都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
東京都交響楽団 「R.シュトラウス:アルプス交響曲」他
東京都交響楽団 第634回定期演奏会Aシリーズ
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 作品58
R.シュトラウス アルプス交響曲 作品64
指揮 エリアフ・インバル
ピアノ エリソ・ヴィルサラーゼ
演奏 東京都交響楽団
2006/11/24 19:00 東京文化会館5階
99年の都響スペシャルでのワルキューレが忘れられないエリアフ・インバルが、何と7年ぶりに都響の指揮台に登場しました。プログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲と、R.シュトラウスのアルプス交響曲です。特に後者においてインバルの至芸を楽しむことが出来ました。再共演はまずまずのスタートです。

初めのベートーヴェンのピアノ協奏曲では、ソリストのエリソ・ヴィルサラーゼが今ひとつ冴えません。第一楽章のカデンツァこそさすがに力強く、ホールいっぱいにその逞しい音を響かせていましたが、中音域のニュアンスの変化にやや乏しく、全体として一本調子に聴こえてしまいます。また、思いの外に柔らかい響きを醸し出しながらも、やはり颯爽と音楽を進めていくインバルに対して、何かと足を引き摺るような、重々しいピアノであったのも違和感を感じました。ただだからと言って、それぞれの表現がぶつかり合うような、手に汗握るスリリングな展開になるわけでもない。行進曲風の主題が心地良い三楽章において、ようやくインバルの棒に食いつくかのようにテンポをあげていきましたが、総じて消化不良気味です。もちろん、訥々と話しかけるようなピアニズムに素朴な味わいがあったのも事実ですが、それ以前に曲との相性に問題があったのかもしれません。もう一歩、踏み込んだ表現が欲しかったと思いました。
アルプス交響曲では、インバルの漲る力感が音楽へと乗り移ります。細部にオーケストラとの齟齬があったようにも感じられましたが、木管から弦を中心に美しい音を奏でる都響を盛り上げ、聞かせどころでは圧倒的なクライマックスを作り上げていました。特に、ホール全体を揺らすかのようなフォルテッシモは強烈です。音の響きが渦を巻き、あちこちに反射してぶつかりながら、激しく飛沫をあげているような感触が耳を突き刺します。もちろんそれでいながら、例えば「日没」から「夜」へ至る箇所のように、沈み行く音の囁きにもゾクゾクするような美感を与えている。ホルンやティンパニを丁寧に鳴らしながらも、全体として生み出されるダイナミズムは非常に快活です。総じて、この曲の持つ交響詩的な部分よりも、純粋に響きの力を表したような、言い換えればアルプス交響曲を抽象化して提示したような演奏かと思いました。この手のアプローチでは、その情景描写の美しさに思いを馳せるというよりも、素直に響きの面白さを味わうことが出来ます。説得力がありました。
次回、都響とは、来年の12月に十八番でもあるマーラーの「悲劇的」と「夜の歌」が予定されています。今後も是非定期的に客演していただきたいです。
ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番 作品58
R.シュトラウス アルプス交響曲 作品64
指揮 エリアフ・インバル
ピアノ エリソ・ヴィルサラーゼ
演奏 東京都交響楽団
2006/11/24 19:00 東京文化会館5階
99年の都響スペシャルでのワルキューレが忘れられないエリアフ・インバルが、何と7年ぶりに都響の指揮台に登場しました。プログラムは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲と、R.シュトラウスのアルプス交響曲です。特に後者においてインバルの至芸を楽しむことが出来ました。再共演はまずまずのスタートです。

初めのベートーヴェンのピアノ協奏曲では、ソリストのエリソ・ヴィルサラーゼが今ひとつ冴えません。第一楽章のカデンツァこそさすがに力強く、ホールいっぱいにその逞しい音を響かせていましたが、中音域のニュアンスの変化にやや乏しく、全体として一本調子に聴こえてしまいます。また、思いの外に柔らかい響きを醸し出しながらも、やはり颯爽と音楽を進めていくインバルに対して、何かと足を引き摺るような、重々しいピアノであったのも違和感を感じました。ただだからと言って、それぞれの表現がぶつかり合うような、手に汗握るスリリングな展開になるわけでもない。行進曲風の主題が心地良い三楽章において、ようやくインバルの棒に食いつくかのようにテンポをあげていきましたが、総じて消化不良気味です。もちろん、訥々と話しかけるようなピアニズムに素朴な味わいがあったのも事実ですが、それ以前に曲との相性に問題があったのかもしれません。もう一歩、踏み込んだ表現が欲しかったと思いました。
アルプス交響曲では、インバルの漲る力感が音楽へと乗り移ります。細部にオーケストラとの齟齬があったようにも感じられましたが、木管から弦を中心に美しい音を奏でる都響を盛り上げ、聞かせどころでは圧倒的なクライマックスを作り上げていました。特に、ホール全体を揺らすかのようなフォルテッシモは強烈です。音の響きが渦を巻き、あちこちに反射してぶつかりながら、激しく飛沫をあげているような感触が耳を突き刺します。もちろんそれでいながら、例えば「日没」から「夜」へ至る箇所のように、沈み行く音の囁きにもゾクゾクするような美感を与えている。ホルンやティンパニを丁寧に鳴らしながらも、全体として生み出されるダイナミズムは非常に快活です。総じて、この曲の持つ交響詩的な部分よりも、純粋に響きの力を表したような、言い換えればアルプス交響曲を抽象化して提示したような演奏かと思いました。この手のアプローチでは、その情景描写の美しさに思いを馳せるというよりも、素直に響きの面白さを味わうことが出来ます。説得力がありました。
次回、都響とは、来年の12月に十八番でもあるマーラーの「悲劇的」と「夜の歌」が予定されています。今後も是非定期的に客演していただきたいです。
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