(1)
ジュラ山地の斜面に、ほぼ半世紀前まで「花咲くさんざしのノートル=ダーム」という教会と修道院の廃墟があった。
(2)
その創設者の「聖女さま」が亡くなり、2世紀が経った頃、聖母マリア像の聖櫃(セイヒツ)係尼僧をベアトリックスがつとめていた。彼女は18歳で、聖母マリアに一生を捧げても捧げきれないような情熱的な愛情をもって仕えた。
(3)
近くの年若い領主レーモンがある日、森で刺客に襲われた。その瀕死の怪我人は修道院に運ばれ、彼をベアトリックスが介抱した。回復したレーモンは、ベアトリックスに「妻になってくれ」と懇願した。
(4)
ベアトリックスは苦しんだ。彼女は「地獄の情熱」にとりつかれた。夜、ひとり内陣に行き聖櫃を開き聖母マリアに訴えた。「ああ、あたしの青春を守って下さった方!・・・・ああ尊いマリアさま!どうしてあたしをお見捨てになったのです?」
(5)
つぎの晩、一台の馬車が、回復した美しい騎士レーモンと誓願を破って彼に従った若い尼僧を載せ、修道院を去った。
(6)
ベアトリックスは愛情の陶酔と幸福の中で過ごした。しかしやがて彼女がレーモンに愛されていないことを知る日がきた。その人のために神の祭壇を捨てたその相手から完全に捨てられる日がきた。今や彼女は、この世に誰一人頼るものがなかった。
(7)
やがてベアトリックスは哀れな乞食女となった。捨てられて十五年がたった。彼女は疲れと空腹で、ある門前で気を失い倒れた。彼女は尼僧に介抱され、意識を取り戻した。そして彼女はそこが、「花咲くさんざしのノートル=ダーム」であること知る。彼女は歓喜したが、直ちに深い呆然自失の状態に陥った。
(8)
「神さまどうかお情けを!」と乞食女のベアトリックスが門番の尼僧に言った。「花咲くさんざしの聖母さまに遠い昔、あたしお仕えしていたんです。」「それはベアトリックス尼が聖櫃係尼僧を勤めていた頃です。」
(9)
すると門番の尼僧が言った。「ベアトリックスさまは、お堂の聖櫃のお勤めを一度もおやめになったことはありません。」乞食女ベアトリックスが言った。「そうではなくて16年前に同じお役目を勤めていて、あやまちのうちに生涯をおえた、もう一人のベアトリックスのことです。」すると門番の尼僧が「今のベアトリックスさま以外のお堂の聖櫃係なんて聞いたこともないわ」と答えた。
(10)
門番の尼僧が立去ると、乞食女ベアトリックスは勇気を奮って立ち上がり、柱伝いに聖櫃に近づいた。確かにそこには尼僧が立っていた。その聖櫃係尼僧は彼女自身だった!
(11)
尼僧が歩いてきた。そして言った。「あなたなのねベアトリックス。ずいぶん長いこと待っていました。あなたが出て行ったその日からあなたの代わりをしてきました。誰にも、あなたのいなくなったことが分からないようにね。これはあなたの愛のおかげで可能になった並々ならない恩寵なのです。」尼僧は聖母マリアだった。
(11)-2
聖母マリアが、「あなたのお部屋にはあなたが残していった衣があります。その衣を身につけ、昔の純潔を取り戻しなさい」とベアトリックスに言った。
(12)
聖母マリアは、祭壇の階段をのぼり、聖櫃(セイヒツ)の扉をあけ、その中に金の後光と、花咲くさんざしの飾りにつつまれ、神々しい威光のうちに腰を下ろされた。
(13)
昔の衣を着てベアトリックスは、かつてその信仰を裏切った朋輩たちの間に滑り込んだ。だが彼女を咎める声はなかった。誰一人彼女がいなくなったことに気づかなかったように、誰一人彼女が戻ってきたことに気づかなかった。
(14)
門番の尼僧が寝床を用意して戻ってみると、あの可哀そうな女の姿はもうなかった。
(15)
ベアトリックスはその後、苦しみも後悔も恐れもなく、幸福のうちに一世紀のあいだ生きた。彼女は聖母への優しい忠実さのためにその栄誉に値する者だった。彼女は聖者の位に列した。
《感想1》カトリックの奇跡物語だ。信仰のない世界ではドッペルゲンガー(同時に複数の場所にいる同一人物)の物語になる。理性(科学)の立場では、奇跡物語もドッペルゲンガーも虚妄だ。
《感想2》作者ノディエは、「ルターやヴォルテールの一派」にくみしない。カトリックに聖母マリア信仰があるが、ルター派のプロテスタントにはない。ヴォルテールは啓蒙主義者であり、理性の立場から奇跡を信じない。
《感想3》キリスト処刑のイバラの冠がサンザシだ。サンザシはメイフラワー(Mayflower)。イギリスの清教徒が信仰の自由を求めアメリカに渡った船は「メイフラワー号」だ。
ジュラ山地の斜面に、ほぼ半世紀前まで「花咲くさんざしのノートル=ダーム」という教会と修道院の廃墟があった。
(2)
その創設者の「聖女さま」が亡くなり、2世紀が経った頃、聖母マリア像の聖櫃(セイヒツ)係尼僧をベアトリックスがつとめていた。彼女は18歳で、聖母マリアに一生を捧げても捧げきれないような情熱的な愛情をもって仕えた。
(3)
近くの年若い領主レーモンがある日、森で刺客に襲われた。その瀕死の怪我人は修道院に運ばれ、彼をベアトリックスが介抱した。回復したレーモンは、ベアトリックスに「妻になってくれ」と懇願した。
(4)
ベアトリックスは苦しんだ。彼女は「地獄の情熱」にとりつかれた。夜、ひとり内陣に行き聖櫃を開き聖母マリアに訴えた。「ああ、あたしの青春を守って下さった方!・・・・ああ尊いマリアさま!どうしてあたしをお見捨てになったのです?」
(5)
つぎの晩、一台の馬車が、回復した美しい騎士レーモンと誓願を破って彼に従った若い尼僧を載せ、修道院を去った。
(6)
ベアトリックスは愛情の陶酔と幸福の中で過ごした。しかしやがて彼女がレーモンに愛されていないことを知る日がきた。その人のために神の祭壇を捨てたその相手から完全に捨てられる日がきた。今や彼女は、この世に誰一人頼るものがなかった。
(7)
やがてベアトリックスは哀れな乞食女となった。捨てられて十五年がたった。彼女は疲れと空腹で、ある門前で気を失い倒れた。彼女は尼僧に介抱され、意識を取り戻した。そして彼女はそこが、「花咲くさんざしのノートル=ダーム」であること知る。彼女は歓喜したが、直ちに深い呆然自失の状態に陥った。
(8)
「神さまどうかお情けを!」と乞食女のベアトリックスが門番の尼僧に言った。「花咲くさんざしの聖母さまに遠い昔、あたしお仕えしていたんです。」「それはベアトリックス尼が聖櫃係尼僧を勤めていた頃です。」
(9)
すると門番の尼僧が言った。「ベアトリックスさまは、お堂の聖櫃のお勤めを一度もおやめになったことはありません。」乞食女ベアトリックスが言った。「そうではなくて16年前に同じお役目を勤めていて、あやまちのうちに生涯をおえた、もう一人のベアトリックスのことです。」すると門番の尼僧が「今のベアトリックスさま以外のお堂の聖櫃係なんて聞いたこともないわ」と答えた。
(10)
門番の尼僧が立去ると、乞食女ベアトリックスは勇気を奮って立ち上がり、柱伝いに聖櫃に近づいた。確かにそこには尼僧が立っていた。その聖櫃係尼僧は彼女自身だった!
(11)
尼僧が歩いてきた。そして言った。「あなたなのねベアトリックス。ずいぶん長いこと待っていました。あなたが出て行ったその日からあなたの代わりをしてきました。誰にも、あなたのいなくなったことが分からないようにね。これはあなたの愛のおかげで可能になった並々ならない恩寵なのです。」尼僧は聖母マリアだった。
(11)-2
聖母マリアが、「あなたのお部屋にはあなたが残していった衣があります。その衣を身につけ、昔の純潔を取り戻しなさい」とベアトリックスに言った。
(12)
聖母マリアは、祭壇の階段をのぼり、聖櫃(セイヒツ)の扉をあけ、その中に金の後光と、花咲くさんざしの飾りにつつまれ、神々しい威光のうちに腰を下ろされた。
(13)
昔の衣を着てベアトリックスは、かつてその信仰を裏切った朋輩たちの間に滑り込んだ。だが彼女を咎める声はなかった。誰一人彼女がいなくなったことに気づかなかったように、誰一人彼女が戻ってきたことに気づかなかった。
(14)
門番の尼僧が寝床を用意して戻ってみると、あの可哀そうな女の姿はもうなかった。
(15)
ベアトリックスはその後、苦しみも後悔も恐れもなく、幸福のうちに一世紀のあいだ生きた。彼女は聖母への優しい忠実さのためにその栄誉に値する者だった。彼女は聖者の位に列した。
《感想1》カトリックの奇跡物語だ。信仰のない世界ではドッペルゲンガー(同時に複数の場所にいる同一人物)の物語になる。理性(科学)の立場では、奇跡物語もドッペルゲンガーも虚妄だ。
《感想2》作者ノディエは、「ルターやヴォルテールの一派」にくみしない。カトリックに聖母マリア信仰があるが、ルター派のプロテスタントにはない。ヴォルテールは啓蒙主義者であり、理性の立場から奇跡を信じない。
《感想3》キリスト処刑のイバラの冠がサンザシだ。サンザシはメイフラワー(Mayflower)。イギリスの清教徒が信仰の自由を求めアメリカに渡った船は「メイフラワー号」だ。