「美しき挑発 レンピッカ展」 Bunkamura ザ・ミュージアム

Bunkamura ザ・ミュージアム渋谷区道玄坂2-24-1
「美しき挑発 レンピッカ展 - 本能に生きた伝説の画家」
3/6-5/9



主に1920~30年代のパリにて、その独特の画風と美貌で一世を風靡したタマラ・レンピッカ(1898~1980)の画業を回顧します。Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「美しき挑発 レンピッカ展 - 本能に生きた伝説の画家」のプレスプレビューに参加してきました。

昨年、チラシに半ば一目惚れをして以来、とても期待していた展覧会でしたが、その思いは裏切られることなくレンピッカの『挑発』を楽しむことが出来ました。これまでにもかつての伊勢丹美術館など、彼女の業績が紹介されたことは何度かあったそうですが、日本初公開作30点を含んだ全90点の響宴は、作家の没後30年の節目に相応しい内容であること相違ありません。

(会場風景)

画家の人生と作風の変遷に注視すると俄然面白みが増してきます。レンピッカの経歴については公式WEBサイトもご参照下さい。

タマラ・ド・レンピッカ プロフィール

二度の亡命、また鬱病、さらには晩年になって忘れられつつも、人気のあった頃のレプリカを大量に制作して再評価に繋げるなど、その生き様は全くをもって一筋縄ではいきません。ちなみに生誕の場所、そして年齢についても諸説あるそうです。さすがに「セルフ・プロデュースの女王」(チラシより引用)と呼ばれるだけのことはありました。

(会場風景)

展覧会の構成は以下の通りです。基本的に時系列に画業を振り返る内容でした。

プロローグ「ルーツと修業」:ロシア革命を逃れてフランスへ亡命。早い段階での画風の確立。
第1部「狂乱の時代」:独自の画風による肖像画シリーズ。女性解放のシンボル。またブルジョワとの交流など。
第2部「危機の時代」:世界恐慌による注文激減、また鬱病に苦しめられ、重々しいテーマをとりはじめた。
第3部「新大陸」:二次大戦を逃れて渡米。優雅で田園的なスタイルへと変化。一時、時代に忘れられる。
エピローグ:回顧展で再評価機運。絵筆を最後まで離さずに迎えた死。

(会場風景)

ともかく作品の魅力を知るには実際の会場にあたっていただく他ありませんが、ここでは私の思うポイントを簡単に4点ほど挙げてみました。ご鑑賞の参考になれば幸いです。

1.「私の作品はどれも自画像なのです。」~自我の強烈な発露~


「ピンクの服を着たキゼット」1926年頃/油彩・キャンバス/ナント美術館蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA


「緑の服の女」1930年/油彩・合板/ポンピドゥーセンター蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

愛娘、キゼットを描いた作品には、レンピッカの深い愛情が注がれているとともに、自らの若い頃の姿を投影した一種の「自画像」としての役割をもっています。キゼットをモデルとした最高傑作の「緑の服の女」にはその堂々たる姿に、レンピッカ自身の強い自意識を感じることが出来ないでしょうか。


「初めて聖体を拝領する少女」1928年/油彩・キャンバス/アンドレ・ディリジャン芸術・工業美術館蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

また同じくキゼットを描いた「初めて聖体を拝領する少女」にも、その祈る女性の向こうには、救世主ならぬレンピッカ自身がいるように思えてなりません。もはや自らを拝ませています。


「マルジョリー・フェリーの肖像」1932年/油彩・キャンヴァス/個人蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

そしてその自我はキゼット以外の、数多くのモデルたちにも同じように投影していきました。レンピッカはモデルを通して自分を描き、そして語っていたのかもしれません。

2.「画風の変遷」~いわゆるアール・デコ様式からの変化~

一般的に「アール・デコ」とされる独自の画風をかなり早い段階で獲得しました。レンピッカはそれを一種の記号のようにして用いて名声を得ますが、一方でその置かれた境遇によって画風が変化していく様子も見逃せません。


「修道院長」1935年/油彩・裏打ちされたキャンヴァス/ナント美術館蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

この「修道院長」においても、その明快で力強かったそれまでの肖像のスタイルはやや影を潜め、もっと自らの心のうちを省みるような悲しみが表されています。

また今回は画像を挙げられませんが、60年前後のアメリカで描かれたいくつかの作品にも要注目です。まるでテラコッタを思わせるような画肌をもった、抽象性の高い絵画が制作されていました。

3.「人生のパートナーと」~夫と女性の愛人~

上述の通り、レンピッカの娘のキゼットを多くの作品のモデルに据えましたが、他にも夫や同性の愛人など、恋愛の対象となる人物を絵画上に表しました。


「タデウシュ・ド・レンピッキの肖像」1928年/油彩・キャンヴァス/1930年代美術館蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

キゼットの父であるタデウシュを描いた絵画から伝わる暗鬱な様相は、その時の結婚生活の状況がストレートに反映されています。ここでレンピッカは夫の手の指輪をあえて描かず、左手をいわゆる未完の状態にして筆を止めました。もちろん後に離婚してしまうのは言うまでもありません。


「イーラ・Pの肖像」1930年/油彩・板/個人蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

一方で最愛の恋人には純白のドレスを与え、大きな赤い花束を抱えて立つダイナミックな構図で描いていきます。


「シュジー・ソリドールの肖像」1933年/油彩・板/グリマルディ城美術館蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

この官能的な女性もレンピッカの愛人です。人気のモデルであったというシュジーは、当時の同性愛の認知にも貢献したそうですが、腕をたくし上げて乳房を露にするポーズに、レンピッカの彼女の性に対する強い親密感が示されているように思えてなりませんでした。

4.「古典の摂取」~イタリア絵画及びオランダフランドル絵画の影響~

彼女の作品をキュビズム云々で語るのは容易かもしれませんが、彼女は裕福だった少女時代、イタリア旅行などにてマニエリスム絵画などに強く感銘を受けたことがありました。特に晩年、自身の評価が下降していた時期、新機軸を打ち出そうと、ルネサンス期の巨匠を模した肖像などを描いたのもそうした蓄積があったからかもしれません。


「パンジーを持つ女性」1945年頃/油彩・キャンヴァス/個人蔵
2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
ADAGP & SPDA

またオランダ絵画を思わせる室内画、静物画など、おおよそ同じ画家の作品のものとは思えない作品も登場します。時代の要請に応えようと、画風を変えて努力した軌跡を知ることが出来ました。


2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
Camuzzi

なお会場にはレンピッカのポートレートが紹介されていますが、それらは当時、彼女が自らの名を売るため、いわゆる名刺かわりに使ったものだそうです。その美貌が武器になることを彼女は良く知っていたのでしょう。最も成功をおさめていた時期には、社交界で引き起こしたスキャンダルをも自らのセールスポイントとして捉えていたに相違ありません。


2010 Tamara Art Heritage Licensed by MMI
Laurent Sully-Jaulmes

デザイン的な要素こそありながらも、決して奇抜一辺倒というわけではなく、時に古典にも倣った保守的な画風は、作家自身の痛快なまでの強烈な自意識を巻き込んで、誰もが入り込みやすい物語を作り出していました。

その反面、終始どことないアンニュイな気配が感じられるのも魅力の一つです。メタリックで鎧のように描かれた衣装や身体は、ひょっとすると現実に対してあまりにも弱かったレンピッカの魂を隠すためのものであったのかもしれません。

(ミュージアムショップ)

久々に絵を見て興奮したような気がします。多数用意されたポストカードを前にするだけでも目がくらくらしてしまいました。



5月9日までの開催です。(会期中無休。)なお東京展終了後、兵庫県立美術館へと巡回(予定:5/18~7/25)します。もちろんおすすめします。

注)写真の撮影と掲載は主催者の許可を得ています。
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