先日2015/10/24放送のテレビBS-TBS落語研究会で
「たちきり」を視聴しました。これは月に1回程度の放送で、すべて東京三宅坂の国立劇場(小劇場)で収録したものです。
この噺「たちきり(たち切れ)」は
もともと上方の話らしく、古く江戸にも伝わりいろいろな人が演じたようです。
桂米朝が、その昔「上方」落語が「どかた」落語と読まれたという笑い話を紹介したことがありましたが、幕末ブームの今ならさしずめ「ひじかた」落語でしょうか。
ただし「どかた」そのものが差別用語となり死語になったため、「そんなものか」程度で終わりそうで、隔世の感があります。
私はこの噺「たちぎれ線香」を
その桂米朝〔1925-2015/03/19〕の落語で、そうとう前に聞いています。多分桂米朝50歳台の頃の音源でしたが、米朝夫人がこの話に惚れ込んで、ついでに米朝に惚れ込んだ、とも聞いています。
CDからmp3音源に落として何回も聞いており、多くの場面で次のセリフさえ出てくるほど、覚えてしまいました。
評論家と称する人たちが
「上方落語の滑稽噺」、「江戸落語の人情噺」、と言いたがりますが、どうもひっかかります。
上方には人形浄瑠璃や歌舞伎でたっぷりと人情噺があり、江戸落語にさえ「物事を知らないよたろうを馬鹿にする滑稽噺も多い」からで、あまりレッテルを貼りすぎるのもどうか、と思うのです。
「日本三大~」、というと覚えやすい一面がありますが、4番目にしたら「うちが入るべきだ」と不満があるもの。あくまでも参考程度と考えるのがよろしいようで。
正確には「~の面での上位3つは」ならいいでしょう。ただしそれさえ毎年変わるものもあれば、10年くらいは続くのもあり、厳密さを尊ぶ人なら注意したいもの。
三大なんとかといえば、
- 三大松原
- 三大温泉
- 三大桜
- 三景(天橋立・松島・宮島)
- 三名園
- 三大祭(祇園祭・天神祭・神田祭)
- 三大和牛
- 三大そば
- 三大うどん(讃岐・稲庭・五島)
- 三大随筆(枕草子・方丈記・徒然草)
- 三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)
- 江戸三大飢饉(享保・天明・天保)
- 三大遊郭(京の島原・江戸の吉原・大坂の新町)
ほら、レッテルを貼ってますね(笑)。4番目がかわいそうだとは思わないのでしょうか(笑)。
題名も、上方と江戸ではやや異なり
- 上方落語では、「たちぎれ」「たちぎれ線香」
- 江戸落語では、「たちきり」
お茶屋の約束事で「線香の燃え方でおおよその時間を決めていた」と考えられます。
- 上方の「たちぎれ」のほうは「たちぎれる」という自動詞ですから、線香が自然に燃え尽き、その結果として自然に小糸(小雪)が演奏を中止したので、しきたりに沿ったやむを得ない結果だ、という印象を残します。
- 一方、江戸の「たちきり」は「たちきる」という目的語をともなう他動詞ですから、自分の意志で小雪(小糸)が三味線の演奏を中止した、自分の意識を強調した題名表現だ、という印象を残します。
噺のサゲ(おち)で小雪(小糸)が弾く三味線の演奏が止まったところを
- 桂米朝は「お線香が、ちょうど、たちきりました」
- 林家正蔵は「お線香が、たちきりました」
と同じですが、演目名だけ「たちき(ぎ)れ線香(上方)」と「たちきり(江戸)」と異なるのが、おもしろいですね。
言い替えると「お線香」を主語とするならば
- サゲ(落ち)では、お線香が燃え尽きて三味線の演奏をさえぎった、とする意味で、上方江戸とも共通していますが
- 題名では、自然に線香が燃え尽きたので「たち切れ」とする上方と、線香が燃え尽きたため奏者が演奏を「たちきった」ので「たちきり」とする江戸
どちらも正しいのでしょう。
先日聞いたのは、
9代目林家正蔵の「たちきり」で、深夜ですから録画でしたが、いやな予感がしました。つまり「正蔵にはまだ無理だろう」というものでした。
9代目林家正蔵は、林家三平の息子で、真打になった(1988年)あと相当の期間を経て正蔵を継いだ(2005年)のですが、この時でさえ違和感をもった人も多かったでしょう。
林家三平(初代)
(姉)海老名美どり・・・・夫が峰竜太
(当)林家正蔵(9代目 1962- )・・・・旧名:林家こぶ平
(弟)林家三平(2代目 1970- )・・・・旧名: いっ平
そうか
こぶ平(いや正蔵)も、今年(2015年)もう53歳か。あの桂米朝も同じ50歳台で「たちぎれ線香」をやっていたのですから、やっても不思議ではないのですね。
いやな予感もしましたが、なんとか録画を見ました。
登場人物の固有名詞・地名は江戸風に書き換えられていましたが、桂米朝の「たちぎれ線香」そっくりだったのに驚きます。ただしこういう感想も米朝を聞きこなしていたから言えることでした。
ひょっとしたら米朝にも誰かの影響が残っているのかも知れず、落語とはそういう伝統の芸能でした。その意味では、これから自分の味を出すようになる正蔵なのでしょう。
林家正蔵は
生前の桂米朝から直接、あるいは米朝の弟子から間接的に、教わったのでしょうか。
桂米朝(上方) 林家正蔵(江戸)
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演者 3代目桂米朝 9代目林家正蔵
題名 たちぎれ線香 たちきり
芸妓 小糸(こいと) 小雪(こゆき)
置屋 ミナミ「紀の庄」 柳橋の「わけたまき」
曲名 地歌「雪」 一中節「紙治(かみじ)」
この噺は
桂米朝(故人)→桂吉朝(故人)→鈴々舎馬桜(ばおう)→9代目林家正蔵
と伝わったともされています。
この9代目林家正蔵の「たちきり」には、
賛否両論あるようで、正蔵には荷が重すぎる、とされます。
たしかに米朝と比較されたら、だれでも「無理」でしょうが、50歳を超えた正蔵が成長を目指して挑戦していると見るならば、誰にも非難する権利があるとはいえ、粋に感じそれもいいかな、と思う次第です。70歳の正蔵の姿を目に浮かべている昨今です。
なによりも、落語なんかに眼も向けなかった人、多くは30~40歳台の人が、これをきっかけに古典落語を聞くようになるならば、正蔵はきっかけを与えた功労者だと言えます。
噺家が若い頃
このネタをやろうとして師匠から止められることがあったと聞いています。それほどの大ネタですが、50歳を過ぎた正蔵が演じるのは、ごく自然なことなのです。
先日ラグビーWCで
日本が3勝をあげたという「奇跡」があり、「にわかラグビーファン」が増えたようですね。もちろんブームが去れば元に戻りますが、その中にも、ルールや得点の仕組みが分ってきて、本当にラグビーが好きになる人も出て来るでしょう。それでいいと思うのです。サッカーや野球でも、みな似たようなきっかけがあるものです。
ある人は若い頃の長嶋の姿を見て野球に目覚めたでしょうし、次の世代ではダルビッシュにきっかけをもらった人もいるでしょうし、現在ではヤクルトの山田の影響をもろに受けた小中学生もいることでしょう。
9代目林家正蔵が、これらと同じ影響を与えているかも知れないのです。
私も1~2年前に
寄席で、林家正蔵の落語を聞きました。
テレビでは言えない楽屋裏の話で笑いを取っているようでしたが、もちろん落語そのものにはまだ不備がありましたし、落語というより漫談に近かったかも知れません。
しかしそういうタレント性がある正蔵が、10分~15分しかない寄席での経験を積みながら、テレビ収録の会で、長時間にわたる古典落語の大ネタに取り組む姿をみて、私は好感をもっていす。
まぁ、お「通(つう)」さんが宮本武蔵から遠ざけられたように、落語の通としては、若手の落語家からは遠ざけられる運命にあるようです。
これが通としての矜恃〔きょうじ〕なのかも知れず、若手の芸人を「まだまだだ」と見下さなければなりせん。
私の見るところ
9代目林家正蔵は少なくとも、6代目三遊亭圓生の弟子である川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)よりは、ずっとずっとマシです。