缶詰blog

世界中の缶詰を食べまくるぞ!

『缶詰の現場から』 岩手缶詰

2009-02-14 10:15:56 | 取材もの 缶詰の現場から

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 今回、取材をしてきたパッカーさん(缶詰生産業者)は、岩手缶詰株式会社であります。
 この会社を代表する缶詰はいくつもあるが、筆者はやはりこの『いか“すみ”丸ごと』が印象深い。
 濃厚なイカ墨も一緒に入っていて、缶汁が真っ黒けである。インパクト力抜群のイカ缶なのである。
 これは三陸産のスルメイカを“生”の状態で使用している。すなわち獲れたてだ。
 同シリーズのさんま水煮も、生の秋刀魚を使用している。
 岩手缶詰さんは素材の鮮度にこだわるパッカーさんなのだ。



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2月某日、新幹線で盛岡へ到着!
今回は盛岡工場の取材と相成った



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 いよいよ到着。彼方に名山・岩手山をのぞむ素晴らしいロケーションであります。

 岩手缶詰は昭和16年(1941年)に設立。
 時代は太平洋戦争の最中。国の指導により岩手県の6社が合同で『岩手県缶詰』を設立し、軍用の缶詰を生産していたそうだ。
 今の時代でいえば“ミリメシ”だが、こちらは筋金入りである。
 企業に歴史あり、である。
 今回筆者の訪れた盛岡工場が新設されたのは、昭和34年(1959年)のこと。
 ヤングコーン、エンドウ豆、ホワイトアスパラなど、当初は農産缶詰生産のために建てられた工場だった。
 やがて流通の発達により水産缶詰も手掛けるようになる。現在は製造第1部で缶詰を、製造第2部でレトルトパウチを生産している。
 その製造割合は約62%対38%。これは岩手缶詰全体の事業内容の割合とほぼ同じ数字になる。
 すなわち缶詰が6割強。冷凍食品・レトルトパウチやワイン、ジャムなどが4割弱なのだ。
 そのようなお話を、常務取締役・工場長の佐々木幸治氏にお聞きすることができた。Logo300
 プライベートブランド(PB)缶詰にはカラフルな企業ロゴ『icc』が冠されている。読者諸賢も一度は眼にしたことがあるかと思う。



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 お邪魔したときにはサンマ缶を製造していた。
 まずは頭と尾をちょん切るところから始まる。
 案内してくださったのは、製造第1部次長・佐々木貞利氏。



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スライサーを通過するとさんまが見事な背開きに
このあとバキュームで内蔵を取り除く



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まずバーナーで表面を香ばしく炙る
そのあと炭火の遠赤外線で火を通していく



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調味液投入の後、巻締機登場であります
中央に見える包みに上蓋が200枚装填されているのだ



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ランダムに缶を抜き取って、巻締めを検査
ノギスのような専用道具を使って計測する
※この缶は見本用です



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 珍しい光景に出会えた!
 圧力殺菌釜の中から、殺菌を終えた缶詰を取り出すところなのだ。
 缶詰たちが高温になっているため、いったん水を注入して冷ましてから取り出すという段取り。
 15分ほどかけてゆっくりと水を抜き、扉を開ける。
 この流れ出る水、水温は40℃ほどある。



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 ここが最終検査所。缶の厚みで真空度を測定する検査、缶印字の検査機、巻締検査機と並んでいる。
 不合格のものはエアによってラインからはじき出されてくる。
 ここまでの行程でも、X線による異物検査がライン毎に行われているのだ。
 岩手缶詰の経営理念の第1章には「品質保証」が謳われていた。
 理念に謳い、日々の業務で肌に染み込ませる。これはどの業種・業態でも肝要なのですぞ。



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 これはバキュームで缶詰をつかみ、自動で段ボールに装填する機械。
 こういった機械はほぼオーダーメイドだそうで、これも工場長と次長がメーカー側と話し合いを重ねて出来上がったそうだ。
「アイデアが必要だね」と、佐々木工場長が一言。
 重みのあるお言葉である。



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はやての車窓から さらば盛岡よ

 こうして、今回も内容の濃い取材をさせていただいたのであります。
 工場見学の様子は4月25日のイベント『缶詰ナイト2』で、更に詳しくお話する予定。
 ところで、缶界での岩手缶詰の愛称は「岩缶(いわかん)」さん。太平洋戦争の軍用缶詰から始まった岩缶さんの、現在の売れ筋缶詰は『盛岡冷麺缶』という、いわゆるラーメン缶と同種のもの。
 秋葉原で人気の沸騰したラーメン缶は、こんにゃくを麺として使用している。これが食感でマイナスにもなると思うのだが、冷麺となるとなぜかプラスに作用する。
 もともと冷麺の麺は歯ごたえがあり、こんにゃくの代用でもそれほど違和感を感じないのだ。
 歴史と革新の融合したパッカー、それが岩缶さんでありました。