カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

ふえた難民

2015年11月03日 12時24分53秒 | 海外

EU、特にドイツでは

メルケル首相が当初「難民を受け入れる」と表明したため、難民がEU国境を突破して、多くがドイツへ向かっているとのことで、途上で「人道的な」支援をする人もいるようです。

難民問題については、常に2つのことを同時に考えねばならないでしょう。

  1. 短期の問題で、当面の難民をどう扱うか
  2. 中期の問題で、どうすれば難民を発生させないで済むか

多くの場合、中期の問題より短期の問題で議論が沸騰し、妙な愛国心で「受け入れ反対」を唱えることが多いように思います。

特に

「イスラム圏の国内で権力抗争が内戦に発展して、それが解決されないまま国外へ脱出する難民」が発生しました。

それがシリア難民です。

つまり国内問題が国外問題へと発展して地域全体に深刻な影響をあたえている、という状況でしょうか。

シリア総人口1800万人〔Wikipedia〕のうち、国内の避難民総計は600万人〔WFP(国連の食糧支援機関)〕と国民の1/3が自宅ではなく非難生活をしているという悲惨な状況です。

またこれ以外に国外へ流出した難民は400万人とも言われていて、合計すると国民の約半数が自宅を追われ国内外で避難中ということになり、近年まれに見る悲惨な状況です。〔朝日新聞

世界中がこの状況を何とか解決したいとしながら

その多くが、自国の影響力を増し利益になる方向でしか支援を考えていない、ように見えます。

教訓:自国で解決できずにいると、かならず外国が介入し始めるもの。

「ある国」の政府が、内戦状態を自力で解決できずに、

外国Aに武器支援を要請すると、外国Aに反対する外国Bが反発して「ある国」の反政府勢力に武器を支援するでしょう。

この結果、外国A外国Bが、内戦という口実で、代理戦争をしてしまうのでした。

外国としては、いつ寝返ったり敵に武器が捕獲されるか不透明なため、限定的な質と量の武器提供に留まるとみられ、決定的に勝利を得られるほどの提供には至らないと思われます。ただし状況を見てこの裏をかくこともあります。

人類の歴史はそういうもので

日本の江戸末期にも見られましたね。

外国勢は異国の内戦には慎重でなければならず、全面的とは言えませんでしたが、イギリスが薩長へ、フランスが徳川幕府へ、武器をいくらか支援していたと言えるでしょう。

ただし形勢に偏りが見られるとみるや手を引いたり影響力を強めたり、「機を見るに敏」とはこのことで、世界中の人や国が、こうして動いているのです。

シリアの場合

混乱を招いたとしてアサドは退陣し、必要ならば国連の支配下になるほうがマシだったのかと、今になれば思ってしまいますが、これも結果論に過ぎません。

シリアのアサド政権に対する反政府勢力が、複数あるという複雑な内戦状況も、悩みの種です。

  • ロシアが、アサド政権を助けようとしてISを空爆し始めて1ヶ月ほどですが、「ISを空爆するのは見せかけに過ぎず、実は別の反政府勢力を空爆してアサド政権を助けている」と非難されています。あくまでもアサドを支援し影響力を強めたいのでしょう。ロシアのテレビは「アメリカ有志連合が1年以上かかってもだせなかった成果をロシアは1ヶ月の空爆で出している」と報道していますが、皆様はどう思いますか。いろいろな情報源が大切ですね。
  • 一方イランは、近年比較的ロシアと近いものの、アサド政権崩壊後にそなえ、反政府勢力と接触し始めているとのこと。〔IPSINTER PRESS SERVICE)〕
  • またアサド退陣を要求するアメリカなどの有志連合は、ISを空爆するとアサド政権を利する可能性があるとして、限定的な空爆に留まっているようです。
  • そうこうしているうちにISも反撃を試みていて、つい先日ですが、2015/10/31 にエジプト発ロシア行きの航空機が墜落し全員が死亡した事故について、ISが犯行声明を出しているとの情報があります。ただし実際にISの犯行声明かどうかは未確認で、悪意ある風聞・ガセネタかも知れません。
  • シリアはもう眼も当てられない状況にあり、まるで年間暴動10万件とされる中国の内戦状況そっくりですね。
  • しかし4000年の間ずっと世界の中心にあると信じてきた漢民族は、どの状況にあっても難民となって「馬鹿にしてきた周辺の」夷狄(いてき:四夷)へ流出する気配がありません。中国から脱出できるのは「不正に取得した財を道ずれにできる超富裕層」だけなんでしょうね(笑)。

シリアやアフリカの難民問題

イスラム教の問題が叫ばれますが、長い期間をみると、キリスト教国家間で何百年にもわたり醜い戦争を繰り返してきたので、イスラム教だけの問題とも言えないようです。

つい最近EUが成立して経済的・政治的な連帯を強め始めたばかりですが、宗教色を弱めた結果、ようやくまとまりました。それでも域内の格差が生じ、離脱問題も絡んで複雑な状況です。

富の配分は依然として深刻な問題ですから、じゃあEU内ですべて平等にすればいいじゃないか、となると、まるで共産主義国家連合になってしまう。

こうなると、いくら頑張ってもしょせんは同じ、何もしない方がマシ、となって腐敗と汚職が蔓延するのでした。

また域内でのギリシャ財政問題も話題になりました。

そんな時に突然「難民が急増」したのです。

押し寄せたイスラム教難民たちが、「宗教色を弱めた」とは思えません。よって深刻な宗教対立が起きるのは、必然なのでした。

これを積極的に受け入れる、と表明したのがドイツ。

意表をつく決断には好感をもった人が多かったでしょうが、これは必ずしも多くのドイツ国民の賛成を得た上での表明ではなかったようで、それでなくても極右政党が存在する地域ですから、反対も数多く存在します。

いやドイツでは、極右政党が存在するからこそ、難民受け入れを明言する必要があった、のかも知れません。

ドイツでは

「考え方の多様性が重要視されてきた」ようですが、難民たちが定住を許されたドイツ国内で身勝手な言動を繰り返してトラブルを繰り返しているところをみると、結果的にドイツの「多様性」を狡猾(こうかつ)に利用してきた無知なイスラム教難民という構図があり、近くドイツ国民の感情が激変するかもしれません。

美しい「多様性」は確かに尊重すべきことですが、何の警戒もなくその立派さを誇っていると、「これを狡猾(こうかつ)に利用する不作法な人たちが利用する」、という教訓でしょうか。

まったく正反対ですが

イスラム教圏諸国には「多様性」がありません。

残念なことですが、現状では、多様性のない地域から多様性を重視する国へ来て、独善という勘違いから、幾多のトラブルが発生している、と考えられます。

母国で自分たちは政府に否定された。そして受け入れてくれた国は、自分たちを肯定するはずだ、と思い込んだのでしょうか。

ここで私は、どうしても

日本と中国・韓国の関係を思い出してしまいます。

日本では、沖縄にはやや問題があるものの、「考え方の多様性が重要視されてきた」のですが、その多様性」を狡猾(こうかつ)に利用してきた中国・韓国の不作法さに国民感情が激変してきたのと似ています。

中国・韓国には「多様性」などまったく存在しませが、これは世間で衆知のことです。

シリア難民については、受け入れ側の問題のほかに難民側の問題もあります。難民たちの

  • 教育の問題

幸運なことに受け入れ国が見つかったとしても、そもそも難民の中には、自国語の読み書き計算ができない人がかなり含まれるようです。

これは本人の問題というよりも、そういう教育さえままならなかった不穏な国内情勢や、イスラム過激派に見られる「婦女子に教育は不要」とする女性差別のほうに、より深刻な問題があります。

そういう自国語の読み書き計算のできない人たちが、受け入れ国側で、新しく言語を習得したり計算力を向上させることは無理で、場合によっては相手側の生活習慣を尊重する姿勢さえもてないかも知れません。ただしそんな相手のことを考える余裕のある生活ができなかった、という一面があったと考えるほうがいいでしょうか。

これだと、かりに定住が認められても仕事を得られないことが考えられます。これは受け入れ側にとっても想定外だったと思われます。

受け入れ側のドイツ側に、「やってくる難民に学習のチャンスを与えたならば、必ずドイツ社会にとけこむはず」という想定があっても、私は不思議ではないと思うのです。

そこでどうしても、読み書き計算ができなくても生活できる手法を編み出さねばなりません。それは相互扶助でしかなく、このためにも難民が受け入れ国で周辺住民と没交渉になるのは、避けなければならないのです。

一方では、難民としてドイツを目指す人の中には、バスや電車を利用し最新のスマホを片手にしながら、何の苦労もなく異国で幸せな生活を遅れるはずだと信じて疑わない「旅行気分の富裕難民」も、また見られるのでした。

このように多様化しているのが、大変多い難民の実体でしょう。こういう難民をどう扱うか、悩ましい問題ですね。

  • 宗教の問題

難民のほとんどがイスラム教の人たちで、受け入れ国では多くがキリスト教ですから、そうでなくても心配なのが宗教上のいざこざ。特に多様化している難民ですから、想定できないトラブルが発生します。

難民たちは自分たちの宗教(イスラム教)を捨てないどころか、定住先でイスラム教徒の集団を作ってそれ以外の人とは接触しない人たちもいるようです。こうなると近隣住民に不気味感を与え、その結果、よけいな摩擦がふえています。

難民受け入れ時に改宗を要求できないとしても、少なくとも「難民側が、受け入れ国側での生活習慣を守り、その国の言語を学び、隣人を不快にさせない」ようになる手法を、あみださなければならないようです。

偽善者として難民受け入れをするだけではだめで、もっと実際上の方策が必要です。

このような問題があるため

母国を脱出してせっかく受け入れ国が見つかったのに、その受け入れ国での生活になじめず厄介者となってしまい、再び難民となって流出するか、またはその国で地下へ潜ってヤクザ仲間に入り犯罪者の道を歩む、という心配があります。

北朝鮮から韓国への脱北者

こういうときに思い出すのが北朝鮮から韓国へやってきた脱北者。

脱北者は、北朝鮮での独裁色が強まって、締め付けが厳しくなるにつれ、いっそう増えました。それも南北国境の警備が厳しいため

    • 直接の、北朝鮮→韓国ではなく
    • 間接の、北朝鮮→中国→韓国

として受け入れてきた韓国でしたが、同じ朝鮮族の脱北者者たちは、最初のうちは英雄視されたようです。

英雄視されたといえば

日本で犯罪を重ねて服役したあと、韓国へ強制送還された金嬉老(きんきろう)が、韓国で最初のうちは英雄視されたことを思い出させます。

しかしもてはやされたのは最初だけで、やがて金嬉老(きんきろう)は韓国でも犯罪を起こすなど本性を発揮したか、韓国での人気が急落して厄介者となり始め、やがてガンでなくなりました。

韓国での脱北者も最初のうちは英雄視され同情されたようですが、やがて

  • 韓国民の熱が冷めたと言うべきか(カッカと熱しやすいですね)
  • 脱北者が完全に非人道的に管理された北朝鮮で生まれ育ったため、韓国での自立した生活に、どうしてもなじめなかったためかそれはそうで、相当長い期間をかけてリハビリをしないと骨の髄までしみ込んだ弾圧下の人生観を消し去ることは無理でしょう)
  • それとも本人自身の素質によるものか(もちろん脱北者として韓国の生活になじみ成功した人もいるでしょうが、中には無理な人がいるかも)
  • それだけ脱北者が多様化したとも言えます

詳しくは把握できませんが、脱北者は韓国で徐々に厄介者になってしまったのです。

比例するように脱北者による韓国内での犯罪もふえ、かれらはやがて地下へ潜り、それでなくても北シンパが多い国ですから、親北大統領の時代が終わって、警戒される時代になると、社会が不透明でより複雑になってきました。

混沌の社会、ペテン師の集まり、いびつな競争社会の韓国では、南北分断どころか、韓国内でさえ幾多の集団に分割されていますから、なんとかして国内統一をはからねばなりません。

そうです、そこで出てくるのが何の脈絡もない「外に敵を作るための反日国是」でした。これは建国時の憲法にも記された国是であり、どんな些細なことであっても、あらゆることで日本にイチャモンをつける「愛国心」を育て、日常の反日教育の効果も出てきて、「国内がそうだそうだ」と、ようやく「まとまる」のですね。立派な愛国心と言えます。

まぁこういった、ごまかしの「愛国心をかき立てる反日国是という手法」がいつまで通用するか、お手並み拝見、というところ(笑)。

こうなると、

難民に悩んでいるドイツに対して、脱北者の歴史をかかええいる韓国は「難民あつかいの先輩」として、何か助言することができそうですね(笑)。

それでなくても雑な判断をする韓国人為政者たちでして、「ユダヤ民族を滅亡させようとしたナチス」を反省したドイツを見習え、と日本に要求する始末でした。身の程知らずと言いましょうか、多様性を排除した、まるで小学生並みのレベルとでもいいましょうか。

この手法がいかに雑かは説明するまでもないでしょうが、それほど韓国は、自分の利益のためだけで勝手に、ドイツを高く評価していたようです。

しかしながらこちら2014年のBBC調査によれば

ドイツでの韓国に対する見方は冷たいようで、むしろ韓国に対する反感が強いですね。ここでは、この調査がどの程度信頼できるかは、扱いません。

韓国人がどんなに傍若無人であろうとも、日本では韓流人気が沸騰したものでしたが、残念ながらこれは一部の日本人の「片思い」で、多くの韓国人が日本人を嫌っていたようです。

同様に、たとえ狡猾(こうかつ)な下心があったのだとしても、韓国人にはドイツへの妙な「片思い」がありましたが、多くのドイツ人が韓国人を嫌っているようです。不思議なものですね(笑)。

やはり韓国は、

ドイツに対して「難民の先輩」として助言する立場にはなかった、と言えます。

そうです、韓国人は脱北者から、何も学ばなかったのでした。

まぁ韓国人が何かから学ぶ、なんてこと自体がありえないことで、別の表現をするなら、「韓国には客観性がない」とでも言いましょうか(笑)。 


さて長々と述べてきましたが、メルケル首相が「難民受け入れ」を表明したドイツは

積極的に受け入れを表明したのに、その数が多すぎたためもあり、受入数を制限することになるでしょう。どうやら、発言の責任を取らねばならないようで、どんな結末になるか、予断を許しません。

一方難民たちのほうも

現在の自国での生活のままヨーロッパに住めると勘違いして移住するのではなく、それなりの決意をもって受け入れ国へ入り、生活習慣になじむ努力をしなければなりません。

人道的な受け入れに甘え過ぎることなく、受け入れ国で新しい一歩を踏み出す気構えが必要なのでしょう。

母国での生活がいやになったから、人道を優先するヨーロッパへ移住して、そのまま何の苦労もなく快適な生活ができる、と信じている富裕難民が多いのが、どうも気になる昨今です。