和銅3年(710)、奈良盆地の北端に造られた平城京が新しい都と定められました。
元明天皇が律令制にもとづいた政治をおこなう中心地として、
大宝の遣唐使がもたらした中国・唐の都、長安城の最新の情報にもとづいて、
飛鳥に近い藤原京から再度 都を移したのです。
(奈良文化財研究所「平城宮跡」パンフレットより)
3年前に奈良を旅した時、
姉に「平城宮跡の朱雀門を見てらっしゃい」と言われていたのですが、
遠くから見るだけで、しっかり見学しなかったので
今回、ここに半日を割きました。
第一次大極殿院復元図1/100模型
太極殿(古代の都における中心施設、元日朝賀や天皇の即位など、国家儀式の際天皇が出御する場所)
奥に見える建物が太極殿
明治の末に、田んぼの中にある小高い芝地が太極殿(第二次)の基壇であることが発見され、
1952年に特別史跡に指定されたことから、本格的に発掘調査・研究がされてきた、ということでした。
早くから史跡があることが分かっており、建物など立てられず田んぼや畑が多かったことから
発掘作業も比較的スムーズだった、と係の方が説明してくれました。
発掘した遺構を、遺構展示館で見ることが出来ます。
同じ場所に何度も建て替えられたことが、柱の穴で判るそうです。
遺構をもとに、模型も作られていました。
出土した瓦
発掘された「役人の仕事机」
当時の貴族の食事(再現)だそう・・・
あの、朱雀門(復現)
暑くって、遠くって・・・・
近くまで歩いていく気に慣れず、道路からちょっと入った場所でパチリ!
修学旅行の生徒さんたちは、元気いっぱい門の中ではしゃいでいました。
この朱雀門、この門よりもっと広い幅75メートルの朱雀大路が再現されていましたが
長いと思っても、そんなのは一部。
この朱雀大路が、唐招提寺、薬師寺のほうまでずっと続いていた、と想像するだけで、
平城京がいかに大きいか、が分かります。
NHK大河ドラマ「光る君へ」の時代(平安京)よりも
凡そ250年くらい前の時代です。
最後は庭(東院庭園)
東院とは、宴会や儀式を催した場所、今でいうなら迎賓館に当たる場所。
遺構にもとづいて復元した建物と庭です。
こちらの「平城宮跡歴史公園」も広くて広くて・・・・・。
「遺構展示館」~「東院庭園」は、駐車場があるので車で行けますが、
復元されたそれぞれの建物・門までは徒歩でなくてはいけません。
自転車を借りて回るのが良いようですが・・・・・。
いずれにしても、ここは天皇・貴族の住まい、生活空間です。
文献には、多くの民の暮らしがどのようなものだったかは、ほとんど記されていません。
その民たちの心のよりどころは何だったんだろうか、と
奈良時代に思いを馳せながら見学しておりました。
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