風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
忘れないうちに 忘れないように
短い言葉でメモ memo   
       

私の好きなイギリスの詩人 クリスティナ ロセッティとつながる人々

・画家・詩人ダンテ・ガブリエル・ ロセッティは兄 ・西條八十 ・三井ふたばこ(西條嫩子) ・宮澤賢治  ・金子みすず

朝の道 草の花

2014-04-14 | 林の詩・文

気が付けば 道端に

草の花 

 

 

すべてをアスファルトで

おおわない 道が好き

 

 

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終活・私が眠るところで想ったこと

2014-04-13 | 林の詩・文

もない暖かい日です。

日曜日の今日、かねてから 気になっていた 

最終的に私たちがねむるところを二人で見に行きました。

 

土地は確保していたけれど 

基礎も作っていないし住所も番号もわからないので

行ってみたものの どこかそこなのかわかりません。

良い時期に来ました。

以前 気が付かなかった桜の木が二本 花をつけていました。

この桜の木の側だといいな~。

 「桜の花の時期がいいな~ 寒い時期はみんな大変。 

6月はむしあついし。

花の下にて・・・次なんだったかしら?」と聞いてみる。

 

「はるしなん そのきさらぎのもちづきのころ」

  

歌が詠まれた昔は旧歴よね。

きさらぎは2月 もちづきっていつ?

 如月、旧暦の2月は 今のカレンダーなら3月。

 

花の下って桜だと思っていたけれど きさらぎ(如月)なら梅の花?

 

 
帰宅してから調べました。

 ・・・望月は満月で15日のこと・・・

『如月の望月』は2月15日 今のカレンダーではだいたい3月半ば。

旧暦の如月は 今の4月というのもありました。

 

花は桜。桜に決定。

私も花の下にて春がいいな。

 『願わくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月の頃』(西行法師)

 

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思い出して 消えた

2014-01-27 | 林の詩・文

 

カーテンを開けたら 細い月

朝6時20分

屋根にはうっすらと雪

 

思い出したことがあった

とても大事な 

いいことだったような

 

思い出して 

すぐに

何を思い出したか 忘れてしまった

            

大事なことは

消えないうちに伝えなくては

 

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青いトマト

2010-10-26 | 林の詩・文

・・・・青いトマト・・・(2000年10月16日 作)


ミニトマトと言われて買った一本の小さな苗。

夏になったら なんと

大きなトマトが3っつも4っつも10個も・・・。

あまりにも 大きく伸びたので竿では支えきれず、

枇杷の木に這わせました。


一日に100も花をつけたアサガオも

負けずにつるを伸ばして、トマトを隠してしまい

私はトマトをしばらく忘れていました。


10月半ば、枯れ始めたアサガオのつるを取り除いたら

その陰から青いトマトが20個以上も採れました。


施設にいる母に会いに行った時、聞きました。

「お母さん、青いトマトはどうしたらいいの~?」

物を粗末にせず、食材も無駄なく使う母でした。

「もうわからないわ・・・」と母。


母はこの年の1月に脳梗塞で倒れました。

左の脳をやられたので右手が不自由になり言葉も失いました。

リハビリのおかげで このくらいは話せるようになったのです。


私はテラスの陽だまりに青いトマトを並べて置きました。

青いトマトは太陽を浴びて真っ赤なトマトになりました。


お母さん、

今朝、 そのトマトを使ってスクランブルエッグを作りましたよ。

                      (2000年10月16日 作)




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青いトマトの画像は「たかおか音楽トマト」の画像を使わせていただきました。


10月4日・風が私とあなたに

2010-10-04 | 林の詩・文

・・・・いつか だれかがのこしていった あおいおもいで・・・

 

   いのっても 

   どうにもならなくて

   こころは 

   うろうろするだけ

 

   たくさんのおくりものは

   愛してるしょうこ

 

   つなぎたかった手は

   どこにいったの

 

   風があなたになにかをつげて

   わたしに風がなにかをつげた

 

 

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S兄から400CC 好中球貰い あとはもどしたのでS兄は貧血はなし 

カンファレンス もう一人(TTからも輸血 「テスト中だからOK」という返事だそうだ。

 S君金曜日1泊 べつのものをゆけつのため1泊予定。


9年前の9月11日

2010-09-11 | 林の詩・文

 

「9月11日 事件」 

 

110階もの高い高い2つのビルは

2機の飛行機の激突で

わずかな時間のあいだに崩れ落ちた。

 

まるで藁で作ったものが

燃え落ちるように

ばらばらと ざざざっと

 

TVが映し出す映像には

それなりのすごさはあったものの

逃げまどう人々や血まみれの人の姿は

あったものの

 

時間がたつにつれて

現場の近くから写された映像は

どうしようもないほどの瓦礫で

戸惑う救急隊の姿が流され始めたけれど

 

これはTVの限界です。

 

傷ついた

ビルの内外で亡くなった

飛行機のなかにいた

救急隊の、それらの人々の

その時の恐怖はどんなだっただろう

 

平和への道は

犠牲になった人々の

その家族や関係する人々の気持ちへの

想像力だけかもしれない。

     

(2009年9月13日09時08分  にな☆ぽぽ 記)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9年前 私は【KTGRYの部屋】(略しています)というHPの掲示板に

いつも書き込みをしていました。

ブログはまだ流行っていなかったし、自分のHPを作る力もなかったのです。

グラデーションの文字色がきれいな掲示板でした。

詩の掲示板ではなく普通の掲示板だったけれど

たいていの人は短い文章、詩のようなものを書いて載せていました。

 

ブログがはやってからは個人のHPはほとんどなくなりました。

KTGRYの部屋】もなくなりました。

KTGRYさんは別の名前でブログを作って書いているかもしれません。

 

 (アメリカ同時多発テロと名前がついたのはあとのことです     

(にな☆ぽぽ)はその頃の私のハンドルネームです。

 

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「今日は海が見たいのです」

2010-06-24 | 林の詩・文

東の方に出かける用事があってバス停でバスを待っていました。

ベンチに白っぽい帽子をかぶった老人と私と同じくらいの女性が3人ほど

何か話しています。

老人は海に行きたいのだそうです。

どのバスに乗ってどこで降りたら海に一番近いか、女性達に聞いています。

「OOで降りるといいね」 「△△が海に近いよ」と意見が分かれました。

「食べるところはあるかね」と老人。

「海と反対側に歩いていくとお寿司屋さんがあるよ」とだれか。

「この時間店は開いているかしらね」

女性たちは グループでもなく 知り合いでもなく 行先は別々のようです。

そんな会話を 私は脇できいていました。

 

私は自分が乗るバスはまだ来ないので駅の2階のコミュニティプラザにいって

事情を話しました。

そこはバス券も売っているし インターネットもできるし、本も置いてあるし

観光パンフレットも置いてあるところです。

係りの人は地図とバス時刻をもって

「私もバス停まで一緒に行きます」といってくれました。

老人はまだいました。

 

「91歳だって。一人暮らしだって。耳が遠いから耳のそばでしゃべらないときこえないよ」

と女性たちは教えてくれました。

 耳は聞こえないだけで他はしっかりしています。

 

老人は言います。

病院に近いから ある所から こちらに移ってきた。どこにいたかは言えない。

マンションの壁だけ見ているのはイヤになったから、今日は海を見に行くことにしたんだ~

「海のザブ~~ン ザブ~ンをききたいんだね」と誰かがあいづち。

 

「世界二十何カ国、旅行したんだって」と誰か。

「学者かしら」

老人が話すのを聞きていると物書きらしい。

バスが来て同じ方向だった皆はバスに乗ったけれど私は一番早く下りました。

 「今日は海がみたいのです」

と何度も言っていたあの老人は無事 海を見ることができたかしら?

美味しいものを食べることができたかしら?

水分補給のペットボトルはもっていたのかしら?

91歳という高齢ということで 気になりました。

 

気温の割に蒸し暑くなく、さわやかで気持ちの良い日でした。

老人のように私も海を見に行きたくなりました。(2010・6・24の記録)

 

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雲がない空

2010-06-06 | 林の詩・文

 

過去の画像を見たらはっきりすると思うけれど

6月の空は変化がない。

「青」空は「青」らしくないし 綿雲は6月の雲ではないらしい。

平べったい空に 飛行機が見えました。

 

             

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今日のメモ:

① ベランダの掃除をする。

 ② 冷蔵庫に食材がありすぎ

③ハーモニカ教室の復習。

 ④ 何故か血圧がまた高い。

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「おみづけ」をつけた日

2009-12-08 | 林の詩・文
・・・・・「おみづけ」をつけた日の夕方 4時42分の空・・・


むかし 小学校に入る前 父の転勤で山形に住んでいたことがあります。

その地で母は「おみづけ」を漬けてくれました。

とてもおいしくて私は

♪やまがたの おみづけは おいしいな~♪

と節をつけて歌っていました。


なん月に引っ越したか覚えていません。

小学校1年の日記には 雪遊びをしている絵が描いてあります。

母が「おみづけ」をつけたのは小学校に入ってからか 入る前だったのか。

入学前だったなら引っ越したのは小学校入学前の前の年の秋になります。


昨日 先日買って干していたセイサイを刻んで一晩漬けました。

今日 それに大根やニンジンを混ぜて本漬けしました。

1把100円のセイサイで山ほどの「おみづけ」が出来ました。

母の「おみづけ」の味は もう忘れてしまいましたが

「おみづけ」を食べるたびに 

♪やまがたの おみづけは おいしいな♪を 思い出します。



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ワープロ日記① 1998年12月13日

2009-06-03 | 林の詩・文
…画像はきのう見た道端のマツバウンラン・・・・花は4~5ミリもないくらい小さい。風に揺れて写真は撮りにくい。

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1998年12月に私は「ワープロ専用機」に初めて触りました。

きっかけは 下の娘の就職が決まったとき夫は娘に
「これからはワープロを使えるようにしないと仕事にならない。やってみなさい」
と2階の夫の部屋からワープロ専用機を下の部屋に持ってきました。

ところが娘はワープロに見向きもしませんでした。
多分 就職が決まって ほっとして遊びが楽しかったのでしょう。

その反対に「ワープロ」というものが眼の前に出てきて私は興味をもったようです。
12月13日から1月10日ごろまでワープロで日記を書いています。
今読みなおしてみると 新しいものに触れ、使いこなそうとする心の動きが
面白く感じます。

感熱紙に書かれたので文字が消えかかっています。
ワープロで書かれた日記をパソコンに書き写していきます。


・・・・「初めてのワープロ」・・・・1998、12、13(日)・・・・・

あいうえお かきくけこ さしすせそ たちつてと なにぬねの はひふへほ 

まみむめも やいゆえよ らりるれろ わいうえお ん

わたしは きょうぎんもくせいのえだをきりました。
私は今日銀木犀の枝を切りました。

N子は午後、一人でふらりと旅にでました。自転車で。本屋とポロロッカに行って
来たんだって。

ブラウンは足の指を怪我していました。でも、N子が散歩につれていった時は何で
もなかったということです。


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ワープロ日記 ② 1998 年12月 14 日(月)


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ワープロ日記 ② 1998 年12月 14 日(月)の日記

2009-05-31 | 林の詩・文
ワープロで書いた日記が出てきました。
最後に「これを書くのに1時間かかった」と書いてあります。
見ながら書くので 条件が違うけれど どれくらい時間がかかるか 書いてみます。

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1998年12月14日(月)晴れ

昨日、金木犀を銀木犀と書き間違えました。あ~~ん もうぼけたのかなって 
ちょっとかなしいです。ワープロしてるうち、おなべを焦がしてしまいました。
N子は自転車で、K幼稚園まで行って来たんだって。20分で行けたって。
私はワープロにいま夢中です。早くどこにどのアルファベットがあるかをおぼえたい。
もうすぐお正月だっていうのにこんな事ばかりしてて いいのかな。 
今夜はぶり大根と生カキの刺身とおひたしの予定よ。。
いまから 医療関係の書類を頼みにS医院などに行きます。
間違った文字を消すのはどうするのだったかしら。食のあとの・・・が消せないよ。

いま、3時55分  外からかえってきました。思い出しました。・・・の消しかたを。
消したから もう みえないでしょう・あークエスチョンマークが出せないよう。


これから M子さんの年賀状をプリントごっこで印刷します。100枚です。
それにしても みこさんもはこさんも電話に出ない。どうしたのかなぁ。
あとでまた電話してみよう。

6時50分、N子はカガミマルの打ち合わせのため 出かけました。 
わたしはM子さんの年賀状を100枚すり終わりました。7時50分ごろです。
うまくインクがでないところもあったけど、まあいいことにするよ。


N子さんは1月から陶芸をするんだって。スクリーミンで。
わたしもしようかなっておもったけどワープロのほうが面白いから 陶芸はやめにする。
それに陶芸は前にしたことあるからもういいわ。とうぶんはね。またやりたくなった時 やることにするわ。

いつも思うんだけど 人間って一生ならせばみんな同じになるように思うの。
小さいとき無口だったわたしは いまは相手が聞いていなくてもしゃべっている。

いま無口の人はきっと昔おしゃべりだったんだよ。例外もあるだろうけど。
オシャレも、お料理も、勉強も、いろんなこと みんな当てはまるようにおもう。
Sは おふろが大好きだった。「お風呂にはいるよー。」っていうといやがっていたこともちゃんとした。
でも2歳半になったら、お風呂が大嫌いになったんだよ。

ああ これまで打つのに1時間もかかった。早く上手になりたいなあ。

・・・・・・・・・・・以上 ワープロで書いた1998年の日記・・・・

・・・1時間もかかったというのは 後半の陶芸のあたりからだと思う。
今日はパソコンで古い日記を見ながら打っているけれど10分もかからない。

過去の私、 ワープロに一生懸命で 面白い。

1998年12月作成の私の年賀状(1999年用)
下部は名前・住所等あるのでカットしています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・

ワープロ日記① 1998年12月13日


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2001年 夏 パリ

2008-03-12 | 林の詩・文
(画像は記事と同じ日のパリの街角ですが記事の場所ではありません)

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ヨーロッパの町並みが好きです。
何百年も前の古い建物がそのまま残っていることが多い。

2001年夏にパック旅行でパリに行きました。
もういちど行ってみたい。

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『交通事故目撃 (2001年8月)』

パリのシャンゼリゼ通りから少し横に入った道の四つ角。

グッチとか エルメスとかのお店が並んでいる通りだったと思う。
バイクが人をはねるのを見ました。ほんの10メートルぐらいのところで。

瞬間 何が起こったのか判らなかった。

人が二人 跳ね上がり バイクも吹っ飛びました。

何人かが集まり 助けおこしました。
はねたのは男性。はねられたのは女性。

だんだん人が去って行って はねた人とはねられた人と
もう一人の男性が残りました。

女性は血が出ているとかの外傷はないようでした。

通りを挟んでのことでしたし外国語でしたから
何の話かは わかりませんがかなりの時間、話していました。

私と一緒だった人が
「はねられた人は警察を呼びたいでしょうね。後でひどくなりそう」
といいました。

結局は 何か紙を交換して 別れていきましたが
はねられた人は地元の人だったのでしょうか?
旅行者だったのでしょうか?いずれにしても大変なことです。

そういえばパリに着いて直ぐに現地のガイドさんが言いました。

「日本に較べると全てが遅いです。仕事は半分しかしません。
速いのは車だけ。交通信号はあってないようなもの。
充分 注意してください」

「道路を渡る時は車を ぐっとにらんで渡って下さい」
と聞いたのは最後の日の朝でした。

日本なら、車の運転手さんに笑顔で合図して軽く会釈して渡らせてもらうのに。

車が止まってくれても,バイクは猛烈なスピードでつっこんでくるので 
道路を渡る時は とても怖かった。

今おもうと デジカメで事故現場を撮ることも出来たのに
そういう時は そんな気にもならないのでした。(旅行の記録 2001.8記)

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「はしか」の思い出

2007-05-31 | 林の詩・文
今 流行中の「はしか」。

私がかかったのは4歳の頃だったと思う。

父は戦地に行っていた。
仙台が危ないということで母は姉と私を連れて
県北にある母の実家に疎開した。(弟は2歳で少し前に疫痢で死亡)

今、振り返ってみると母は30歳になっていなかったのだ。
田舎にはおばあさんと
母の弟(私の叔父さん)二人、
妹(叔母さん)二人がいた。
下の叔母さんは私の5歳上だった。

おじいさんは亡くなっていて、おばあさんたちは農業をしていた。
育ち盛りの子ども4人いるところに私たち3人が居候。

食事には何が出されたか、何を食べていたのか良く覚えていない。

沢蟹、タニシとりは遊びだったのかな。
池のクワイも食べた。
叔父さんと栗拾いもした。
朝露にぬれながら裏山の細い道を登っていって行ったのだった。
ズボンのすそが濡れた。

グミの実もアケビも採って食べた。
裏庭の柿の木にはとても小さな柿の実がなった。
畑の大根、サツマイモ。
枝マメを乾燥させてサヤからはずすのを手伝ったことを覚えている。。
とうもろこしもあったような。


姉がはじめに「はしか」にかかった。

母は家の後ろに広がっている田圃の向こうの集落に行って玉子を求めてきた。

プラスチックなどない時代だ。
今のようにパックになどは入っていない。

何個かの玉子を何かに包んでそっと運んだのだろう。

母はお粥に卵をのせて姉に食べさせた。

しばらくして私も「はしか」になった。
姉からうつったのだ。
私もお粥に卵をのせてもらって食べた。

美味しかった。とても美味しかった。

たぶん母は卵を口にしなかっただろうと思う。


今は卵は たいした食べ物ではないだろう。

「はしか」ならないと卵を食べられなかった私の小さい頃の思い出。




女性の品格

2007-03-17 | 林の詩・文
法事で出かけた帰りの電車。
私は3人がけのシルバー席に座った。
向かい側には2人座っている。
ちょっとしてから私の席の隣に若い女の子が二人来て座って
二人で楽しそうにプリクラで撮ったのを
見ながらケータイを使っている。

次に3人の女性が乗ってきた。私よりは少しは若いかな?

3人のうち一人が向かいの席の一つ空いているところに座った。
残りの二人は立ったまま話をしている。

私は座席の後ろに表示されているシルバー席の表示を指差しながら
隣の女の子二人に声をかけた。

「あの~、ここに こう書いてあるでしょ?
ケータイは使っていけないって。
それにあなたたちより あの方がたは年齢が上でしょ?
ここじゃなく、むこうに座るところがあるから移った方が良いと思う。
女の品格があがるわよ。かっこいいわよ。
「ハケンの品格」というテレビがあったけれど
"女の品格"も大事よ。あの方がたに どうぞって声をかけてね」

「その女の子たちは少し驚いたようだったけれど「ハイ」といって席を立ち、
「どうぞ」と二人の女性に声をかけて車両の中ほどに行った。


私が降りた駅で その女の子たちも下りて私の前を歩いていく。
私はバックからのど飴を4つだして
「さっきは席、ありがとうね」と渡した。


  

梅の花

2007-03-03 | 林の詩・文
昨日、三月二日、歯医者さんにいくとき旧居に寄った。
梅の花が咲いていた。
お隣りの奥さんに顔を出したら、庭をお借りしています。そのうち菜の花が咲きますよ。とおっしゃいました。
梅か咲いていたことをいったら、満開ですね、あるじなしとて 春なわすれそですね、と。


こちふかばにほひをこせよ梅の花 あるじなしとて
春なわすれそ 菅原道真