現地での移動手段は水上飛行機とボートだ
読者諸賢よ!
缶詰ブログでは、これまでモルディブと日本との「缶詰つながり」をお伝えしてきた(過去記事はこちら)。
今回、そのモルディブへ取材に行ってきたので、ここにご報告申し上げたいのであります。
6月某日。
朝のNHKラジオ出演を終え、そのまま渋谷から成田エクスプレスに乗り込んだ。
スリランカ・エアラインに乗り、途中コロンボで乗り換え。そこからモルディブへ向かう6泊7日の旅が始まったのだ。
同行するのは食品輸入業者・川口貿易の伊藤さん。
伊藤さんは今回、英語の出来ない僕のガイドをしてくれる。
「ナ、ナイストゥー、ミートユー」と僕。
「私は日本人ですよ、落ち着いてください。今から緊張しなくて大丈夫です」と伊藤さん。
成田空港で搭乗手続きをしていると、モルディブ大使館のカリール大使と、その奥さんがやってきた。
たまたま奥さんが僕らと同じ便で一時帰国するので、大使はその見送りに来たのだという。
「良い旅を」と大使。
「ありがとうございます。今回は諸々、お世話になります」
実は今回の旅は、現地での宿泊や食事、移動のすべてをモルディブ大使館にコーディネートしてもらったのだ。
我々は、ともかく首都マーレへ行けば、誰かが迎えに来ており、ホテルまで連れて行ってくれるという。
翌朝も、誰かがホテルへ現れ、次の移動先まで案内してくれるという。
まるで
「おとぎ話のような...」
旅なのであります。
飛行機に乗り込んだ我々は、しばらくモルディブやスリランカの話しをしたのち、後ろが空席であるのを発見し、前後に分かれてゆったり2席を所有することにした。
パソコンを取り出し、しばらく原稿書きに没頭する。
9月に新しい本を出す予定があり、その原稿をいよいよ書いていかないとマズいのであります。
指はキーボードを叩きつつも、頭の中にはこれまでのモルディブ大使館との交流が思い浮かぶ。
(最初に大使にお会いしたのは去年の5月だったな。伊藤さんが引き合わせてくれたんだっけ)
(一国の大使といえば、すごく身分の高い人のはずだなァ。そんな人と会えるなんて、不思議な縁があるもんだなァ)
2011年の東日本大震災のときに、モルディブは特産品のツナ缶を約68万缶、被災地へ贈ってくれた。
そのツナ缶を作る工場は、実は70年代に日本企業が立ち上げたものであります。
輸出産業の少なかったモルディブへ、日本はこれまでODAを使った支援などを継続してきた。
その規模は、2国間の援助としては最大規模なのだそうな(外務省サイト参照)...。
何となれば...。
東日本大震災のときに、モルディブがツナ缶や破格の義援金で日本を支援してくれたのは、モルディブ人にとっては
「これまでの支援への恩返し」
という思いがあるのだ。
(外交だろうが産業だろうが、最後はやっぱり人だな。人の思いが物事を動かすんだなァ)
高度一万メートルを時速900キロですっ飛びながら、そんなことがしきりに思い浮かんだ。
原稿は何とか、一本だけ書き上げた。
つづく!
画像キャプション
中段:スリランカ・エアラインの機内食は辛いカレーだった。このあとモルディブでは酒が飲めないので(同国はイスラム教)、今のウチに飲んでおく
下段:首都マーレを囲む防波堤。日本が無償資金協力で建設したもので、2004年12月のインド洋津波の際、首都を水没の被害から守ったことで知られている(画像提供・モルディブ共和国大使館)