孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

あまり愉快でない、街の外国人たち

2017年04月23日 | 社会観察
私が住んでいるような、町村合併で隣町に編入される前の、人口わずか2万人程度の田舎街ですら、スーパーや100均で見かける外国人が増えている印象がある。

家のすぐ近くの町工場に自転車で通って来る多分アジア系女性5~6人は、多分インドネシア人だと思う。中にモスリムの象徴である布を頭にかぶった娘がいるからだ。

実は、先ほど使い捨てマスクを買いに、近くのDAISOに行ってきたところだが、店の中で大きな声で会話している外国人(多分ブラジル人)たち7~8人がいた。

以前はそれほど気にはならなかったが、最近はこういう光景に出くわすと、私は心中穏やかではなくなる。もっと、率直な言い方をすれば、気分が悪くなるのだ。

最近、よく地上波テレビでも耳にするが、昨年末、在留外国人労働者は100万人を突破し108万人に達したそうだ。富山県の総人口に匹敵する数であり、統計には上がってこない人数を入れれば、現状はこれよりずっと多いだろう。

その中で約20万人は留学生で、留学生と言えども週28時間以内なら就労可能ということで、今や東京のコンビニの店員は、片言の日本語を話す外国人だらけの状況らしい。(学校が長期休暇の間は1日8時間、週40時間まで働けるようだ。)

 店員は外国人主流

大学側は、学生数減少、コンビニ側は人手不足、アジア人はビザ取得が容易ですぐ仕事にありつけるということで、需給が合致して急増しているようだ。

留学生は、借金して日本に来るくらいだから、週28時間以上仕事をしたい。それに,使う方もそれ以上使いたい。両者のニーズが合えば、当然ルールなど無視されるようになる。

もう一つの制度に、技能実習生制度がある。

これは日本の技術を海外に移転する国際貢献のための仕組みというのが「建前」で、工場だけでなく、漁業や農業の現場では多くの外国人が「技能実習生」として働いている。

ただ、この制度では期間が原則3年と定められており、せっかく技能が身に付いたところで帰国になってしまう。名目は、日本の技術を覚えてもらって、母国でそれを役立ててもらうということだが、中身は最低賃金以下でこき使える奴隷のような労働者が確保できる制度なのである。

 食品工場も外国人だらけ

日本の歴史上、欧米のように奴隷を使ったことのない日本人は、こういう低賃金労働者の扱い方が分らず、これまでも度々トラブルが起きて、時には殺人事件が起きるような事もあった。

更に、我が国には難民についてのおかしなルールがある。

つまり、日本に来て難民申請をすれば、その時点から就労が可能となるのである。申請するだけでそれが可能となるわけだ。

そして、難民申請の結果が出るまでは平均2年という、信じられない時間が掛かるようで、その間は就労時間の制約もなく、堂々としかも日本人と同じ労働基準法のもとで仕事にありつけるのだ。

更に、申請結果が却下されても、再申請が可能であり、強制帰国されることもないという。したがって、これを目当ての『偽装難民』と彼らを積極的に採用しようとする雇用者側が後を絶たないらしい。

数年前、偽造旅券で入国し違法滞在の最中万引きで逮捕されたフィリピン人の間に産まれた娘を残して、両親ともフィリピンに強制送還させた出来事があった。

娘のみ在留特別許可が与えられ、日本に住む親戚のところで一緒に住むことにして、両親と別れることになったのだが、この時、左翼マスコミや左巻きのプロ市民たちは、かわいそうだから家族みんなに在留許可を与えろ、という一斉キャンペーンを張ったのだった。

これからも、似たようなケースが続出することはまず間違いない。

浜松市など外国人労働者が多いところでは、すでにプロ市民らに煽られたであろう外国人労働者たちが、プラカードを掲げてデモをするような状況になっている。

  数は力になる

安倍総理は、移民政策ではないと主張するようだが、どう見てもこれは日本政府がルール作りをしている、移民政策である。そして、先のことをまるで考えていないとしか考えられない誤った政策である。

シンガポールのように、職種別の格差を考えた外国人移民政策を取ると同時に、彼らの入国以後の徹底した管理と、犯罪に対しては容赦しない刑罰の適用で、殺伐とした社会にしようという考えなら、明確に沿う主張すべきで、これは国会で徹底的に議論してほしい。

しかし、今更議論するまでも無いだろう。EUで今どういうことが起きている?このまま行けば、日本は同じことになるのは、小学生でも分ることではないか。

聖書片手に、こんにちわ!

2017年04月23日 | 社会観察
キリスト教の三大異端派というと、モルモン教、統一教会、そしてエホバの証人(ものみの塔)である。

およそ信仰心などとは縁のない育ち方をして、宗教などには興味も関心もなかった私だが、高校を卒業してから、なぜかこれらの三大異端派すべてに縁があった。

まず、大学に入学したばかりの頃、私がお世話になった賄い付き下宿での同期だった工学部のM君の様子が2年生の夏休みを機に、一気に変わったのだった。

それは、同じ下宿の学生の一言で発覚した。

「M君、オリオン通り商店街のアーケードで、小さな黒板を立てて何か通行人相手に講義してたみたいだった。」

一度聞いただけでは何のことか理解できず、詳しく訪ねると、M君はスーツ姿で分厚い本を片手に持ち、小さな黒板に何か書きながら、講義をしているようだったらしい。ただ、通行人たちは、M君のことなどまったく無関心で、誰一人として立ち止まる者はいなかった。

その数日後のことだった。突然M君は下宿を解約して出て行き、別の一軒家で仲間と共同生活を始めたのだった。M君は、統一教会に入信したのだった。

モルモン教の宣教師は、なぜかいつも二人組みで街中で通行人に話しかけているのだった。
彼らは二十歳位の若者でワイシャツに細いネクタイをしていた。

当時の私は英語学習に夢中で、新しく覚えた表現を実際に外国人相手に使いたくて、街で彼らを見つけると、迷わず近寄っていって話しかけたものだった。

私は彼らがモルモン教というキリスト教の一派の宣教師で、モルモン教というのは一夫多妻を認める変わった宗教だ、くらいの知識しかなかったが、そんなことは私にとってどうでもいいことだった。

その数年後、私はある研修プログラムに参加してアメリカに渡ることになるのだが、何とそこでホームステイすることになる家庭が、モルモン教徒の家庭で、ご主人は町の教会のかなり上の位にいる方だった。

モルモン教の教会にも義理で一度だけ行ってみたが、退屈で興味も関心もなかったので、次に誘われた時は、はっきりと嫌です、と返事をした。

さて、三つ目のエホバの証人は、私が社会人になって4~5年の時だったと思う。我家の西側に住むKさんが困った様子でやってきて、嫁さんが変な宗教にはまっちゃったみたいで、参ってるんだ。何とか説得してもらえないだろうか?という相談だった。

  一見普通のご婦人たちだが

少し詳しく様子を聞いたところ、かなりの重症な状況であることが分り、明らかに洗脳されてしまっていると感じた私は、私の手には負えないレベルなので、あまりすることに批判的にならずに暫く様子を見るよう伝えるに留めた。

その後、なぜか我家にも小奇麗な格好で日傘をさした二人のご婦人が、やってくるようになったのだった。

  聖書ってすごいのよ

玄関先で何事かと話を聞くと、我家の健康状態はどうだとか、最近病気はしないかとか穏やかだが、随分不躾な質問をするのだった。いったい用件は何だと訪ねると、こんどは聖書に興味はないかときた。

話し相手になってやると、毎週のようにやってきた。そして、次第に論戦を挑んでくるようになり、面白いので私も相手になってやった。すると、今度は上司らしい男性を連れてきて、やんわりと勉強会に来ないかと誘うのだった。

宗教には興味ない、もう来ないでほしい、と断って帰ってもらった。しかし、それからもしょっちゅう来るようになったので、ついに私の堪忍袋の緒は切れてしまった。

「相手になってやればいい気になって、あなた方は相手の気持ちが理解できないのか?もう二度と来ないでほしい。今度来たらバケツ一杯の水を容赦なくぶっ掛けるからそのつもりで、他の仲間にも言って置くように。

それから、不在の時に郵便受けにゴミのようなチラシを入れて置くのも止めてくれ。分ったら、回れ右して、とっとと帰れ!」と畳み掛けた。

このエホバの証人は、ロシアでは過激派集団として活動禁止、解散という最高裁の判決が下ったそうだ。

過激派というのは、思想が過激だという意味だと思う。つまり輸血を拒んだり、社会的に他の市民との交流を拒む点が極端すぎるということなのだろう。

そういえば、わが街の私立病院にも、こんな貼り紙がしてあった。

 受付で見た

『輸血を拒否する患者』とは、あの連中しかいないだろう。

過激派とは、英語で extremist people つまり、過激主義者、あるいは極端論者と言い換えることが出来る言葉だ。

彼らは当然、隣近所のお葬式も手伝うことはないし、顔も見せようともしない。