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菊池芳文 「小雨ふる吉野」 東京国立近代美術館から

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
常設展示 「明治・大正期の芸術」(4階)
「菊池芳文 -小雨ふる吉野- 」(1914年)

これほどまでに圧倒的でかつ美しく描かれた桜があるでしょうか。吉野の山に延々と連なる満開の桜が繊細に、そして大胆に描かれています。竹橋の近代美術館で展示されている菊池芳文(1862~1918)の「小雨ふる吉野」です。

この作品で最も惹かれるのは、穏やかで気品すら感じられる桜の花びらの色です。ピンクでも白でもありません。これをまさに桜色と言うのでしょうか。それらは、淡い感触で一つずつ丁寧に描かれています。画面左半分に大きく描かれた満開の桜は、馨しい香りが辺り一面に漂っていそうな質感です。実物を超えるほどの美しさがここに表現されています。

吉野の山並みの奥深さを感じさせるのは画面右半分です。こちらは靄がかかっているような表現で、左半分の圧倒的な桜とはかなり異なった印象を与えられます。小雨の湿り気が示されているのか、どことなく幻想的な雰囲気も感じられました。

1862年に大阪で生まれた菊池芳文は、花鳥画を多く表し、「桜の名手」とも呼ばれていたこともあったそうです。作品のある展示室はやや薄暗く、月夜に映える夜桜を見物している気分にもなりました。日本画の醍醐味を味わえる作品です。

(アップした写真は作品の一部です。)
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李禹煥 「線より」 東京都現代美術館の特集展示から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第7室 特集展示「李禹煥」
「李禹煥 -線より-」(1973年)

今、東京都現代美術館の常設展示室では、李禹煥(1936~)が特集されています。美術館所蔵の「線より」や「点より」と、詩画集の「東の扉」などが展示されていました。全部で10点ほどはあったでしょうか。

1973年作の「線より」は、青い絵具の幽玄なタッチが印象深い、とても穏やかな表情を見せる作品です。線は上から下へと描かれているはずなのに、何故か、下からゆらゆらと立ち上っているようにも見えます。青い絵具がサーッと透き通っていく過程には、一体どのような意味があるのでしょう。感覚的に美しい上、線の意味を考えさせる作品です。特集展示の中では一番惹かれました。

李は、初めて「もの派」へ理論的支柱を与えた人物としても紹介されますが、その後は激しい批判も呼び、様々な美学的論争を巻き起こしたこともあるそうです。彼の作品は80年代以降、「点より」に代表されるような動きのある作風へと移り変わっていきましたが、「もの派」云々の前提知識がなくとも、作品からは「美」や「意味」を朧げに感じることが出来ます。私は数年前に、葉山の神奈川県立近代美術館で初めて彼の作品に触れ、圧倒的な感銘を受けました。李の作品から生まれる独特の心地よい空気感は、美術館で味わう大きな喜びの一つです。8月まで特集されているそうです。
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サム・フランシスの「無題」 東京都現代美術館から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第9室
「サム・フランシス -無題- 」(1985年)

東京都現代美術館の中で、最も開放的な場所とは、サム・フランシス(1923~1994)の「無題」のある第9展示室ではないでしょうか。展示室の四面の壁全てに飾られた大きな作品は、カンヴァス上の鮮やかで動的な色彩の魅力と相まって、原初的な生命の息吹を感じさせます。エネルギーがほとばしりながら渦巻いている。あまりにも圧倒的です。

色彩はこの上なく鮮やかです。真っ白なカンヴァス上で大胆に飛び跳ねている色彩は、まるで生命を宿しているかのように動いています。これほど動きを感じさせる作品も珍しいでしょう。大胆な構成と躍動感。動きとともに空間の無限な広がりをも感じさせます。天井から自然光が差し込んでいますが、「光」とも共鳴し合うような作品です。

サム・フランシスは、アメリカの抽象表現主義作家として有名ですが、日本に滞在した経験もあり、水墨画との関連性を指摘する意見もあるそうです。現代美術館では2003年に大規模な個展も開催されました。私は残念ながらその時見損ねてしまったのですが、この「無題」の一点だけでも、十分にその魅力を味わうことが出来ます。この美術館では絶対に外すことの出来ない空間でしょう。私の一推しの作品です。
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小倉遊亀の「浴女その一」 東京国立近代美術館から

東京国立近代美術館(千代田区北の丸公園)
常設展示
「小倉遊亀 -浴女その一- 」

年代を感じさせる白いタイル張りの浴室に、薄い桃色がかった肌を露とする女性が二名。湯には透明感溢れるエメラルドグリーンが配されていて、タイル目地が丸みを帯びながら揺らいだ線で描かれています。小倉遊亀(1895~2000)の作品は、東京国立近代美術館に五点ほど並べられているようですが、私はいつも、この「浴女その一」(1938)の美しく上品な味わいに惹かれます。

この作品の一番素晴らしい点は、何と言っても浴槽にはられた湯の透明感ではないでしょうか。瑞々しいばかりの淡く優しい緑色を帯びた湯が、浴槽の床のタイル目地をゆらゆらと揺らげて、実に深い質感をもたらしている。また、そのたっぷりとはられた湯は、その色合いから想像もしにくいような温かさを感じさせます。さらに、今にも入浴しようとする女性は、その横顔が穏やかで、何とも言えない幸福感を発露しているかのようです。また背中を見せているもう一人の女性の、足を組みながら湯と戯れている姿も美しいものです。全体の色彩の透明感と、クッキリと描かれた輪郭線のバランス感覚。他ではなかなかお目にかかれないような味わい深い作品です。

調べてみると、この美術館では三年前に、小倉の大規模な回顧展が開催されたそうです。残念ながら私は、その時まだ彼女の魅力に気がついていなかったので見損ねてしまいました。またの機会にでも是非、まとまって小倉の作品を拝見してみたいものです。

*「浴女その二」についての記事はこちらへ。
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宮島達男のデジタル・カウンター 東京都現代美術館から

東京都現代美術館(江東区三好)
常設展示 第13室
「宮島達男 -Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever-」

宮島達男(1957~)のいわゆるデジタル・カウンターは、都内のあちこちでも見ることができます。例えば原美術館の「Time Link」(1989)は、曲線が印象的な美術館の一室で、黙々と時をカウントし続ける何やら刹那的な作品であり、また、東京オペラシティーの大階段にある「Time Passage」(1996)は、夜になるとまるで数字が口を開いて語りだすように点滅し始める、音楽的なリズムすら感じさせる作品です。しかし、私が見た宮島の作品の中で最も素晴らしいと思うのが、この東京都現代美術館の常設展示室にある「Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever」(それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く 1998年)です。

常設展示の最後でどっしりと待ち構えるこの作品。部屋の照明はもちろん落とされていて、暗闇の中から浮き上がるカウンターの眩いばかりの点滅をじっくり堪能することが出来ます。また、部屋には作品からちょうど良い場所に椅子が置かれていて、腰掛けながら「永遠」を感じることもできる。私も大概この椅子に腰掛けながら、都市のイルミネーションの点灯を眺める感覚で、巨大なカウンターが作り上げる「無限空間」を見ていますが、しばらくすると何やらカウンター一つ一つが細胞で、作品全体が不思議な生き物のような、そんな妙な気持ちにさせられることもあります。見ていくと次第に落ち着いていくカウンター。この美術館でなくてはならない、私とっては一番居心地の良い場所です。

最近の宮島の作品では、青色のダイオードを使用した作品もあるそうです。無限の青の点滅は、一体どんな印象を与えるのでしょうか。是非見てみたいものです。

*私が見た宮島の作品
Time Link(1989) 原美術館
Time Passage(1996) 東京オペラシティ
Number of Time in Coin-Locker(1996) 埼玉県立近代美術館
Keep Changing, Connect with Everything, Continue Forever(1998) 東京都現代美術館
Counter Void(2003) 六本木ヒルズ

海外はもちろん、豊田や直島にも作品があるようです。みなさんのおすすめの「宮島」がありましたら教えて下さい。

おけはざまさんのブログに、ファーレ立川にある「LUNA」の写真が載っています。)
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カルロ・ドルチの「悲しみの聖母」 国立西洋美術館にて

国立西洋美術館(台東区上野公園)
常設展 本館2階
「カルロ・ドルチ -悲しみの聖母- 」

ラ・トゥール展を観た後には、少々足早ではありましたが常設展も鑑賞しました。その際に非常に惹かれたのが、このカルロ・ドルチの「悲しみの聖母」(1650年頃)です。

これは、17世紀にフィレンツェで活躍したドルチが、自身の妻を聖母とみなして描いた作品だそうですが、まず素晴らしいと思うのは、彼女の身をまとうローブの美しい色です。一口に「青」とも表現できますが、藍色と紺が入り交じったような深みのある色で、どっしりと体にのしかかるような重厚感を感じさせます。また、その「青」は、背景の「金」と美しく重なり合っていて、その絶妙なハーモニーもまた、この気品を高めます。さらに、青いローブからのぞく柔らかそうな両手は、彼女の祈りのひた向きさを表現していて、強く心を打たれます。それに、両手へ向けて視線を落とす哀しげな顔の表情と、その優しそうな瞳の見開きも、彼女を神性の高い聖母として、俗的な一切を排除したかような存在へと高めているようです。気品ある金を従えた深淵の青と、柔らかい手に載る美しい肌色。素晴らしい作品です。

いつまでも西洋美術館のあの場所にあってほしいと思わせるような、常に接していたい美しい祈りの作品でした。

*この作品については、Takさんのページ「BLUE HEAVEN」の「マリア」の箇所に詳しい解説が出ています。
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原美術館の中庭で 2/27

原美術館(品川区北品川)

いつも原美術館へ行くと感心させられるのは、この美術館がいかにセンスの良い作品を持っているか、ということです。今も収集を続けているのかは存じ上げませんが、いつ行っても、作品の新たな表情に魅せられます。また、美術館の中で、まるで作品が生活を営んでいるかのように生き生きとしている様も素晴らしく、建物と作品の全体的な相性を考えた時、東京でこの美術館以上の場所はないのではないかと思わせるほどです。森村泰昌の「輪舞」が放つ強い妖気や、宮島達男の「時の連鎖」が生み出す無限の空間は、まさに原美術館でなければ味わえない魅力だと思います。

ところで、昨年、この美術館で開催された「コレクション展」の際に、Iysanderさんがご親切にも中庭に李禹煥の作品があることを教えて下さいました。ありがとうございます。しかし私、全く間抜けな話ですが、それまでここの中庭をまともに鑑賞したことがなかったのです…。偉そうに語る資格などありません…。と言うことで、先日「アート・スコープ2004」へ行った際に、時間をかけてじっくりと中庭を歩いてきました。

中庭にある作品は以下の六点です。(間違いがありましたらご指摘下さい。)

三島喜美代「Newspaper-84-E」
ソル・ルウィット「不完全な立方体」
李禹煥「関係項(1991)」
ダニエル・ポムロール「自分に満足しない私」
生意気「two by two」
イサム・ノグチ「物見台」

この中で特に気になったのは、ダニエル・ポムロールの「自分に満足しない私」と、李禹煥の「関係項」です。

「自分に満足しない私」は、透明感のある素材と、重厚感のある壁面の絶妙な組み合わせが魅力的でした。また、それぞれの素材の間の隙間に、まるで生命が誕生してくるかのような、不思議な異空間が作られているのも面白いと思います。洒落たタイトルが作品の何を表すのかはよくわかりませんでしたが、カフェ・ダールから美しい角度で見えるようになっているのも、この作品を美しさを増幅させるようです。この美術館の庭にピッタリだと思いました。あまり目立たない作品ではありましたが、近づいた時の存在感が抜群です。

「関係項」は、私が初めて見た李の彫刻(?)です。鉄板と石が、当然ながらそれぞれに関係を持たせるように美しく配置されています。鉄板のサビは自然なものでしょうか。石も、庭の芝生に少しめり込んでいて、それが作品に新たな質感をもたらします。この作品は、リズム感のある他の李の絵画などとは違って、とても「静的」です。動きよりも、そこにただ「ある」ことだけを意識させる作品です。また、雨風に徐々に浸食されていく様が、庭に置かれている作品の中で一番感じられました。大地の生命の営みや、光や空気の変化(夏のじっとりとした空気と、冬の無味乾燥な空気。)の影響を敏感に受けています。作品と自然のつながりを意識させた上に、自分がそこへ介在することを許される…。ちょっとナイーブな言い方ですが、「生きてて良かったなあ…。」、なんて思ってしまう作品です。(写真はこちらへ。)

この中庭、まだ作品が増えるのでしょうか。スペース的には問題がなさそうですが、現状でもそれぞれの作品が美しく映えているので、あまりごちゃごちゃとさせて欲しくないものです。これからは毎回庭を散策しようと思います。
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