こんな表を作ってみました。
韓国では
なぜか、反日行動は英雄視されますが、逆に自国を貶める人は売国奴とののしられます。
「改善」は「体制を破壊する恐れがある」として禁じられ、あくまでも現状維持を優先するのが韓国ではごく普通の儒教ですから、自国・自分の欠陥を「改善」できません。
「改善が禁じられている」ので、どんな場合でもごく自然に「相手に責任がある」となります。決して自分の非を認めてはいけないのです。
セウォル号事件(2014年)の時の責任回避がどれだけの命を奪ったことかも、思い出されます。これも「改善禁止」だから「責任をなすりつけあった」ために起こったと思われます。
儒教では、同じ過ちを何回も繰り返すことが現状維持につながるため「恥じるべきこと」どころか、むしろ「正しいこと」と推奨されるらしい。
日本が、何も改善できない韓国と「価値観」を共有するなんてことは、難しかったのでしょう。
にもかかわらず「共有」するとしてきたのは、なぜだったのでしょうか。
私の愚考によれば、右翼独裁と左翼独裁がそれぞれ複雑な事情があって対立する東アジアで、せめて共産化するのは避けたかった、という特有の「うわべをつくろう文言」だったのかも知れませんが、それが民を惑わしたに違いありません。
つまり日本にとっては、共産主義のほうが反日より忌み嫌うことだったのでしょう。
韓国では、かつては「反共と反日」が国是だったようです。「反共」に関しては、一色を欲し激しく左右に振れる韓国らしく、北朝鮮は「敵」ではなくなったり、再び「敵」になることが繰り返されました。
しかし今の韓国では
限りなく北朝鮮へ無批判に接近する共産主義者文在寅のおかげで「反共」がなくなり、一見して韓国全体が北朝鮮へ向かっているような印象ですが、根強い反共意識をもっている人もいるようで一筋縄では扱えません。
従って
共産化の恐れが出てきた韓国が、どんどん日米から離れていくこともあり、日韓関係が国交正常化以来最悪なのはやむを得ないことなのでしょう。
しかも韓国では、共産化の芽生えだけではなく
「反日」が目立つようになりました。親日を忌み嫌うだけでなく遡及した法で罰するようになり、それが結実したのが2018年末の「慰安婦合意の実質的破棄・条約を無視する大法院の賠償判決・済州島やレーダー照射でのフェイク声明」でした。
共産化と反日化の観点からは、当然の流れだったのです。
日本では
韓国に比べると「多様性がある」と言えるようで、自国を貶めることも、他国を貶めることも、普通に許されます。しかも売国奴にも英雄にもならず、むしろ自虐史観が問題になるほどですね。
民族とは、同一の言語や文化をもつ地域集団のことで、血縁集団とは何の関係もありません。
でも韓国で民族といえば血の関係なんです。ですから、韓国人の民族意識というのも、近代的な民族意識ではなく、旧来の血縁的な身内意識なんです。北朝鮮では外国人との結婚が禁止されているほど、血縁=民族の意識が強固ですね。: P.26-30 黄文雄・呉善花・石平 共著「売国奴」ビジネス社2007年11月2日第2刷発行
国境という勝手に引かれた線の原因がどこにあるのか分りませんが、「民族は広く行き渡っており、必ずしも血縁関係にあるとは言えない」のがごく普通の見方でしょう。
しかし朝鮮半島では、民族とは血縁関係そのものに関係しているようです。
昔からあるので「しきたりを改善することが禁じられていた」のを何とも思わなかった韓族ですが、それがまさか忌み嫌う中国儒教の影響だったとは・・・・・・
こういった自己矛盾をかかえながら、その中国へ、同族異体制の北朝鮮へ、無批判に(改善は禁止されているので)接近しながら韓国は今日もゆくのです(笑)。
こういった改善禁止の無批判な体質が、長年かかってあの混乱の対立国家「韓国」を作りあげてきたのでしょう。
この場合、日常的なことは別として、日本など目じゃありませんね。それが「正しい」韓族のありかたなんですから、韓族ではない私たちには、どうすることもできません。
もしも、かりにですが、ひょっとして(あり得ない事の条件としても長すぎるか?)、韓族がほかの民族に影響を与えるほどになったとしたら、少しは変わってくるのでしょう。
ただし少しでも多民族に影響を与えるようになったのに、何も変化がなかった漢族という例もありました(泣)。
多様性の意味は、動物の世界をみているとよく分ります。
イリオモテヤマネコは、イエネコとはちがって水を怖がらずに、生きた魚さえ水中で捕まえます。コオロギや昆虫などを食べる肉食のほ乳動物が野生として生きている島として、西表島は小さいほうでしょう。
それでも今なお西表島では、毎年、山の低い中央部のジャングルに入り込んでぐるぐる同じ道を歩き続けて宿へ帰ってこないまま命を落とす人がいると聞いています。
かつてある店で、私が釣ってきた魚を生きたまま入れ物へ移しました。これをみたその店の20~30cmの子ネコは、前足で魚を威嚇していましたが、きっと生きた魚を水中で見たのは生まれて初めてだったのでしょうか、小魚が危険を感じて一瞬はねて動くと、子ネコは驚いて後ずさりしました。その現場の姿は20年後の今でも鮮明に記憶に残っています。
これが「動物には多様性がある」一例で、生きる環境が変わればこれだけ動物でも変わるのでしょう。
これを拡大すれば「人間にも多様性があるはず」なのです。
しかしその「人間の多様性を否定する民族」もあり、これが「うぬぼれの、朝鮮半島・中国の韓族・漢族」でした。これらの認識を為政者だけの問題とすることが多いようですが、その認識強制を受け入れた民族全体の責任とも言えます。
韓国や中国にも「立派な対立満載国家の多様性がある」と頑張りますか。これには「視野が狭すぎる」というだけで十分でしょう。
人間の多様性を尊重するのに、中国ならあと1000年くらいかかりそうですが、朝鮮半島ならあと100年ほどで可能かも知れません。
震災後 少数派にこそ耳傾けよ
たとえば、福島第1原発には停電に備え非常用ディーゼル発電機が13台あった。一部が壊れても予備があるという「多重性」の考え方だ。
ところが、そのほとんどが地下に置かれた同じ仕組みの発電機で、津波で12台が壊れた。違う仕組みの発電機を高台に置くなど、「多様性」があれば結果は違っただろうというのだ。:毎日新聞 2011年5月16日
ここでは「多重性・多様性」で説明しています。
非常用発電機が13台あっても、それぞれが独立した「非常用」でなければならないのに、同じような場所に置かれていたのが問題だったようです。
日本では、多重性ではだめで、多様性がなければならないとしております。いくら万が一であっても、その対策が同じようではダメだというのです。
これを考えると、朝鮮半島では「多重性」さえなさそうで、これらが目に見えない「差」なんでしょう。
問題は費用金額なんですが、基本に「多様性」がなければ、いくら金をつぎ込んでも「多重性」に過ぎないのかも知れません。
記事に従うならば、「多様性」を認めた人たちがギリギリの費用を設定するところに真の価値があるのでしょう。
(中国政府は)日米首脳会談で中心議題となった環太平洋連携協定(TPP)に関して「中国も開放的態度だ」と指摘。「われわれは、各国が地域の経済発展の多様性と差異を十分に考慮し、開放・包容・透明の原則により順序を追って漸進的にアジア太平洋地域の経済一体化建設を推進すべきだと認識している」と、日米の動きをけん制した。:時事ドットコム(2013/02/25-21:50)
あり得ない事を堂々と述べる中国共産党に
私は幸あれと祈らずにはいられません。うぬぼれでなんとかもっている国に、何かを言えるはずがありませんね。こんなことでも、国内を支配するためにどうしても必要なのでしょうか。
そんな為政者に支配されている国民がかわいそうに思えてくるのは、日本の近くでは、中国と北朝鮮であり、韓国もそれに近くなりつつあります。
さてさて、皆様はどう思われますか。