提灯持ち、というのは
あまり良い意味ではないようですが、
師匠がよくおっしゃるのは
そういう派生的な意味合いではなく、
三味線は提灯をもって語りの少し先を歩くのがいい。
これが実に難しいのです。
学生時代、ピアノを弾いていた頃は
歌の伴奏がわりと得意でした。
歌う人と同じ呼吸でぴったりつく、みたいな。
三味線の場合は違うのですね。
語りに合わせすぎると
太夫さんが息ができなくなってしんどいのだそうです。
三味線は三味線の間でちょっと先をいって、
あるところで待っておく。
そのあたりの加減が、まだよくわかりません。
「太夫殺すのに刃物はいらん」と師匠に言われますが、
殺意なき殺戮をしている現状であります。
やってみないと分からない、
いや、やっていてもなかなか分からない、
それもまた三味線の面白さ、奥深さです。
でも、そういう古典の本当の凄み、みたいなものは
今はなかなか通じないのだよな…