都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「秋の青森のアートと史跡・街歩き」 Vol.3:弘前れんが倉庫美術館
Vol.2:三内丸山遺跡・青森港に続きます。弘前れんが倉庫美術館へ行ってきました。
明治・大正期に酒造工場として建設され、後に近代産業遺産に指定された青森県弘前市の煉瓦造りの倉庫が、2020年7月に弘前れんが倉庫美術館としてグランドオープンしました。
朝早くに宿をチェックアウトし、青森駅から9時過ぎの「つがる2号」に乗ってしばらくすると、車窓に田んぼとりんご畑の広がる風景が見えてきました。そこが津軽平野の南部に位置し、東に八甲田の連峰、そして西に雄大な岩木山を望む弘前の街でした。
弘前駅は市中心部の西側に位置していて、弘前城などの主要な観光スポットへ向かうには、約10分間隔で市内を循環する土手町100円バスが便利でした。
弘前れんが倉庫美術館の最寄りバス停は中土手町で、江南鉄道中央弘前駅近くの住宅街の中に建っていました。芝生の広場を前に赤い煉瓦造りの建物が2棟並んでいて、大きい建物が展示室やスタジオなどの美術館のスペース、もう1棟にカフェとミュージアムショップが入居していました。
この地に煉瓦倉庫を築いたのは、明治から大正にかけて酒造業などを営んでいた福島藤助で、1907年頃には現在のカフェ棟の一部を含む建物を市内の茂森町より移築しました。その後、事業拡大とともに日本酒造工場として倉庫などを増設して、今の美術館棟も1923年頃には建てられました。
終戦後、シードル事業を興した吉井勇が朝日シードル株式会社を設立すると、同社の弘前工場として稼動するようになり、最終的にはシードル約1800万リットルを見込むなどして製造されました。そして1960年頃にニッカウヰスキー株式会社に事業が移されると、同社の弘前工場として東北向けにウイスキーが生産されました。
しかし1965年に工場が移転し、1975年には建物の一部も取り壊され、現存する煉瓦倉庫の形となりました。その後は1997年に至るまで、政府備蓄米の保管倉庫として用いられていたそうです。
1980年代後半から煉瓦倉庫の活用法が模索されると、2002年には「市民の手」(リーフレットより)によって奈良美智の展覧会が開かれました。結果的に2015年、弘前市が土地と建物を取得して「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地検討委員会」が組織され、2017年から「(仮称)弘前市芸術文化施設」として整備が始まり、2018年から本格的な改修工事が行われました。
改修を担ったのは建築家の田根剛で、「記憶の継承」をコンセプトに、耐震補強や煉瓦壁の保存、またチタン材を用いた「シールド・ゴールド」の屋根などが導入されました。屋根は昔の洋館に多い菱葺きの手法が用いられていて、光の角度によって表情が変化していくそうです。
奈良美智「A to Z Memorial Dog」 2007年
エントランスの奈良美智の「A to Z Memorial Dog」やフランスのジャン=ミシェル・ オトニエルのりんごに着想を得た彫刻を過ぎると、展示室へと続いていて、ちょうど開館記念展の「Thank You Memory ― 醸造から創造へ」が行われていました。
ジャン=ミシェル・ オトニエル「Untitled」 2015年 *代替作品。会期中に展示替えを予定。
なお展示は9月22日に終了し、10月10日より「小沢剛展 オールリターン―百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」が開催されています。
これは開館記念に際し、建物の場所と記憶に焦点を当てたもので、広々とした倉庫内のスペースを用い、8名の現代アーティストが絵画、写真、インスタレーションなどの多様な作品を展示していました。
最初の展示室では、煉瓦倉庫に残されていたタンクや看板などが並んでいて、土地の歴史を記した年表とともに、煉瓦倉庫の史的変遷を辿ることができました。
古びたシードル瓶や広告ポスター、またタイルの欠片なども、長い歴史を物語る興味深い資料と言えるかもしれません。
畠山直哉×服部一成「Thank You Memory」 2020年
写真家の畠山直哉は、美術館のロゴやグラフィックを担当した服部一成と協働して、シードル工場当時の写真や資料を引用しつつ、新たな読み物としての印刷物を作り上げました。ここでは工場時代の資料や新聞記事などがいわばコラージュするように展開していて、設計を担った田根剛のドローイングも描きこまれていました。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
私が一連の作品で特に魅惑的に感じられたのが、建築倉庫の窓や扉、さらには階段を用いて大規模なインスタレーションを築いた笹本晃の「スピリッツの3乗」でした。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
作品には建材だけでなく、ボトル型のガラス彫刻などがダクトで繋ぎ合わさっていて、あたかも研究室や培養室に立ち入ったかのような錯覚に囚われました。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
またダクトからは風も送り込まれているからか、装置としても稼働しているように見えて、かつてのシードル工場の醸造工程を擬似的に表現していました。
尹秀珍「ポータブル・シティー」 2001年〜
中国の尹秀珍(イン・シウジェン)は「ポータブル・シティー」において、ブリュッセルや敦煌、台北にメルボルン、そしてニューヨークや弘前の街をスーツケースへ古着のジオラマとして表現しました。
尹秀珍「ポータブル・シティー」 2001年〜
古着を人々の記憶を宿すものと考える尹は、弘前を訪ねては古着を集めて制作していて、岩木山を背に弘前城や古い家々、そしてシールド・ゴールドの屋根が光り輝く倉庫美術館などの弘前をスーツケースの上に展開していました。一際目立っていた高い塔は、古くは東北一の美塔と称された最勝院五重塔のようでした。
奈良美智「SAKHALIN」 2014〜2018年
アイヌの文化に興味を持ち、実際に青森や北海道、それにサハリンへとアイヌ語の残る地域を旅した奈良美智は、写真シリーズ「SAKHALIN」においてサハリンの先住民との出会いを写真に収めました。なんでもサハリンでは、かつて奈良の祖父が炭鉱や漁業を携わっていた地でもあるそうです。
藤井光「建築 2020」 2020年
この他では煉瓦倉庫から美術館へ生まれ変わるプロセスを映像に捉えた、藤井光の「建築 2020」も見応えがありました。どのように工事が進み、建物が再生されたのかを臨場感をもって知ることができるのではないでしょうか。
美術館の内部でともかく印象に残ったのは、鉄骨を剥き出しにした吹き抜けの広いスペースと、暗がりの中で黒光りする壁でした。
左:尹秀珍「ウェポン」 2003〜2007年
右下奥:ナウィン・ラワンチャイクン「いのっちへの手紙」 2020年
この黒い壁はかつてシードルの貯蔵タンクがあった場所で、安全性を確認した上でコールタールの塗られた壁面をそのまま残していました。まさにこの場所だからこそ叶った展示空間と言えるかもしれません。
2階を区切る白い壁も当時のまま使われていて、向かって右側は工場の瓶詰室、そして左側にある現在のオフィスはかつて研究室と事務室として利用されました。
さらに同じく2階には市民ギャラリーとライブラリーがあり、無料施設として自由に立ち入ることも可能でした。
一通り展示を見終えて早めにランチをとろうと、隣のカフェ棟へ向かいましたが、パーティーの貸切予約により立ち入ることが叶いませんでした。私がチェックをし損ねていましたが、一応、事前にWEBサイトで告知があったようです。
よってカフェの利用を諦めて、弘前の街へと繰り出すことにしました。
Vol.4:弘前市街(土手町・弘前城周辺・禅林街ほか)へと続きます。
「Thank You Memoryー醸造から創造へー」 弘前れんが倉庫美術館(@hirosaki_moca)
会期:2020年6月1日(月)~9月22日(火・祝) *会期終了
休館:火曜日(祝日の場合は、翌日休館)。年末年始。
時間:9:00~17:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1300(1200)円、学生1000(900)円。高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:青森県弘前市吉野町2-1
交通:JR弘前駅より徒歩20分。弘南バス(土手町循環100円バス)「中土手町」下車徒歩4分。
明治・大正期に酒造工場として建設され、後に近代産業遺産に指定された青森県弘前市の煉瓦造りの倉庫が、2020年7月に弘前れんが倉庫美術館としてグランドオープンしました。
朝早くに宿をチェックアウトし、青森駅から9時過ぎの「つがる2号」に乗ってしばらくすると、車窓に田んぼとりんご畑の広がる風景が見えてきました。そこが津軽平野の南部に位置し、東に八甲田の連峰、そして西に雄大な岩木山を望む弘前の街でした。
弘前駅は市中心部の西側に位置していて、弘前城などの主要な観光スポットへ向かうには、約10分間隔で市内を循環する土手町100円バスが便利でした。
弘前れんが倉庫美術館の最寄りバス停は中土手町で、江南鉄道中央弘前駅近くの住宅街の中に建っていました。芝生の広場を前に赤い煉瓦造りの建物が2棟並んでいて、大きい建物が展示室やスタジオなどの美術館のスペース、もう1棟にカフェとミュージアムショップが入居していました。
この地に煉瓦倉庫を築いたのは、明治から大正にかけて酒造業などを営んでいた福島藤助で、1907年頃には現在のカフェ棟の一部を含む建物を市内の茂森町より移築しました。その後、事業拡大とともに日本酒造工場として倉庫などを増設して、今の美術館棟も1923年頃には建てられました。
終戦後、シードル事業を興した吉井勇が朝日シードル株式会社を設立すると、同社の弘前工場として稼動するようになり、最終的にはシードル約1800万リットルを見込むなどして製造されました。そして1960年頃にニッカウヰスキー株式会社に事業が移されると、同社の弘前工場として東北向けにウイスキーが生産されました。
しかし1965年に工場が移転し、1975年には建物の一部も取り壊され、現存する煉瓦倉庫の形となりました。その後は1997年に至るまで、政府備蓄米の保管倉庫として用いられていたそうです。
1980年代後半から煉瓦倉庫の活用法が模索されると、2002年には「市民の手」(リーフレットより)によって奈良美智の展覧会が開かれました。結果的に2015年、弘前市が土地と建物を取得して「弘前市吉野町煉瓦倉庫・緑地検討委員会」が組織され、2017年から「(仮称)弘前市芸術文化施設」として整備が始まり、2018年から本格的な改修工事が行われました。
改修を担ったのは建築家の田根剛で、「記憶の継承」をコンセプトに、耐震補強や煉瓦壁の保存、またチタン材を用いた「シールド・ゴールド」の屋根などが導入されました。屋根は昔の洋館に多い菱葺きの手法が用いられていて、光の角度によって表情が変化していくそうです。
奈良美智「A to Z Memorial Dog」 2007年
エントランスの奈良美智の「A to Z Memorial Dog」やフランスのジャン=ミシェル・ オトニエルのりんごに着想を得た彫刻を過ぎると、展示室へと続いていて、ちょうど開館記念展の「Thank You Memory ― 醸造から創造へ」が行われていました。
ジャン=ミシェル・ オトニエル「Untitled」 2015年 *代替作品。会期中に展示替えを予定。
なお展示は9月22日に終了し、10月10日より「小沢剛展 オールリターン―百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」が開催されています。
これは開館記念に際し、建物の場所と記憶に焦点を当てたもので、広々とした倉庫内のスペースを用い、8名の現代アーティストが絵画、写真、インスタレーションなどの多様な作品を展示していました。
最初の展示室では、煉瓦倉庫に残されていたタンクや看板などが並んでいて、土地の歴史を記した年表とともに、煉瓦倉庫の史的変遷を辿ることができました。
古びたシードル瓶や広告ポスター、またタイルの欠片なども、長い歴史を物語る興味深い資料と言えるかもしれません。
畠山直哉×服部一成「Thank You Memory」 2020年
写真家の畠山直哉は、美術館のロゴやグラフィックを担当した服部一成と協働して、シードル工場当時の写真や資料を引用しつつ、新たな読み物としての印刷物を作り上げました。ここでは工場時代の資料や新聞記事などがいわばコラージュするように展開していて、設計を担った田根剛のドローイングも描きこまれていました。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
私が一連の作品で特に魅惑的に感じられたのが、建築倉庫の窓や扉、さらには階段を用いて大規模なインスタレーションを築いた笹本晃の「スピリッツの3乗」でした。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
作品には建材だけでなく、ボトル型のガラス彫刻などがダクトで繋ぎ合わさっていて、あたかも研究室や培養室に立ち入ったかのような錯覚に囚われました。
笹本晃「スピリッツの3乗」 2020年
またダクトからは風も送り込まれているからか、装置としても稼働しているように見えて、かつてのシードル工場の醸造工程を擬似的に表現していました。
尹秀珍「ポータブル・シティー」 2001年〜
中国の尹秀珍(イン・シウジェン)は「ポータブル・シティー」において、ブリュッセルや敦煌、台北にメルボルン、そしてニューヨークや弘前の街をスーツケースへ古着のジオラマとして表現しました。
尹秀珍「ポータブル・シティー」 2001年〜
古着を人々の記憶を宿すものと考える尹は、弘前を訪ねては古着を集めて制作していて、岩木山を背に弘前城や古い家々、そしてシールド・ゴールドの屋根が光り輝く倉庫美術館などの弘前をスーツケースの上に展開していました。一際目立っていた高い塔は、古くは東北一の美塔と称された最勝院五重塔のようでした。
奈良美智「SAKHALIN」 2014〜2018年
アイヌの文化に興味を持ち、実際に青森や北海道、それにサハリンへとアイヌ語の残る地域を旅した奈良美智は、写真シリーズ「SAKHALIN」においてサハリンの先住民との出会いを写真に収めました。なんでもサハリンでは、かつて奈良の祖父が炭鉱や漁業を携わっていた地でもあるそうです。
藤井光「建築 2020」 2020年
この他では煉瓦倉庫から美術館へ生まれ変わるプロセスを映像に捉えた、藤井光の「建築 2020」も見応えがありました。どのように工事が進み、建物が再生されたのかを臨場感をもって知ることができるのではないでしょうか。
美術館の内部でともかく印象に残ったのは、鉄骨を剥き出しにした吹き抜けの広いスペースと、暗がりの中で黒光りする壁でした。
左:尹秀珍「ウェポン」 2003〜2007年
右下奥:ナウィン・ラワンチャイクン「いのっちへの手紙」 2020年
この黒い壁はかつてシードルの貯蔵タンクがあった場所で、安全性を確認した上でコールタールの塗られた壁面をそのまま残していました。まさにこの場所だからこそ叶った展示空間と言えるかもしれません。
2階を区切る白い壁も当時のまま使われていて、向かって右側は工場の瓶詰室、そして左側にある現在のオフィスはかつて研究室と事務室として利用されました。
さらに同じく2階には市民ギャラリーとライブラリーがあり、無料施設として自由に立ち入ることも可能でした。
一通り展示を見終えて早めにランチをとろうと、隣のカフェ棟へ向かいましたが、パーティーの貸切予約により立ち入ることが叶いませんでした。私がチェックをし損ねていましたが、一応、事前にWEBサイトで告知があったようです。
弘前れんが倉庫美術館にグッドデザイン賞 https://t.co/BUHiWeNfav
— 弘前れんが倉庫美術館(公式) Hirosaki MOCA (@hirosaki_moca) October 4, 2020
よってカフェの利用を諦めて、弘前の街へと繰り出すことにしました。
Vol.4:弘前市街(土手町・弘前城周辺・禅林街ほか)へと続きます。
「Thank You Memoryー醸造から創造へー」 弘前れんが倉庫美術館(@hirosaki_moca)
会期:2020年6月1日(月)~9月22日(火・祝) *会期終了
休館:火曜日(祝日の場合は、翌日休館)。年末年始。
時間:9:00~17:00 *入館は閉館の30分前まで
料金:大人1300(1200)円、学生1000(900)円。高校生以下無料。
*( )内は20名以上の団体料金。
住所:青森県弘前市吉野町2-1
交通:JR弘前駅より徒歩20分。弘南バス(土手町循環100円バス)「中土手町」下車徒歩4分。
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