夕飯を食べているときの母が
割合、意識がはっきりしていると思ったので
思わず聞いてみた。
「ばあちゃん、今、頭はっきりしてる?」
「ああ、割合、ね。」
「そう・・・、夕べ 夜中にお腹がすいたってバナナ食べたんだけど、覚えてる?」
「いんねえ(いいえ)・・・・
そうかい、そんなこと言ったのかい?」
「チーちゃんたちがさあ、ばあちゃんの部屋で遊んでいるとき
ずいぶんと怒ってるじゃん。あれは?」
「ああ、ちょっとは覚えてるない。
そいでも、そのあと、ちょっと悪かったって思うんだに。」
「へえ~、そうなんだ。」
「こんなこと言っちまって、嫌われるなあ、って思うんだに。」
「そう・・・・・」
「さっきさあ、私が
ばあちゃん、施設に入るかね? って言ったことは?」
「そうかい、
みんながそうしたほうがいいと思うんなら
わし、どこにでも行くに・・。」
正気の時の母は、
自分の言動が周りの人たちを困らせていることを
十分に自覚しているのでした。
割合、意識がはっきりしていると思ったので
思わず聞いてみた。
「ばあちゃん、今、頭はっきりしてる?」
「ああ、割合、ね。」
「そう・・・、夕べ 夜中にお腹がすいたってバナナ食べたんだけど、覚えてる?」
「いんねえ(いいえ)・・・・
そうかい、そんなこと言ったのかい?」
「チーちゃんたちがさあ、ばあちゃんの部屋で遊んでいるとき
ずいぶんと怒ってるじゃん。あれは?」
「ああ、ちょっとは覚えてるない。
そいでも、そのあと、ちょっと悪かったって思うんだに。」
「へえ~、そうなんだ。」
「こんなこと言っちまって、嫌われるなあ、って思うんだに。」
「そう・・・・・」
「さっきさあ、私が
ばあちゃん、施設に入るかね? って言ったことは?」
「そうかい、
みんながそうしたほうがいいと思うんなら
わし、どこにでも行くに・・。」
正気の時の母は、
自分の言動が周りの人たちを困らせていることを
十分に自覚しているのでした。
なんだか姑を施設でお世話になった時のことを思い出しました。せつないですね。
大勢の家族の中で暮らすという良い面もあるのですが、それぞれに生活もあるので複雑な思ではないかとお察しします。
わが家の姑も家族が多かったこと(乳児もいました)と、介護度が進み寝たきりとなり私たちの農作業との両立も出来ず施設のお世話になりました。
安心してお世話になれるならご家族のためにも施設の生活もいいのかもしれませんね。
施設が近い事、短時間でも家族が度々出入り出来たので我が家にとっては良い選択だった気がします。
おはようございます。
正直、大変迷っております。
でも、本当のそれぞれ生活がありますし・・・・。「家族の協力」が、我慢の無理強いや押し付けではいけないような気がしておりますので・・・
後はわたしの胸先三寸です。
そこまで考えている部分と、つじつまの合わない会話が
同居している。救われる気もします。
自分の立場を置き換えて考えると、きっとそうだろうと思います。
苦労の多かったお母さまの過去の話からも察しがつきます。
皆がそれを望むなら・・そこまで考える。過去の生き方が、考えが働いているような気がしますね。
一時にでなくて、ショートステーイなどの利用で 少しでも先送りして…第3者は何とでも考えますね。
選択を迫られる者のつらさ、長丁場になる中で、つらいですね。
なかなか迷うところです。
しばらく、ショートステイとの利用でやってみるつもりです。