連日、東京都知事の「年増の厚化粧」ぶりを見せられて、かなり食傷気味だったのが、一転して森友学園がすべった転んだで、ミンシンの異常ぶりにウンザリさせられた。
そして、今度は朝鮮半島の危機的状況と南朝鮮と日本のノホホンぶりに呆れさせられていたところに、一陣の疾風が曇った空を真っ青に塗り替えるような、ニュースが飛び込んできた。それが、卓球少女、平野美宇選手の快挙だった。
腕を高く上げて勝利を喜ぶのがいい
彼女の偉業は、どれほどすごいことなのか日本のマスコミは評価しかねている感がいまだにあるようだ。何せ、世界に君臨する支那のトップ選手を3人立て続けにぶっ倒してみせたのだから、これはもうまぐれ当たりなんていうものではなく、正真正銘の実力であろう。
しかも、その戦いの場所が敵地、支那の無錫(むしゃく)市であった。試合会場にいた地元の卓球応援団も、その惨状を目の当たりにして、無錫だけに、ムシャクシャした気分で、応援したことだろう。
私は、心の底から彼ら支那の応援団に言ってやりたい。
「ざまあ見ろ!」
左右下方に赤旗三つ
試合後の彼女のインタビューも、まったく気取らず飾らず、聴いていて実に清々しかった。どこかのナヨッとしたスケート選手が、ベラベラ飾り気のある話をするのや、甲子園に出たがっている高校野球選手が、ベラベラベラベラ余計な話をするのとは、わけが違った。
作家の河添恵子さんが、ブラジル五輪の時の日本女子卓球選手の快挙を観た感想を述べていたが、確かに小さな時からお母さんと一緒に卓球を始めて、親の愛情に育まれながら上達していったという共通点が日本の女子選手にはあった。
そこが、ロボットみたいな支那人選手たちの会場での表情と大きく違う点だったように思う、といった意味のことを仰っていたが、平野選手も幼い頃から大好きなお母さんの下で、暖かくも厳しい練習を、楽しくやってきたようで、見ていて微笑ましい限りだ。
ただ、意外だったことが一つあった。
それは、今回の平野選手の快挙を冷静に認めて評価し、反省していた支那の指導者がいたことだった。
支那軍コーチ・孔令輝さん
孔氏は試合後こう語っていたそうだ。
「彼女のテクニックは我々に比べて格段に上だった。これから彼女の強みを勉強しなければならない。」
彼は、元世界チャンピオンだっただけに、「達人は、達人を見る目を持つ」といったところか。彼の落ち着いた一言は、高く評価されて然るべきだろう。
平野選手は、今の実力を維持し、更に磨きをかけていかないと、ライバルは支那だけではなく日本国内にも多いので、油断はできないだろう。
一つだけお願いがある。帰国しても、下らないバラエティー番組にヒョコヒョコ出るのだけは謹んで欲しい。どこかのレスリング選手と同じになってしまうから、どうかああならないで下さい!
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
さて、もう一つの大きなニュースは何かというと、それは「八田與一像、頭部切取り事件」だった。
台湾南部・台南市で、日本統治時代の技師、八田與一像の頭部が切り取られた事件は、16日に発覚した、あまりにもショッキングな出来事だった。
相当ショックを受けました
犯人は明らかに支那からやってきた外省人の仕業だろうと思ったが、数日して犯人自ら出頭してきて、正体が明らかになった。
ネットのニュースによると、以下の通りだった。
『男はフェイスブックで「自分がやった」と公表した上で、台北市内の警察署に出頭。当局は身柄を台南に移して事情を聴いた。
男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。
また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。』
また、いつも私が楽しみにして見ている、「台湾チャンネル」という youtube 動画によると、犯人はどうも戦後支那からやってきた外省人ではなく、台湾生れの内省人のようだ。犯人の写真↓をみると、まともじゃないのが分る。
表情がまともじゃない
台北市議をやっていたといっても、完璧に支那人に洗脳された過激派ゴロツキ集団のメンバーだったようで、日本にもこれに似たような国会議員がいる。
台湾は蔡英文総統が誕生して、民進党(本家本元の)が躍進し、これまでタブーだった支那国民党の悪さをはっきりさせようとする動きが出ている。
台湾中にある蒋介石の像を撤去したりする動きもその一つで、どうも今回の蛮行はそれに対する報復行為であったようだ。
台湾チャンネルのアシスタント、謝さんによると、台湾の学校には大抵蒋介石の像が立っていて、みんなその前で礼をすることが強制させられていたようだ。
日本人観光客のほとんどが、台北の「中正紀念堂」に行き、英国のマネをした儀仗隊交代式を観る様に仕向けられているようだが、歴史を知らない間抜けな日本人観光客は何の疑問も感じないようだ。中正とは独裁者・蒋介石の本名である。
烏山頭ダムへは、去年の6月に行って来た。
八田與一像アップ
駅からタクシーで15分くらい走ったところにあるので、駅前に客待ちしているタクシーをチャーターして、案内してもらうのがいい。彼らも心得たもので、博物館や展示館などの見所を順番に案内してくれる。
子沢山の家族だった
台湾では教科書にも登場する偉人の一人として、知らない人はいないようだが、私は去年まで、八田與一など聴いたこともなかった。
なかったが、知れば知るほど彼の功績には感銘せざるを得なくなっていった。そして、もういても立ってもいられなくなって、現地まで出かけていったのだった。
妻、外代樹(とよき)と、
1942年、八田は調査のためフィリピンに向かう輸送船に乗っていた。そこをアメリカ軍の潜水艦に狙われ、船と共に一命を落としたのだった。
私が、八田のことをいろいろ調べている時に、少なからず感銘を受けたのは、彼の業績だけでなく、身分や人種に分け隔てしない、その人柄を示す多くのエピソードについてであった。
そして更に、16歳で八田の元に嫁いで、八人の子供をもうけながら、ひたすら八田を陰で支えた理知的な風貌の妻・外代樹(とよき)が、八田の死後、彼の後を追って、彼の造った放水路に身を投げて自殺したという末路を知った時であった。私は思わず唸ってしまったのだった。
像を造るという話を聞いたとき、八田は「見下ろすような立った像は、やめて欲しい。』と言ったそうだ。だから、あのような腰をおろして考え事をするようなポーズに決ったようだ。
ユニークな像である
私は、今後も台湾に行きつづけるだろうが、是非多くの日本人にも台湾を訪れて欲しいと思っている。どこがいいのか、と問われてもよく説明できないのだが、何となくホッコリとする気分がいいのかもしれない。
そして、行く際にはネットか何かで、台湾の歴史をちょっとでも読んで行って欲しいものだ。ガイドブックの後ろに書いてあることでも充分だ。それを知ると知らないとでは、面白みがまったく違ってくるからだ。
そして、今度は朝鮮半島の危機的状況と南朝鮮と日本のノホホンぶりに呆れさせられていたところに、一陣の疾風が曇った空を真っ青に塗り替えるような、ニュースが飛び込んできた。それが、卓球少女、平野美宇選手の快挙だった。
腕を高く上げて勝利を喜ぶのがいい
彼女の偉業は、どれほどすごいことなのか日本のマスコミは評価しかねている感がいまだにあるようだ。何せ、世界に君臨する支那のトップ選手を3人立て続けにぶっ倒してみせたのだから、これはもうまぐれ当たりなんていうものではなく、正真正銘の実力であろう。
しかも、その戦いの場所が敵地、支那の無錫(むしゃく)市であった。試合会場にいた地元の卓球応援団も、その惨状を目の当たりにして、無錫だけに、ムシャクシャした気分で、応援したことだろう。
私は、心の底から彼ら支那の応援団に言ってやりたい。
「ざまあ見ろ!」
左右下方に赤旗三つ
試合後の彼女のインタビューも、まったく気取らず飾らず、聴いていて実に清々しかった。どこかのナヨッとしたスケート選手が、ベラベラ飾り気のある話をするのや、甲子園に出たがっている高校野球選手が、ベラベラベラベラ余計な話をするのとは、わけが違った。
作家の河添恵子さんが、ブラジル五輪の時の日本女子卓球選手の快挙を観た感想を述べていたが、確かに小さな時からお母さんと一緒に卓球を始めて、親の愛情に育まれながら上達していったという共通点が日本の女子選手にはあった。
そこが、ロボットみたいな支那人選手たちの会場での表情と大きく違う点だったように思う、といった意味のことを仰っていたが、平野選手も幼い頃から大好きなお母さんの下で、暖かくも厳しい練習を、楽しくやってきたようで、見ていて微笑ましい限りだ。
ただ、意外だったことが一つあった。
それは、今回の平野選手の快挙を冷静に認めて評価し、反省していた支那の指導者がいたことだった。
支那軍コーチ・孔令輝さん
孔氏は試合後こう語っていたそうだ。
「彼女のテクニックは我々に比べて格段に上だった。これから彼女の強みを勉強しなければならない。」
彼は、元世界チャンピオンだっただけに、「達人は、達人を見る目を持つ」といったところか。彼の落ち着いた一言は、高く評価されて然るべきだろう。
平野選手は、今の実力を維持し、更に磨きをかけていかないと、ライバルは支那だけではなく日本国内にも多いので、油断はできないだろう。
一つだけお願いがある。帰国しても、下らないバラエティー番組にヒョコヒョコ出るのだけは謹んで欲しい。どこかのレスリング選手と同じになってしまうから、どうかああならないで下さい!
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
さて、もう一つの大きなニュースは何かというと、それは「八田與一像、頭部切取り事件」だった。
台湾南部・台南市で、日本統治時代の技師、八田與一像の頭部が切り取られた事件は、16日に発覚した、あまりにもショッキングな出来事だった。
相当ショックを受けました
犯人は明らかに支那からやってきた外省人の仕業だろうと思ったが、数日して犯人自ら出頭してきて、正体が明らかになった。
ネットのニュースによると、以下の通りだった。
『男はフェイスブックで「自分がやった」と公表した上で、台北市内の警察署に出頭。当局は身柄を台南に移して事情を聴いた。
男は1958年生まれで、現在は台湾の急進統一派の団体「中華統一促進党」に所属。94年に統一派の政党「新党」から台北市議に当選し、1期務めた。任期中、市幹部を殴り起訴された。
また、2016年には急進的な台湾独立派の団体の敷地に放火し逮捕、起訴されている。』
また、いつも私が楽しみにして見ている、「台湾チャンネル」という youtube 動画によると、犯人はどうも戦後支那からやってきた外省人ではなく、台湾生れの内省人のようだ。犯人の写真↓をみると、まともじゃないのが分る。
表情がまともじゃない
台北市議をやっていたといっても、完璧に支那人に洗脳された過激派ゴロツキ集団のメンバーだったようで、日本にもこれに似たような国会議員がいる。
台湾は蔡英文総統が誕生して、民進党(本家本元の)が躍進し、これまでタブーだった支那国民党の悪さをはっきりさせようとする動きが出ている。
台湾中にある蒋介石の像を撤去したりする動きもその一つで、どうも今回の蛮行はそれに対する報復行為であったようだ。
台湾チャンネルのアシスタント、謝さんによると、台湾の学校には大抵蒋介石の像が立っていて、みんなその前で礼をすることが強制させられていたようだ。
日本人観光客のほとんどが、台北の「中正紀念堂」に行き、英国のマネをした儀仗隊交代式を観る様に仕向けられているようだが、歴史を知らない間抜けな日本人観光客は何の疑問も感じないようだ。中正とは独裁者・蒋介石の本名である。
烏山頭ダムへは、去年の6月に行って来た。
八田與一像アップ
駅からタクシーで15分くらい走ったところにあるので、駅前に客待ちしているタクシーをチャーターして、案内してもらうのがいい。彼らも心得たもので、博物館や展示館などの見所を順番に案内してくれる。
子沢山の家族だった
台湾では教科書にも登場する偉人の一人として、知らない人はいないようだが、私は去年まで、八田與一など聴いたこともなかった。
なかったが、知れば知るほど彼の功績には感銘せざるを得なくなっていった。そして、もういても立ってもいられなくなって、現地まで出かけていったのだった。
妻、外代樹(とよき)と、
1942年、八田は調査のためフィリピンに向かう輸送船に乗っていた。そこをアメリカ軍の潜水艦に狙われ、船と共に一命を落としたのだった。
私が、八田のことをいろいろ調べている時に、少なからず感銘を受けたのは、彼の業績だけでなく、身分や人種に分け隔てしない、その人柄を示す多くのエピソードについてであった。
そして更に、16歳で八田の元に嫁いで、八人の子供をもうけながら、ひたすら八田を陰で支えた理知的な風貌の妻・外代樹(とよき)が、八田の死後、彼の後を追って、彼の造った放水路に身を投げて自殺したという末路を知った時であった。私は思わず唸ってしまったのだった。
像を造るという話を聞いたとき、八田は「見下ろすような立った像は、やめて欲しい。』と言ったそうだ。だから、あのような腰をおろして考え事をするようなポーズに決ったようだ。
ユニークな像である
私は、今後も台湾に行きつづけるだろうが、是非多くの日本人にも台湾を訪れて欲しいと思っている。どこがいいのか、と問われてもよく説明できないのだが、何となくホッコリとする気分がいいのかもしれない。
そして、行く際にはネットか何かで、台湾の歴史をちょっとでも読んで行って欲しいものだ。ガイドブックの後ろに書いてあることでも充分だ。それを知ると知らないとでは、面白みがまったく違ってくるからだ。
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