奈良井宿は現在の長野県塩尻市奈良井に位置し、
中山道六十九次の中で、34番目、真ん中の宿場町です。
木曽路11宿の中で標高が900m台と最も高く、
多くの旅人で栄えた宿場町は「奈良井千軒」と謳われました。
町並みは国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
大王わさび農場から奈良井宿までは
長野自動車道と国道19号を経由して約1時間で着きます。
車を奈良井駅前の駐車場(500円)に止め
鳥居峠上り口にある鎮神社(約1.1km)まで往復歩きました。
張り出した軒先の造りが特徴的な町並み。
まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようです。
これだけの町並みが残ったのは近代以降大火がなかったからだそうです。
旅館
思っていたよりもお手頃で素敵な漆器がたくさんあったのですが、
断捨離の最中・・・
20年前だったら確実に求めていたでしょう。
水場
山の湧き水を引いたもので、山側の6ヵ所にあります。
前方に見えるのは鳥居峠でしょうか。
上問屋資料館
むかし宿駅には幕府の役人や諸大名その他の旅行者用として、
幕府の定めた一定数の伝馬(宿駅用の馬)と
歩行役(人足)を常備して旅行者の需に応じていた。
木曽11宿は1宿につき25人の歩行役と25疋の伝馬を用意していたと
言われており、この伝馬と歩行役を管理運営していたのが問屋であった。
問屋の下には数人の年寄役がいてこれを補佐していた。
奈良井宿の上問屋は慶長年間(1602年)から明治維新まで
およそ270年間継続して問屋を勤め庄屋も兼務していた。
その永い間に残された古文書や日常生活に使用した諸道具を
展示したのがこの資料館です。
(資料館のパンフレット要約)
上問屋資料館入口と国重要文化財指定票
入場料金300円。
明治天皇が滞在された部屋
囲炉裏・台所
2階からは町並みを見下ろすこともできます。
鎮神社周辺
水場
宿場の南端、鎮神社の近くにあるので、鎮神社の手水舎的な
雰囲気を持っており、水場の背後には二十三夜搭や、地蔵尊、庚申塔など
多くの石仏や石碑が安置されています。
高札場
江戸時代に幕府や藩などが決めた、
法律のようなのものを住民達に伝達する手段の1つ。
明治の初め頃まで使われていたが宿場制度がなくなると同時に
その役割を終え撤去されましたが、
宿場の町並み整備が進む中昭和48年に復元されたそうです。
(水場の後ろにある)
鎮神社鳥居と御神木(スギ)
町並みの西端の鳥居峠の上り口に鎮座している神社で奈良井宿の鎮守。
鎮神社本殿
鎮神社前の道から見た奈良井宿上町付近の町
鍵の手
城下町にはよくある、枡形などと同じ構造で、
戦争になった時、一気に軍勢が入り込まれないようにするための
防御的意味合いの強い町の構成要素。
駅に向かって歩き、左側には水場。
右側には荒沢不動尊や道祖神があります。
奈良井宿には2:50~4:30まで滞在。
木曽の大橋(道の駅)
勘違い
奈良井駅から国道19号に出ると、木曽の大橋(道の駅)
という標識が見えたので寄っていこうと、どんどん進みましたが、
道の駅らしき建物は見えません。諦めてUターンして塩尻方面に向かうと
左手にまた標識が見えたので、進んでみると、あったのはよく聞く
道の駅とは違い、立派な太鼓橋(木曽の大橋)と駐車場でした。
着いた時間は4時45分。薄暗くなってきました。
木曽の大橋
渡ってみると、対岸には公園とトイレがありました。
少しだけ公園を散歩して、次にはほんとの道の駅(名前忘れ)に
寄りましたが、5時で、お店を締めているところでした。
高速に乗る前に食事をしようと探しましたが、営業しているのは
全国展開している牛丼屋さんとかファミレスばかり。
結局、中央高速・諏訪湖SAのそじ坊さんで、
夜の諏訪湖を眺めながらお食事しました。
お蕎麦と梅シラス丼の子丼セット。
自宅に着いたのは9時過ぎていましたが、お天気にも恵まれ
楽しい旅ができました。
J君、お疲れ様。どうもありがとう。
ウオーキング・運動記録
11月06日(水) お買い物 一日合計9861歩 踵落とし90回
11月07日(木) 卓球80分 一日合計7555歩 踵落とし60回
長々とお付き合い下さり、ありがとうございました。
tonaさんのように中山道を通して歩けると良いのですが、
とても無理なので、有名なスポットだけでも訪ねてみようと
寄ってみました。
私も初めて訪ねた宿場町が馬籠と妻籠だったので、
そちらの方が印象は強いですが、奈良井もなかなか良かったです。
多分tonaさんは歩かれると思いますが、
鳥居峠や二百地蔵付近など、時間があれば歩いてみたかったです。
素敵な宿、心が弾みます。
以前行ったことがあるのですが、忘れているので丁度いいです。
馬籠や妻籠の方の印象がどういうわけか強いのです。
どの写真もわかりやすくて、もう行かなくてもいいくらいと思ってしまったほどです。
東海道53次は有名ですが、中山道が69次もあったことは
私もこの記事を書いて分かったのですよ。
旅行に行っただけではしばらくすれば忘れてしまうことでも
ブログを書くことによって少しは知識が定着し、
また月日を経て読み返すことも思い出に浸れて良いです。
千両は引っ越してきた頃、近所の方から実を頂いて
蒔いたのですが発芽しませんでした。
その何年かのち、自生している千両や万両を見た時はとても嬉しかったです。
鳥さんが発芽しやすいように果肉を胃の中で消化してから
種を排泄するのでしょうか。
自然の摂理は素晴らしいです。
千両の実、どうしてつかないのでしょうね。
半日陰の方が好きですが、花が咲いたつもりで、
思い切って剪定をしたらいかがでしょうか。
下から新しい枝が出て実がなるかもしれません。
やっこさんも行かれたことがあるのですね。
しかも鳥居峠の麓の宿で1泊して2日も散策されたとは、
十二分に奈良井宿を堪能することが出来ましたね。
私は歩いたほかは漆器店と資料館に立ち寄っただけでしたので、
もう少し早く行って、宿の近くのハイキングコースを
散歩したり、お蕎麦屋さん(閉まっていました)に
寄ってみたかったです。
「スイカをどうぞ・・・」と親切に接待してくださる方も
いたのですね。商業主義の現在では珍しいことですね。
ほんとに良い旅となりましたね。
えつままさんも行かれたことがあるのですね。
古い町並みを歩くのはノスタルジーに浸れて良いですね。
最近は一緒にツアーに参加できる友達がいなくなり、
もう奈良井宿はいけないと思っていましたが、
息子のおかげで楽しんでくることが出来ました。
明治天皇の滞在されたお部屋を始め、日常生活に使用した諸道具や
古文書など(読めませんでしたが)を見て、
当時の世界にどっぷりと浸ることが出来ました。
囲炉裏は祖母の家にもあり、子供の頃を思い出しました。
こちらこそありがとうございました。
お返事、遅くなってごめんなさいね。
こちらも訪れたことがあるのですね。
恵さんは山や旅行の思い出がたくさんあって良いですね。
10月9~10日に出かけ、1ヵ月かかってやっと終了です。
ずっと読んでいただき、ありがとうございました。
中山道六十九次に奈良井宿が有ったとは知りませんでした・・・ТVドラマでも出てきた記憶が無いし、歴史にも弱いので・・・。
しかも、中山道六十九次の中で、34番目、真ん中の宿場町だったとは・・・勉強になりました。
撮られた写真を拝見して、澄み切った青空の背景も
あり、最高の天気で良かったですね。
そして、奈良井木曽の大橋・・・錦帯橋を思い出しました。
とにかく、沢山の写真を撮られ、更に、説明が・・・
hiroさんには驚くばかりです。
そして、前回の記事・・・
千両・万両に実が付いたのですね。
家は、2~3年前に実家より頂いた実を植えつけた
のですが、千両の二種類は木は大きく成長しましたが実は付きませんでした。万両は、二種類とも、
成育不良で全然大きくなりません・・・多分、駄目かも
しれません。
とても素晴らしいところでもう一度行ってみたいと
思っています。
鳥居峠の麓の宿で1泊して2日に分けて
散策しました。
hiroさんは滞在時間も短いのによくあちこち写真を
撮影しながら歩かれましたね。
奈良井宿散策中、突然の雷雨でお店の軒先で雨宿りしていたらそちらの主が、「スイカをどうぞ・・・」と
言ってくだいました。
お言葉に甘えていただいたよく甘くて冷えたスイカ。
旅人をもてなす心は今なお生き続けているんだなぁと感心しました。
とても印象深い旅となりました。
おはようございます
奈良井宿は懐かしくて拝見しました
沢山のお写真で奈良井宿の江戸時代の美しい街並みを思いだしています
ツアーでは時間に限りがあり、あまりのんびりと散策もできませんでした。
上門屋資料館内は入りませんでした
貴重な資料が沢山残されているんですね
館内の様子がとても詳しくよく分かりました
明治天皇の滞在されたお部屋も綺麗に保存されて素晴らしいです
静かな自然の街並みはほっとします
いつまでも残ってていてほしいですね
ありがとうございました
奈良井宿の街並み趣があって良いですね。
良い旅でしたね。
hiroさんのこと細かく書かれている文章で当時を思い出します。
奈良井宿は妻籠や馬籠ほど有名ではありませんが、
奈良井宿はそれがより自然に観光地化されずに残っている気がします。
町並みも1㎞あり。妻籠宿の倍あります。
もう少し時間があったら、宿から外れた街道も歩いてみたかったです。
近代以降、大火も大きな地震もなかったのでしょうね。
いつまでもこの町並みが保存されることを望みます。
奈良井宿は知りませんでした。
中仙道も趣があっていいですねえ。
木造建築ばかりなのに、近代以降、大火がないって凄いことですね。
東海道は五十三次ですが中山道は六十九次もあったのですね。
江戸時代の人はこんな長い距離をわらじで歩いたのですから
たいしたものだと思います。
奈良井宿の町並みは1㎞もあり、皆さんここに住みながら
美しい町並みを保存されているので、頭が下がります。
ここは標高は高いですが町は平坦で歩きやすいのですよ。
15分で眩暈がするのですか。
お大事になさって下さいね。夫は夜中に起き上がった時など、
たまになるのですが、今は大丈夫のようです。
上高地を歩くことだけは決まっていたのですが
2日目は当日の朝、行く場所を決めました。
妻籠と馬籠はツアーで行ったことがあったのですが、
奈良井宿は未訪だったので行けて良かったです。
高札場は今回初めて見ましたが、写真を撮るだけで、
読んでみようとの考えも浮かびませんでした。
古い馬頭観音などの石碑は文章が短いので読むことも
あるのですが、次にこのような機会があったら
少しは努力してみようと思います。
家でゆっくり頂いたパンフレットを見ると、
鳥居峠自然探勝園をウォーキングするコースもあったようです。
そこを歩けなかったのは少し残念でした。
中山道は5ヶ所も歩かれたのですね。
私はもう歩くことは無いかもしれません。
木曽の大橋は錦帯橋を小さくした感じですが、
総ヒノキ造りの立派な橋でした。
町並みも江戸時代にタイムスリップ
したみたい!
私はこのところ、時代小説ばかり
読みふけっておりまして
特に江戸は魅力的です。
行ってみたいなぁ〜!
それにしてもよく歩かれましたね〜
脱帽です。
コーラスで、今はコーラス祭の本番
さながらに立って並んでうたいますが
その15分で眩暈がしそうになるんですよ....。
奈良井宿も歩かれたのですか。
hiroさんの軽々としたフットワークには感服します。
Saas-Feeの風はここを歩いたことが無いので
写真を拝見しながらその気分になっています。
町並みがかっこいいですね。
宿場町には欠かせない光景です。
次第にこのような場所が減ってしまうことは残念です。
高札場も中山道を歩くと見かけることがあります。
内容を読み取るためにしばらく立ち止まります。
Saas-Feeの風は中山道の42妻籠、43馬籠、
47大湫(おおくて)、48細久手、51太田を歩きました。
この中で高札場を見ています。
木曽の大橋は立派ですね。