儒教では
「改善が禁じられている」
ので、なりゆきとして
「責任は相手にある」
となります。
「同じ過ち」を繰り返す事になりますが、「同じ過ち」の意味さえ分からない人がいるのです。
冷静に自分を見つめる訓練ができていないと
常に「責任は相手にある」ことになり、歴史さえ自分中心のまとめ作業に終わりがちです。
韓国・中国人たちは
それぞれ自分中心の勝手な、または国を支配しているイデオロギーだけにとらわれてしまい、むなしく「日本はドイツに学べ」と叫びながら、「自分勝手な価値観」に縛られたままなので、共通の歴史教科書などできるはずがありません。
いいも悪いも、キリスト教という「共通の価値観」があるフランスとドイツでは共通の歴史教科書を作りやすかったのでしょうが、儒教のうぬぼれと仏教の無常観では「共通の価値観」などあり得ないのでしょう。
科学にとって好運なことに、たとえばこのような既存の技術の改善でさえ、広範な科学研究を必要としたことである。しかし、技術発展が緩慢になったとき、最初に被害を被るのは、手短な有用性の無い発見を行なう基礎研究である。:P.240 ラーナー「ビッグバンはなかった」上 河出書房
今の70歳台以上の日本人がよき時代を知っているようで
ノーベル賞受賞者の多くが「好き勝手な基礎研究が許されていた」という話をしているのをよく聞きます。
今の研究者が許されない環境が、昔にはあったというらしいのですが、そうなるかも知れませんが、今でも期待される人とそうでない人がいるようで、期待されている人の場合「好き勝手な基礎研究」ができるようです。
中国の場合、研究論文が増えてきたようですが、改善が禁じられている儒教の場合、しかも知的財産権をパクることが難しくなり、そう簡単な時代ではないようです。中国包囲網がひかれると損失を被るのは中国人自身なのですが、悪い方向へ自らを誘導しているのが、中国共産党なのでした。
問題は、次のようなことでしょうか。
- 自ら動ける人と、勝手に動く人
- 使いやすい人と、使いにくい人
- 必死で他人の責任にする人と、指示待ちの人
アメリカでコレラや腸チフス、発疹チフスが絶滅したのは、医者がしらみつぶしに患者の細菌を殺したからではない。栄養事情が改善され、飲料水や牛乳を殺菌するようになったからだ。人が天然痘に勝てたのは、抗生物質のおかげではなく、予防接種のおかげだった。:Newsweek日本版
もちろん「しらみつぶし」で
進めなければならないこともあるようですが、第一線の研究者でも、博学なだけではダメで、直感的なひらめきがある人に女神は微笑むようです。
原因究明、改善が許されないと、しらみつぶしでしか物事は進まず、身分制度がうるさいところでは、偉い人の説には逆らえないことが多く、偉い人がそこにあぐらをかくようになっているのでしょう。
身分制度が多いところとはどんなところでしょう。
- 儒教の国
- イスラム教の国
- 階級制度がのこっている国
このような国ならば、「飛びぬけた研究」はできそうになく、それ以外の分野で活躍するしかなさそうです。
もっとも、「飛びぬけた研究」ができる国が幸せとは限りません。自由主義か銃主義か、わからない国もありますね。
3種類の友人をもつべきなのは、それぞれに問題があるからです。
- 博学な人は、何かわからないことを聞くと何でも教えてくれるので頼りになるけれども、いつもあなたの味方をして誠実とは限らず、いつも正しいとも限りません。
- 誠実な人は、いつもあなたの味方になってくれるでしょうが、いつも正しいとは限らず、いつも博学とは限りません。
- 正しい人は、ひらめきがあり常に善なる道を指し示してくれますが、いつも博学とは限らず、いつもあなたの味方をしてくれる誠実な人とも限りません。
皆様には
この3種の人が知り合いにいますか。もしも、いたらとても、あなたはとても幸せなかたです。
それが1人に備わっているならすばらしいのですが、それぞれの人の特徴をよく理解し、その人に備わるはずがない期待をもたないで欲しいと願っております。
これだけは「改善」してはなりません(笑)。
さてさて、皆様はどう思われますか。