先日ショウミーが同じ年の子ども2人と遊んでいたときのこと。どういうきっかけかはわかりませんでしたが、一人の子が急に怒り出し、「そんなんだったら、もう止める!もうショウミーとはやらない!」と叫びました。普段だったら言い返すショウミー、そしていつものように喧嘩が始まるかなと私は思って見ていました。すると予想に反して、ほんの数秒の間を置いて、ショウミーは優しい声で「ごめんね・・・」と言ったのでした。言われた相手としては拍子抜けしたらしく、それ以上怒ることもできず、すぐにまた楽しく遊びを継続していました。
弟ができて3年余り、ショウミーは繰り返される理不尽な弟の態度に怒りまくっていましたが、ふと気づくと最近は「いいよ」と譲ってあげていることが多くなっています。そういう中で人生はしばしば理不尽なものでしかたないんだ、ということを学んでいっているのだと思います。
そして昨日、また他の子どもとカードで遊んでいたときに、いろいろとその子がずるをしても怒ることなく、いろはがるたで最近覚えた「負けるが勝ち」と言いつつ笑っている姿に、ショウミーも少々大人になり、そして日本人になっているなあと思ったのでした。
日本人は謝罪文化を持っていると思います。何でも謝るという習慣はどこから来ているのでしょう?小さいときから私達日本人の親は常に「謝りなさい」と言って育てています。そしてある年齢くらいから、子供達は「謝ると終わる」「謝ると許してくれる」「謝るとリセットされる」あるいは「謝ると人間関係が円滑に進む」ということを理解していくのでしょう。最初のエピソードは、ショウミーが謝って相手の気持ちをなだめること、つまり人間関係を円滑に進めることをすでに知っているということなのでしょう。
逆にデンマーク人はしばしば「決して謝らない」という国民性だと言われています。彼らにとっては謝るということは、「人間関係を円滑にし、物事を進めるため」ではなく、本当に厳しい意味での個人の罪を認め、罪を償う必要の出てくることなのだと思います。人々の罪を受けてイエスが磔になったというキリスト教的文化を背景に、罪に対する厳しい見解や対応を彼らは持っているのかもしれません。
そのあたり、謝罪するということの意味がどうも日本とデンマークでは違うように思います。日本では悪く言えば「謝ればいい」という意識があり、謝罪=償いも兼ねているように思います。そして責任を強く問われることもなく、謝ればそれで済んでしまうという面が多々あります。一国の首相の取った行動も、そういう形で終了していますし、どうも年金問題もこの1週間ほどで、そういう傾向に方向転換されています。「責任を取る」、それが謝罪だという、厳しい追及や断罪は日本的ではないようです。
ショウミーがこうしてすでに6歳にして日本の謝罪文化を身につけているのは面白いなと思います。それはそれでよいのですが(やっぱり悪いことをしたときに謝る人にはならないといけないと思うので)、謝ればよい、という日本文化の域を出る、違った思考ももってもらいたいなぁと思っています。
弟ができて3年余り、ショウミーは繰り返される理不尽な弟の態度に怒りまくっていましたが、ふと気づくと最近は「いいよ」と譲ってあげていることが多くなっています。そういう中で人生はしばしば理不尽なものでしかたないんだ、ということを学んでいっているのだと思います。
そして昨日、また他の子どもとカードで遊んでいたときに、いろいろとその子がずるをしても怒ることなく、いろはがるたで最近覚えた「負けるが勝ち」と言いつつ笑っている姿に、ショウミーも少々大人になり、そして日本人になっているなあと思ったのでした。
日本人は謝罪文化を持っていると思います。何でも謝るという習慣はどこから来ているのでしょう?小さいときから私達日本人の親は常に「謝りなさい」と言って育てています。そしてある年齢くらいから、子供達は「謝ると終わる」「謝ると許してくれる」「謝るとリセットされる」あるいは「謝ると人間関係が円滑に進む」ということを理解していくのでしょう。最初のエピソードは、ショウミーが謝って相手の気持ちをなだめること、つまり人間関係を円滑に進めることをすでに知っているということなのでしょう。
逆にデンマーク人はしばしば「決して謝らない」という国民性だと言われています。彼らにとっては謝るということは、「人間関係を円滑にし、物事を進めるため」ではなく、本当に厳しい意味での個人の罪を認め、罪を償う必要の出てくることなのだと思います。人々の罪を受けてイエスが磔になったというキリスト教的文化を背景に、罪に対する厳しい見解や対応を彼らは持っているのかもしれません。
そのあたり、謝罪するということの意味がどうも日本とデンマークでは違うように思います。日本では悪く言えば「謝ればいい」という意識があり、謝罪=償いも兼ねているように思います。そして責任を強く問われることもなく、謝ればそれで済んでしまうという面が多々あります。一国の首相の取った行動も、そういう形で終了していますし、どうも年金問題もこの1週間ほどで、そういう傾向に方向転換されています。「責任を取る」、それが謝罪だという、厳しい追及や断罪は日本的ではないようです。
ショウミーがこうしてすでに6歳にして日本の謝罪文化を身につけているのは面白いなと思います。それはそれでよいのですが(やっぱり悪いことをしたときに謝る人にはならないといけないと思うので)、謝ればよい、という日本文化の域を出る、違った思考ももってもらいたいなぁと思っています。