風の備忘録~ ~ ~

風は林に色や形や音を運んできます
忘れないうちに 忘れないように
短い言葉でメモ memo   
       

「はしか」の思い出

2007-05-31 | 林の詩・文
今 流行中の「はしか」。

私がかかったのは4歳の頃だったと思う。

父は戦地に行っていた。
仙台が危ないということで母は姉と私を連れて
県北にある母の実家に疎開した。(弟は2歳で少し前に疫痢で死亡)

今、振り返ってみると母は30歳になっていなかったのだ。
田舎にはおばあさんと
母の弟(私の叔父さん)二人、
妹(叔母さん)二人がいた。
下の叔母さんは私の5歳上だった。

おじいさんは亡くなっていて、おばあさんたちは農業をしていた。
育ち盛りの子ども4人いるところに私たち3人が居候。

食事には何が出されたか、何を食べていたのか良く覚えていない。

沢蟹、タニシとりは遊びだったのかな。
池のクワイも食べた。
叔父さんと栗拾いもした。
朝露にぬれながら裏山の細い道を登っていって行ったのだった。
ズボンのすそが濡れた。

グミの実もアケビも採って食べた。
裏庭の柿の木にはとても小さな柿の実がなった。
畑の大根、サツマイモ。
枝マメを乾燥させてサヤからはずすのを手伝ったことを覚えている。。
とうもろこしもあったような。


姉がはじめに「はしか」にかかった。

母は家の後ろに広がっている田圃の向こうの集落に行って玉子を求めてきた。

プラスチックなどない時代だ。
今のようにパックになどは入っていない。

何個かの玉子を何かに包んでそっと運んだのだろう。

母はお粥に卵をのせて姉に食べさせた。

しばらくして私も「はしか」になった。
姉からうつったのだ。
私もお粥に卵をのせてもらって食べた。

美味しかった。とても美味しかった。

たぶん母は卵を口にしなかっただろうと思う。


今は卵は たいした食べ物ではないだろう。

「はしか」ならないと卵を食べられなかった私の小さい頃の思い出。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿