Hanews-はにゅうす

ウィーン歌曲歌手、「はにうたかこ」の毎日のちょっとしたことを書いています

たくさんいただいたのに

2010年11月13日 21時17分45秒 | Weblog
まだ体調万全とはいきませんが、それでも合唱はいかねばって感じで行ってきました。

さて、昨日(今日ですが)夜中1時に電話が鳴りました。こういう時間の電話は、たいていあまりいい知らせではないので、やはりドキッとしました。

予感的中です。演劇学校で当時館長をしておられた山根先生がお亡くなりになったという知らせでした。83歳だったそうです。

電話をくださった方が、「はに~さんたちにとって山根さんってどんな存在?」と聞かれた時は、すごく遠い存在という気がしました。普段はお目にかからないし、お目にかかっても、いつもにこにこっとしてくださるだけで、お話することもないし、卒業式に生徒代表でお花を渡すのが、私の役目でしたが、それも緊張の一瞬でほとんど何も覚えていません。

でも、昨日の夜、ゆっくり思いだすと、私の人生で3回もかかわってくださっている上に、おそらく山根先生の一言もあって、いただいた助成金、賞金などが、一千万くらいになることが判明。そんな金額で!と思われるかもしれませんが、そこで、はじめて実感がわいて、びっくりというよりハッとしました。

最初は堺市のイベント公募事業でした。その審査員にいらっしゃったそうです。もちろん覚えていません。でも賛成してくださったから1位になったわけで、その賞金100万円をいただいたわけです。(おそらく全部で500万くらい動いていたと思います。)その賞金でオペレッタ「こうもりな夜」というのを上演させてもらいました。私の帰国して最初のイベントでしたし、初めての企画・演出でした。

その次は演劇学校。当時35歳だったので、すでに入学できる年齢からははみ出ていたのですが、私よりさらに年上の方と一緒に合格しました。1年間、年下の仲間と一緒に、勉強できる場を与えてもらったんだと思うと、今でもありがたい気持ちでいっぱいです。

そして、その後、NPO法人を立ち上げ、「ヘンゼルとグレーテル」を上演しましたが、その時も文化庁だか、どこからだか、たいへんな額の助成金をいただいています。あとから当時の審査員にいらっしゃったと聞いているので、きっと「はに~に何かさせよう」と思ってくださったのではないか?と思っています。

ごあいさつ以外、話したこともない先生でしたが、それでも私の人生の大きな節目を支えてもらっていただんなということに昨晩、改めて気付き、そしてハッとしたのです。

こんなにたくさんいただいたけど、私はそれを自分に留めることなく、次の誰かに渡せているだろうか?無駄に使わなかっただろうか?って。

かすかに思いだせる、いつもの笑顔に、その責務を感じ押しつぶされそうになった夜でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする