正当なものは吟味し肯定するべきだ。「わがままだ」「良くないものだ」と抑えるのが、善と言えないことがある。Ex. 理不尽な支配のための道具としての道徳。

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筒井康隆(1934-)『最悪の接触(ワースト・コンタクト)』(1985):異星人であるマグ・マグ人と人間(地球人)のコミュニケーションの困難さを描く!

2018-10-23 22:31:24 | Weblog
異星人であるマグ・マグ人と人間(地球人)のコミュニケーションの困難さを描く。以下、それについて考察する。(あまりに項目が多いので、考察は途中まで!)
(1)地球人の観点から見ると、マグ・マグ人は態度(「ニコニコ笑う」)と行動(「棍棒で殴る」)が矛盾する!
最初の挨拶の時、マグ・マグ人はニコニコ笑っていた。ところが突然、後ろに隠していた棍棒でおれを殴った。おれは怒った。ところがマグ・マグ人は「よかった、死ななかったね」とニコニコしていた。「死なないように殴ったよ。」「殺されなかったのだから、幸せではないか。」と言った。
《感想》地球人の観点から見ると、「ニコニコ笑う」(態度)は友好的だ。「棍棒で殴る」(行動)は敵対的だ。一方で「態度」と、他方で「行動」が一致しない。マグ・マグ人の観点からすると、「ニコニコ笑う」(態度)は友好的で、「死なないように棍棒で殴る」(行動)も友好的なので態度と行動が一致する。

(1)-2言葉(「殴らない」)と行動(「殴る」)の矛盾!or「殴る」のは「殴る」ことであって、「殴る」のは「挨拶」でない!
「マグ・マグ人は、殴るのが挨拶なのか」とおれがたずねる。「そんな挨拶があるわけない。殴る痛いよ。」とマグ・マグ人が反論した。
《感想》「挨拶で殴らない」(言葉)と言いながら、マグ・マグ人は「挨拶で殴る」(行動)。言葉と行動が一致しない。これはおれ(地球人)の観点だ。だがマグ・マグ人は「殴る」のは「殴る」ことであって、「殴る」のは「挨拶」でないと当然のことを言っているだけだ。Cf. 「白馬」は「白馬」であって、「白馬」は「馬」でない。(白馬非馬論:公孫龍)

(1)-3 「殺さない」限り何をしようと「友好的」だ!or双方が「友好的」だと言わないと、「友好的」にならない。!
マグ・マグ人は、「死なないように殴った」、「殺さなかった」のだから友好的だと言う。「あなたはわたしに殺されなかったのだから、しあわせではないか」と言う。
《感想1》「殺さない」限り、相手にどんな拷問・苦痛・傷害を加えても、「友好的」だという考え方だ。目をくりぬき、鼻・耳を削ぎ、手足を切断しても「殺さない」なら「友好的」だとマグ・マグ人は言う。やられる相手は「敵対的」だと思う。
《感想2》「友好的」とは一方のみが言うだけでは成立しない。双方が「友好的」だと言わないと、「友好的」にならない。

(2)地球人の行動連関の規則!&マグ・マグ人は自分の見解と他者の見解が同一と考える!
マグ・マグ人が「煙草吸うか」とおれにすすめたので、おれが「一本貰おう」と言うと、彼は煙草を引っ込めた。そして「わたしは吸わない」とマグ・マグ人は言い、煙草をちぎって屑籠に捨てた。
《感想1》マグ・マグ人は「煙草吸うか」と煙草をすすめたのに、煙草をくれない。《「煙草をすすめる」→「煙草をわたす」》という地球人の行動連関の規則に反する。
《感想2》地球人と違って、マグ・マグ人は自分の見解と他者の見解が同一と考える。マグ・マグ人は自分が煙草を「吸わない」と相手も「吸わない」と勝手に決めつけ、相手が「吸いたい」と言っても煙草を捨ててしまう。

(3)マグ・マグ人の不可解な行動一覧
(あ)自分に同意する人は「いい人」!&相手が「いい人」だと自分は「悪い人」!
「常識と常識がぶつかるところに、新しい文明が生れる」とマグ・マグ人が言う。そしてそれを「あなたは認めるか」とたずねる。おれが「認める」と答える。すると「なぜあなたがそれを認める必要があるのか。わたしならともかく。」と言って嬉し泣きする。そして「あなたはとてもいい人だ」と言い、棍棒で自分の後頭部を殴り気を失う。
《感想1》おれが「認める」と答えると、マグ・マグ人は嬉し泣きする。なぜか?おれがどうせ「認めない」と答えるだろうと、マグ・マグ人は予想していたからだ。自分の意見に同意する人は「いい人」だ。
《感想1-2》おれ(地球人)が、マグ・マグ人の見解を「認める」のが、彼には不思議なのだ。おれには「それを認める必要」など何もないはずだ。マグ・マグ人の「わたし」がわたしの見解を認める「ならともかく」!マグ・マグ人は、他者は利益に基づいてのみ行動する存在と思っている。
《感想2》相手が「いい人」だと、自分は「悪い人」とマグ・マグ人は思う。かくて彼は棍棒で自分の後頭部を殴り、自分を罰する。

(い)事実(「聞き洩らしてない」)と言葉(「聞き洩らした」)の矛盾!
料理を上手に作るマグ・マグ人を見て、「あんたの商売はなんだね」とおれがたずねる。「わたしの商売かい。それは聞き洩らした。」と彼が言う。
《感想》彼は「聞き洩らしてない」(事実)のに、「聞き洩らした」と言う(言葉)。

(う)連想の連関:「肉」・「好き」が連想連関の核で、「好き」の連関項が1つ、「肉」の連関項が3つ!
「マグ・マグ人、肉が好きだよ。自分以上に好きだ。なぜかと言うと自分も肉だからだ。」「だから利害関係のある者と一緒に肉食わないね。」「あなたとなら、わたし肉食うという意味だよ。」こうマグ・マグ人が、おれに言った。
《感想1》これら一連の発言が、マグ・マグ人には連関する。連想による連関だ。肉が「好き」。自分以上に「好き」。ここは「好き」を核にする連想の連関だ。
《感想2》「肉が好き」→自分以上に「好き」→なぜかと言うと自分も「肉」だから→だから利害関係のある者と一緒に「肉」食わない→「肉」食う。「肉」と「好き」が連想連関の核で、「好き」の連関項は1つ、「肉」の連関項は3つだ。
《感想3》「肉」と「好き」の各連関項に付随させる言葉は、思いつくものなら何でもよい。

(え)目的連関が、地球人とマグ・マグ人で異なる:「食べてもらう」ため「料理を作る」(地球人)&「毒を入れる」ため「料理を作る」(マグ・マグ人)!
マグ・マグ人が作ってくれた料理をおれが食べようとすると、彼が叫んだ。「食べるな!わたしその料理に毒入れた。」おれが「殺そうとしたな!」といきり立つと「殺す気なんかじゃなかったことはわかるだろう。毒が入っていることを教えたんだから」と彼が言った。
《感想1》地球では「食べてもらう」という目的のために「料理を作る」。ところがマグ・マグ人は「食べてもらう」という目的を前提しないで「料理を作る」。目的連関が、地球人とマグ・マグ人で異なる。
《感想2》「毒を入れる」は地球人の目的連関では「殺す」ことを目的とする。
《感想2-2》ところがマグ・マグ人の場合は「毒を入れる」は「殺す」ことを目的としないことがある。《「殺さない」で「救う親切を示す」》という目的のため「毒を入れる」ことがある。

(え)-2 マグ・マグ人の目的連関と地球人の目的連関:「救う親切を示す」ため「料理に毒を入れる」(マグ・マグ人)&「殺す」ため「料理に毒を入れる」(地球人)!
おれは、マグ・マグ人の目的が何だろうと考え、確認した。「おれに、毒が入っていることを教えるために(マグ・マグ人は)この料理に毒を入れ、毒を入れるために(マグ・マグ人は)この料理を作った。」
《感想3》
目的「毒が入っていることを教える」(「救う親切を示す」)←下位の目的「料理に毒を入れる」←さらに下位の目的「料理を作る」。これはマグ・マグ人の目的連関だ。
《感想3-2》地球人の目的連関。目的「殺す」←下位の目的「料理に毒を入れる」←さらに下位の目的「料理を作る」。
《感想3-3》地球人のもう一つの目的連関。目的「料理を食べてもらう」←下位の目的「料理を作る」。

(お)マグ・マグ人は他者の「苦痛」に関心をもたない!
おれは気が狂いそうになってベッドに横たわり頭を抱え込んだ。マグ・マグ人が「どうかしたのか」とたずねた。「頭が痛い」とおれが言うと、マグ・マグ人が「そうか」とうなずき「でも、わたしは痛くない」と言った。そして鼻歌を歌う。おれはムカムカと腹を立てた。
《感想1》おれ(地球人)が「ベッドに横たわり頭を抱え込む」行動は、マグ・マグ人にとっても異常事態だ。この状況判断は両者で共通だ。だからマグ・マグ人が「どうかしたのか」とおれ(地球人)にたずねた
《感想2》おれが「頭が痛い」のはおれの頭が痛いのであって、マグ・マグ人の頭に関しては「痛くない」。かくて彼は「どうかした」(異常事態が到来した)わけでない。
《感想2-2》地球人が示した異常事態は、マグ・マグ人にとっても異常事態の到来(「どうかした」)かと思われた。ところが地球人の「頭が痛い」だけで、マグ・マグ人の頭は「痛くない」。かくてマグ・マグ人にとって異常事態は到来していない。マグ・マグ人が関心を持つのは、自分の「苦痛」であって他者(おれ)の「苦痛」ではない。

(か)「毒薬」に関する因果連関の規則:地球人《「毒薬」→殺人》&マグ・マグ人《「毒薬」→自殺》!
毒薬で殺されると思って、おれは「さあ。毒薬を渡せ」とマグ・マグ人に言った。すると彼が答えた。「渡せない。地球人は毒を手に入れるなりすぐ服(ノ)んでしまうと聞いている。渡したりしたら大変だ。」
《感想》「毒薬」に関する因果連関の規則が地球人とマグ・マグ人では違う。地球人は《「毒薬」→「毒を入れられ殺される」(殺人)》だが、マグ・マグ人では《「毒薬」→「地球人は自分ですぐ服んでしまう」(自殺)》である。

(き)マグ・マグ人は、他者も自分と同じ感情・欲望・意図を持つと思う!
おれは空腹になって自分で料理を作ろうとするとマグ・マグ人が突然、とび蹴りをかけてきて、おれはぶっ倒れた。ものすごいマグ・マグ人の怒りだ。怒りの理由は(ア)あなたが料理すると「わたしの作った料理が無駄になる。明日の朝まで、食べるのを待たせるため毒を入れた。」(イ)「おれは腹が減ってるんだ」と言うと、マグ・マグ人は「だが、わたしは減ってない」と答える。
《感想》マグ・マグ人は、他者が自分と違う感情・欲望・意図を持つことが理解できない。他者も自分と同じだと思う。(ア) マグマグ人が言う。「明日の朝まで、食べるのを待つ」と自分が決めたからお前もそう思うはずだ。(イ) また「おれは腹が減ってるんだ」と地球人が言っても、マグ・マグ人は「だが、わたしは減ってない」と答え、地球人の発言を信じない。マグ・マグ人が「腹が減っていない」時、他者もまた「腹が減っていない」としかマグ・マグ人は考えることができない。

(く)マグ・マグ人の論理:「A(これ)はB(銃)のように《見える》」。つまりまりAはBの偽物だ。だからAはBで《ある》!
怒ったマグ・マグ人が銃を出した。「あなたにはこれが銃のように見えるだろう。しかし、だまされてはいけない。実はこれは銃だ。」「ふざけるな」おれ(地球人)は吠えた。
《感想1》地球人の論理なら、「あなたにはこれが銃のように《見える》だろう。しかし、だまされてはいけない。」の後は、「これは銃で《ない》。」となる。
《感想1-2》「実はこれは銃で《ある》。」が結論となるためには、前提は「あなたにはこれが銃のように《見えない》だろう。しかし、だまされてはいけない。」となる。
《感想2》地球人の論理:「A(これ)はB(銃)のように《見える》」。つまりAはBの偽物だ。だからAはBで《ない》。
《感想2-2》マグ・マグ人の論理:「A(これ)はB(銃)のように《見える》」。つまりAはBの偽物だ。だからAはBで《ある》。かくて地球人の論理とマグ・マグ人の論理は正反対だ。

(け)マグ・マグ人は、結果(「おれは腹が減っている」)を引き起こした原因が何か推理することを拒否する!
「おれに飯を食わさぬつもりか」とおれ(地球人)が言う。「わたしがどんなつもり(※意図)でいるかはどうでもいいことではないか。問題はあなただ」とマグ・マグ人が反論する。「そうとも問題はおれだ。おれは腹が減っている。」とおれ。すると「わたしは減っていない」とマグ・マグ人。
《感想1》「問題はあなただ」との指摘は正しい。「おれは腹が減っている」。
《感想1-2》おれ(地球人)の推理では、この結果(「おれは腹が減っている」)を引き起こした原因は、マグ・マグ人の意図(「おれに飯を食わさぬ」)だ。
《感想1-2》ところがマグ・マグ人は結果(「おれは腹が減っている」)を引き起こした原因が何か推理することを拒否する。原因は、マグ・マグ人の意図(「おれに飯を食わさぬ」)なのに!

(け)-2 マグ・マグ人は、他者も自分と同じ感情・欲望・意図を持つと思う!(続)(参照(き))
「おれは腹が減っている」とおれ(地球人)が言うと、マグ・マグ人が「わたしは減っていない」と言う。
《感想》マグ・マグ人は、他者が自分と同じ感情・欲望・意図を持つと思う(参照(き))。かくて、マグ・マグ人が「わたしは腹が減っていない」と言えば、おれ(地球人)が「腹が減っている」といくら言っても、マグ・マグ人は、おれ(地球人)が嘘をついているとしか思わない。おれは議論をあきらめた。

(こ)「寝る」か「寝ない」かいずれかしかおれ(地球人)には可能でない。ところがマグ・マグ人は「どちらもするな」と命じる!
何をされるか分からないので、おちおちと寝てもいられない。おれは、マグ・マグ人に「お前が寝たらおれも寝る。寝ないのなら寝ない」と言う。彼は「では、どちらもするな」と言った。
《感想》マグ・マグ人は、「寝る」ことも「寝ない」ことも「どちらもするな」とおれ(地球人)に命じる。しかし、おれ(地球人)は、事実的かつ論理的に「寝る」か「寝ない」かしか可能でない。かくてマグ・マグ人は、おれ(地球人)に《不可能なことをしろ》と無理難題を吹っかけている。憎らしいマグ・マグ人だ。《身体が一つしかないので、ある時点で1カ所にしかい居れない》おれに「同時に2カ所に居ろ」と言っているようなものだ。

(さ)マグ・マグ人の場合、「空腹」「満腹」の区別と、「食べたい」「食べたくない」の区別が、何の対応関係もない!
「わたしは腹が減っていない」と言ったマグ・マグ人が、自分用の料理を食べ始めた。「腹が減ってないのになぜ食べるんだ」とおれ(地球人)が言うと、彼は「空腹時には食べないことにしている」と言った。
《感想》マグ・マグ人は空腹時に食べず、満腹時に食べる。地球人は空腹時に食べ、満腹時に食べない。地球人の場合、「空腹」は「食べたい」事態、「満腹」は「食べたくない」事態と定義される。これに対しマグ・マグ人の場合、「空腹」は「腹が空の事態」、「満腹」は「腹が満の事態」と定義される。そして「空腹」「満腹」の区別と、「食べたい」「食べたくない」の区別は、何の対応関係もない。

(し)因果連関も論理的連関もない2つの命題を「それなら」と連関させるマグ・マグ人の思考回路が地球人に不明だ!
寒いのでおれ(地球人)が「毛布はないか」とたずねると、マグ・マグ人が「寝るための毛布か、起きるための毛布か?」と訊ね返した。おれは「地球の毛布は両方兼用だ」と答えた。「ああ。それなら、どちらもない。」と彼は言った。「ないのなら訊き返すな」とおれは思った。
《感想1》マグ・マグ人は「寝るための毛布」と「起きるための毛布」を区別する。寝るときに「寝るための毛布」を掛け、起きる時にそれを「起きるための毛布」に取り換え、それから起きるのだ。ずいぶん面倒くさい。
《感想2》おれは「地球の毛布は両方(寝る・起きる)兼用だ」と答えると「ああ。それなら、寝るための毛布も起きるための毛布もない。」とマグ・マグ人は言った。
《感想2-2》だが「毛布が両方(寝る・起きる)兼用である」ことと「寝るための毛布も起きるための毛布もない」ことの間に、因果連関も論理的連関もない。両命題を「それなら」と連関させるマグ・マグ人の思考回路が地球人に不明だ。

(し)-2 「お前が欲しいのは、寝るための毛布か、起きるための毛布か?」と「どちらもない」のに訊いた!
《感想3》マグ・マグ人が、「お前が欲しいのは、寝るための毛布か、起きるための毛布か?」と訊ねた。ところが実は「どちらも(持って)ない」のに訊いたのだ。「(持って)ないのなら訊くな」とおれ(地球人)が思ったのは当然だ。このようなことは、地球人の場合、相手をからかう時にする。
《感想3-2》マグ・マグ人はおれ(地球人)をからかったわけでない。自分が毛布の「どちらもない」が、ただおれ(地球人)の欲求の内容を確認したかったのだ。かくて「お前が欲しいのは、寝るための毛布か、起きるための毛布か?」と訊ねた。だが地球人は、それをからかいととらえる。

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