浜のみかん屋

愛媛の美味しい柑橘類を 『浜のみかん屋』 があなたの元へお届けします。

ボツになったプレゼン資料Ⅰ

2019年03月27日 | もさくの宿
【西予市手上げ型交付金申請書(案)・・・未提出資料】

平成31年度(新元号:未定)の西予市単独の補助事業である、手上げ型交付金申請書を提出して、

各大学との連携を図りながら、「国の重要文化的景観選定」の保全計画の一環として、

「空き屋」の改修活動をする計画でいました。
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もさくの宿 2(大家のいないホームステー)

2019年03月24日 | もさくの宿
【もさくの宿・・・大家のいないホームステー】

今月中旬には、門之脇区長の依頼で愛媛大学の学生さんと留学生が狩江地区の研究にこられました。

 その留学生、3月末で留学生活も最後になるようで・・・最終論文の調査に来町したようです。

 まだ、片言の日本語しかしゃべることができないようで、引率の愛大生に通訳をしてもらいました。

本来ならば、別の学生さんが来町される予定でしたが、3年生になった学生さんは就活で日程調整ができず・・・

一年生の塩川さんが引率の代役を任されたようです。

この塩川さん・・・昨年の夏に、この「もさくの宿」に来ていたメンバーの一人で、

今年の夏も、またSUIJI活動で明浜に来るとのこと、「その時は何卒、よろしくお願い致します」とのメッセージが届いていました。

 ところで、この田舎の狩江地区においても、30万人の留学生の受け入れを目標に掲げた日本の一端をみるようで、

「国の重要文化的景観」に選定された当地区においても、農業研修制度を利用して、

フィリピンやベトナムからも農作業に従事する外国人が多数来ています。

 段々畑の景観を維持する観点から見ると・・・それもありかなぁ~と思いますが、

生活習慣の違いから・・・伝統文化の継承や治安の問題等の課題も見えて来ます。

 投稿写真は「もさくの宿」をバックに撮したもので、

 一緒に写っているハゲのおじさんが、狩江地区の代表区長さんの宇都宮さんです。

ハゲてはいますが・・・私よりはずいぶん若く、50代前半の区長さんで~す。
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もさくの宿 Ⅰ(大家のいないホームステー)

2019年03月21日 | もさくの宿
【もさくの宿・・・大家のいないホームステー】

 2018年7月1日のブログにて投稿した管理委託を受けた「空き屋」の名称を『もさくの宿』と決めました。

 今春から「大家のいないホームステー」先として、運用を開始する計画でいます。

昨年度は愛媛大学の学生(7名)さんが10日間の連続使用があり、また、災害ボテンティアの宿泊施設としての使用も受けました。

 それと地元出身者の帰省(法寺等)の宿としての宿泊依頼も受けるようになりました。

 これから先、国の重要文化的景観の選定を受けたことで、観光客も増えるでしょうし、

景観保全への取り組みも考えなければいけません。

 最近、お年寄りしか見ない界隈に、大型バイクにのった人達を見かけるようにもなりました。

これも、景観選定された影響でしょうかねぇ~

 今年、1月には徳島県の神山町の(株)リレイションの仲介で6名の外国人が2泊3日の日程で狩江地区の散策に来られました。

 投稿写真は「もさくの宿」の玄関先で撮った、その時の集合写真です。
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桜祭り・・・俵津地区

2019年03月17日 | 旬の情報
【桜祭り・・・俵津地区】

 「重要文化的景観」に選定された狩浜(本浦・枝浦地区)への道中(宇和町から山越えで明浜町に入る途中)に野福峠があり、

その中腹に・・・明浜町での桜の名所があります。

私達が生まれる前、若かりし親父達が青年団の地域活動として植栽をした桜並木です。

 道の拡幅工事や老木化に伴い、かなり減少しましたが、桜並木のトンネルを走行する景観は素晴らしいものがあります。

 特に桜の花びらが舞い散る中での走行は・・・・・圧巻です。
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重要文化的景観Ⅹ

2019年03月14日 | 旬の情報
・・・・春日神社秋季大祭の終演を飾る宮入のシーン(何十段もの階段を駆け上ってくる場面)

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」は、宇和海に南面する入江で漁業と農業を営み続けてきた狩浜に形成された景観地で、

石灰石の石垣で何段にも築かれた段畑を際立たせながら、海、居住地、段畑、山林が壮大に連なる眺めを特徴とする。

これは、黒潮の影響を受ける四国西南部のリアス海岸における土地利用を示し、

かつ、地形や地質に応じた斜面地農業の展開を伝える事例であり、

我が国における生活及び生業の理解に欠くことのできないものとして貴重である。

『文化的景観』

文化審議会は、先に文部科学大臣より諮問のあった、宇和海狩浜の段畑と農漁村景観の重要文化的景観選定について審議した結果、

平成30年11月16日にその答申を行った。

 ※このブログで、これまでに記載した「重要文化的景観Ⅰ~Ⅹ」が、今回選定となる重要文化的景観です。

  なお、投稿写真は個人的な写真データです・・・おわり。
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重要文化的景観Ⅸ

2019年03月12日 | 旬の情報
・・・・・春日神社秋季大祭のサラシ一つで牛鬼を担くメンバーと神輿との競り合いの一コマ

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

春日神社の秋の大祭では、家屋を提灯等で飾り、入江に面して御旅所を設け、

五ツ鹿や宝多、牛鬼、神輿、御舟等の多様な練りが居住地や海上を巡航する。

また、面や用具等には和紙やシュロ縄等の山の恵みが使われ、集落と里海、里山の文化的な繋がりを作ると共に、

人々の郷土愛を育む上で重要な役割を果たしている・・・つづく。

 ※この春日神社秋季大祭の模様はユーチューブで見ることが出来ます。

 ダイドードリンコ・・・春日神社秋季大祭で検索を・・・
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重要文化的景観Ⅷ

2019年03月11日 | 旬の情報
・・・・・お伊勢山方面からみた・・・昨年の本浦地区の段々畑の雪景色

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

里山には、かつてアカマツが広がり、頂部には草山が設けられ、川沿いは棚田とされた。

松材は漁火の松明や煮炊きの燃料等として、萱や竹は魚や切芋を干す簀台や笊、桑籠の材料等として使われてきた。

戦後の電気やガスの普及に伴い山の利用が減り、松枯れが進み、現在はウバメガシを始めとする広葉樹類が群生し、旧の棚田には木竹が茂る。

また、櫨畑や櫨山とされた高所の畑地やその周辺斜面は、木蝋の需要低下に伴い柑橘畑や雑木林へと変わった。

しかし、里山は、現在も水源涵養の機能を果たし、段畑を守る役割を担っている・・・つづく。

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重要文化的景観Ⅶ

2019年03月10日 | 旬の情報
・・・・・ 石灰石で築かれた段々畑と果樹園の風景

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

標高200㍍前後まで築かれる段畑は、狩浜全体でおおむね130㌶の規模を保ち、100段を超す斜面もみられる。

「段別畝順牒 伊予国宇和郡狩濱浦」等から、明治前期までは川沿いに石垣棚田が作られ、

畑地は簡易な石積みや甘藷の蔓で土羽の土を留める程度であったことがうかがえる。

桑畑を増やすために築かれた現在の段畑は、石垣で両脇に水路を配し、その間に奥行き3㍍前後で段を設けたものである。

石垣は1㍍前後の高さで直線的に積むものが多く、それより高いものは反りをもつ。

時を経る中で石の噛み合わせを良くしながら強度を高めている様子がうかがえ、隅は丸く積む。

石材は、石灰石が露頭する石取場から切り出したものや開拓時に掘り出したものを使い、名人を雇ったり、

家族で労働する等して冬の農閑期に築いたとされる。

水路脇や畑内に設けられた道や階段のうち、集落から各家の畑に向かう共通路はカッテミチ、

個人の畑地内のものはコミチと呼ばれ、急傾斜面での移動や運搬の苦労を伝える。

カッテミチの中には山を越えて他の集落へと続くものがあり、このような道はそれぞれに呼称をもつ。

このほか、畑内には、クサラカシ(鰯等を腐らせた肥料)を蓄えていたノツボ(野壺)が残る。

道際等に設けられている貯水槽は、昭和42年の大旱魃の記憶を留めるものである・・・つづく。


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重要文化的景観Ⅵ

2019年03月09日 | 旬の情報
・・・・・ネオンがともり始める果樹の里
            (10月頃には漁り火が湾全体にともり、大きな街並みに見間違いを)

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

集落は地形に即して道が敷かれ、屋敷地は不整形な方形となる。

屋敷地北寄りに主屋を南向きに建て、前庭を作業場とし、その周囲に必要な付属屋を建てる習慣がみられるため、

川の南岸には格子や手摺等で飾った主屋の背面が並ぶ。

藩政期の農漁村には雨戸、板の間、瓦等が禁じられており、桟瓦葺を基本とする現在の主屋は、

織物や養蚕が盛んとなる明治期以降の新改築と推定される。

平屋は特にオリヤヨウザンと呼ばれ、気抜き屋根を残したものもある。

付属屋は、隠居屋や蔵、納屋等の暮らしを伝えるものと、櫨蔵、機屋、養蚕小屋、家畜小屋、密柑倉庫等の農業の返還を伝えるものに大別される。

簡易水道が敷かれる昭和27年以前は、主に井戸水を飲料水、川や海の水を生活用水としていたため、現在も井戸や洗い場に降りる石段が各所に残る。

応永年間(1394~1428)の開基と伝わる徳壽山廣福寺や永禄年間(1558~70)の再興と伝わる春日神社、

お伊勢山等には、五輪塔や宝篋印塔、鳥居、灯籠等の石造物がよく残る。

また、春日神社の社殿は地方的特色をよく示し、その社叢には古い植生を示すスダジイ、クスノキ等照葉樹の大径木がみられる・・・つづく。
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重要文化的景観Ⅴ

2019年03月08日 | 旬の情報
・・・・・ 朝焼けに染まる狩江湾

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

里海は藩政期には狩浜浦の網元や庄屋の綱代又は御公儀綱代等とされ、

近代以降の組合の発展を経て、現在は明浜漁協協同組合の共同漁場となる。

かつら島は藩政期より魚付林として保護され、お伊勢山は魚群探知機を導入する

昭和20年代まで魚見の場とされた。

海岸部は、漁綱の手入れや、煮干等の干場等として使われてきた。

時期は不詳であるが、浜には石垣護岸、戦後はコンクリート護岸が施され、

現在も真珠養殖や魚類加工の作業場等に使用されている・・・つづく。

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重要文化的景観Ⅳ

2019年03月07日 | 旬の情報
・・・・・ 枝浦地区、カフケからの眺望

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

狩浜の人口は、近世の鰯魚と近代の養蚕業の隆盛を背景に、承応元年(1652)の310人から明治8年(1875)の1435人を経て、

明治末期頃には1800人規模に至ったと推定される。

その後は終戦時の一時的な増加を除いて減少し、平成30年8月現在は680人であるが、農道や潅漑設備を整備し、

また、地域の住民や団体が柑橘の類の有機栽培をまちづくりに繋げ、雄大な段々畑が海や移住地、山林と連なる壮大な景観を維持している。

「宇和海狩浜の段畑と農漁村景観」として重要文化的景観に選定するのは、

この景観を包含する狩浜の全域及びその沿岸の海域からなる約804.2ヘクタールの範囲である。

狩浜は、概して西から東に延びて海に落ちる三筋の尾根から構成される。

半島状の北側尾根東端にはかつら島が繋がり、

南側尾根はお伊勢山と呼ばれる小丘陵を海に突き出す。

入江奥の集落は、東端山腹に春日神社を擁する中央の尾根で本浦と枝浦に二分される。

南部の本浦は南川の扇状地、北部の枝浦は河原川と大川による複合扇状地に居住地を開き、

その両脇の山腹を段々畑、山頂付近を山林とする。

文化的景観の景観単位をなすのは海、段々畑、山林である・・・つづく。
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重要文化的景観Ⅲ

2019年03月05日 | 旬の情報
・・・・・ よく見る本浦地区:長藪からの眺望

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

狩浜の地名は、「狩濱浦」として文明11年(1479)に書写された「八幡愚童記」に初見されるが、中世における集落の状況は詳らかではない。

藩政期は吉田藩領の漁村で、藩の統制と保護の下、鰯を捕り、干鰯や塩鰯等として売ることを主たる生業としていた。

農業は、川沿いに棚田を開いて米や麦を作り、豆類や雑穀類を細々と耕作する程度であったが、18世紀前期に、

痩せた土地でも育つ甘藷が導入され、また、藩が櫨栽培を奨励すると、斜面中腹に畑地を増やし、山林との境に櫨が植えられるようになった。

明治中期頃は鰯が不漁で、梨や柑橘類の栽培、織物業や反物行商等を行う者も現れた。

この頃は養蚕も盛んになり、棚田を畑地とし、石垣の新設や築き直しにより段々畑が広げられ、桑が植えられた。

昭和初期頃から養蚕は下火となり、第二次世界大戦下の生産統制で桑は伐採されて、再び甘藷や麦が作られたが、

戦後は柑橘類の増加が図られ、昭和40年代以降はその専業化が進んだ。

漁業は昭和30年代の鰯の不漁を背景に、魚類や真珠の養殖、しらす魚等へと移り変わっていった。

こうして、柑橘樹が段々畑を占め、入江には養殖筏が浮かぶ現代の景観が現れた・・・つづく。
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重要文化的景観Ⅱ

2019年03月04日 | 旬の情報
・・・・・ 狩江地区の背後にそびえる権現山(山岳公園)からの眺望

【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

 『宇和海狩浜の段畑と農漁村景観』  愛媛県西予市明浜町狩浜の全域

(二級河川大川、普通河川南川及び普通河川河原川を含む)並びに共同漁業権の区域

 西予市は、愛媛県西南部に位置する。

市域西端部は宇和海に面してリアス海岸をなし、明浜町は、宇和海に湾口を開く法花津湾の北岸に位置する。

 明浜町の北部には標高400から500メートル級の山々が東西に連なり、海に向かって枝尾根を延ばす。

谷筋には延長2から5キロメートルの小河川が流れて扇状地をつくる。

宇和海では、黒潮から高温な水魂が流入する急潮と低温で栄養豊富な水魂が海底に沿って流入する底入り潮が夏場に発生する。

そのため、河川水が少なくとも、清冽で栄養塩の豊富な海が保たれてきた。

気候は温暖で、比較的多雨であるが、過去には大雪や旱魃も生じている。
 
夏は台風が常襲し、冬は北西の季節風が強いため、明浜町一帯には枝尾根が波風を防ぐ入江に集落がされてきた。

狩浜はその一つで、秩父帯と四万十帯の境にあって、山腹の所々に石灰岩が露頭する・・・つづく。
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重要文化的景観Ⅰ

2019年03月02日 | 旬の情報
【新選定の文化財・・・文化庁文化財第二課】

 昨年の7月豪雨から8ヶ月が経ちました。

当狩江地区でも・・・野村町や宇和町そして宇和島市の吉田町ほどの被害はありませんでしたが、

それなりに被害を受けました。

 災害復旧に対しては国の補助も出ましたが・・・

もう少し、被災者に寄り添った対応をしてもらいたい思いでした。

 採収・出荷もほぼ一段落し、また新しい年度のスタートです。

休んでいたブログも・・・やっと、始めようかなぁ~ と言う気分になりました。
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