孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

のらくろ去って、豚来たる。(1章)

2015年10月07日 | 日記
5月に台北旅行をして、職場にお土産を買っていったところ、古手のご夫人がお土産のお菓子の礼を言いに来て、「台湾に行ってきたんですか?私も以前ツアーで行きましたよ。」と話しかけてきてくれた。

「何って言ったっけ?キュウフン?あそこに行ったけど、人が多くて、食べ物屋がたくさんあったけど、臭いが強くてネエ・・・。」

 ※ キュウフン(九とニンベンに分という字)

日本人に人気の「九分(キュウフン)」に連れて行かれたのだろうが、坂ばっかりで大変だった・・とか、あまりいい印象は残っていなかった様子で、「何でまたあんなとこに行ってきたの?」とでも言いたげだった。



「京劇を観に行ったんですよ。」とこたえたら、「京劇??」と、ますます不思議そうな顔になったので可笑しかった。

台北市の東の海沿いに位置する九分(キュウフン)という小さな街は、何と言ってもあの「千と千尋のナントカ」というマンガ映画の雰囲気に似ているので、ここをイメージして作られたのではないかと、観光業者が売り込みのネタにしたことで、今では台湾ツアーには必ずといっていいほど組み込まれる観光スポットとなった。



しかし、私はそれが理由で行く気が失せたので、前回も今回も行こうとも考えなかった。あのマンガ映画に限らず、一連の彼の作品には、どうも胡散臭いストーリーで良からぬ思想操作をしようとする意図が見えてくるので私は特に若い子供には観ることを勧めない。



ガチガチの反日・共産主義者のいわく付きの観光地など誰が行くものか、という気分だった。


しかし、今回の台北旅行の後半になって、「二二八祈念館」などに行って台湾の歴史を徐々に知っていくうちに、キュウフンという小さな街が話題に出てきたのだった。

手元のガイドブックを読み返すと、確かに人気となった所以が書かれていた。いわく・・

『台湾で大ヒットした映画「非情城市」の舞台になったことで観光客が訪れるようになり、台湾人が自身のアイデンティティを見直そうとする動きの中で、人気の観光地となっている。』

宿に戻る途中に、前回の台北滞在中に「KANO」という台湾映画(と言っても全編ほとんど日本語だが)のDVDを購入した専門店に立ち寄って、『非情城市』というDVDを探してみた。しかし、見当たらなかったので、帰国したらレンタル店で借りて観ることにした。



この台湾映画、25年ほど前に公開された2時間半の大作で、あの黒澤明の「羅生門」が1951年にグランプリを受賞したイタリアのヴェネチア国際映画祭で、1989年に見事グランプリを受賞している。

ウィキペディアによると、『日本統治時代の終わりから、中華民国が台北に遷都するまでの台湾社会が描かれている。公開当時は台湾の戒厳令解除から僅か2年後であり、台湾内で二・二八事件が公に語られることは多くはなかった。舞台となった九份は、この作品の成功によって台湾でも屈指の観光名所となった。』と、二二八事件のことも触れていた。

どうも、支那共産党やその手先の外省人の圧力で「二二八事件」のことを語ることはタブー視されてきたようだと分かる。

先週末に早速近くのDVDレンタル店に、「非情城市」を借りようと出向いた。実に久しぶりの店で、店内は子供づれの客で賑わっていたが、私は人気(ひとけ)のない「アジア」の作品があるはずの一角に向った。

驚いたことに、いまだに「韓流」作品が棚3列くらいを占領していた。あんなものを観ようとする人がいるのだろうか、と不思議な気分にさせられた。

実際、他は賑わっているのに「韓流」コーナーには、いかにも有閑マダム然とした中年の御夫人が、ひとり悠々と品選びをしていただけだった。

肝心の「非情城市」を必死で探したが見当たらない。入り口に検索機があったのを思い出し、タイトルを入力してみたら、「取り扱っていない」と表示された。

ヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞した作品をそろえていないというのは、どうも釈然としないが、しかたなく店を出て、もう一軒のレンタル店にいってみたが、結果は同じだった。

家に戻って、図書館のホームページにアクセスし検索してみたが、「在庫には無い」という結果だった。アマゾンで買うのも手だな、と思い調べてみると、これが途方も無く高価で二の足を踏んでしまった。

Youtube に全編アップされているが、字幕がないのでとても理解できそうもない。

支那共産党が歴史から抹殺してしまいたい二二八事件を扱った作品である。「レンタル業界から締め出されている作品では・・・」と勘ぐりたくなるほど不可解な気分だ。

おりしも、台湾の総統選挙が来年行われる関係で、候補者の台湾の野党、民主進歩党の蔡英文主席が6日、来日した。

現在の総統は国民党の馬英及という支那共産党の傀儡といわれているきわめて反日色の強い「外省人」である。

世論調査では来年の総統選挙では国民党から民主進歩党に政権が変わりそうだが、結果が気になるところである。

そういえば、ロボットのような動きの衛兵の交代を見させるために、観光業者が日本人観光客を連れて行く「中正祈念堂」という観光スポットが台北市内にある。

「中正」とは、蒋介石の本名である。そして、台北市民たちは、彼こそが二二八事件の張本人であることを承知している。現在の国民党政権に変わる前は、「台湾民主祈念館」と呼ばれていた。馬政権になった途端、「中正祈念堂」という呼び名に変えられたという。

こういう詳しい背景はよく理解していなかったが、私は前回も今回もここには行く気になれなかった。衛兵の交代式などどうでもよかったし、何より蒋介石を祈念している場所など行きたくも無かったからである。

さて、話が大分横道にそれて行くようだが、敗戦後の1947年2月28日。

一体何が起きたのであろうか・・・。

つづく・・・