この時期、ノーベル賞の発表があって、日本人が受賞されると、「日本人の受賞者はこれまで合計何人ですか?」と決って質問される、と産経新聞のソウル駐在員がコラムで伝えていた。
質問した人は必ず、その後ため息をついて、何故日本人はたくさん受賞するのかと不思議がるそうだ。
数学者の藤原正彦氏が、ノーベル賞を取る国と取れない国の違いは、美しい自然に囲まれ美的感受性を育むことができる環境が歩かないか、そして自然を崇拝する精神性を重んじるという風土が存在するかどうかである、といったことをどこかのコラムか何かに書いていたと思う。
確かに、私はシンガポールに1年弱住んでみて、これを痛感させられた。いくら世界でトップクラスの教育を施しても、人工的な緑や土に育つ農作物などまったく目にすることも出来ない風土、雨季と乾季すら明確でない、一年中ただ暑いだけの気候では、美的感受性など育まれるはずがないのだ。
私は、ノーベル賞自体、特に平和賞や文学賞などは選考する人が、何か作為を持って選んだ結果のようで、過去の受賞例を見てもどこか胡散臭さが漂っていて、さほど関心を抱かないのだが、自然科学の分野では結果が明白でその功績は理解しやすい。
今回の受賞騒ぎも、マスゴミが大騒ぎすればするほど、私は引いてしまったのだが、ただ一つ、山梨の大村氏の娘さんのインタビューを見たときの一言が気に入ったのだった。
それは、大村さんが長女の育代さんによく言っていた言葉のことを話したときだった。「父は、いつも『嘘はつくな』と言っていました。」
さらに、大村氏は記者会見の席で、「マネをしてはだめだ。」とも言っていたのを聞いた。
この二点で、私は大村ファンになってしまった。
これらは日本人の伝統的な美徳でもあり、最近、日本人というか、日本人モドキというか、この国に住む人から次第に溶け出すように失われつつある日本人の構成要素だと思う。
特に近隣に住む十数億がこの真逆が服を着たような人種だから、迷惑この上ない。
どうせマネをするなら、大村氏の生き方を真似してみたらどうだ、と言いたいところだが、言うだけ無駄か・・・。
質問した人は必ず、その後ため息をついて、何故日本人はたくさん受賞するのかと不思議がるそうだ。
数学者の藤原正彦氏が、ノーベル賞を取る国と取れない国の違いは、美しい自然に囲まれ美的感受性を育むことができる環境が歩かないか、そして自然を崇拝する精神性を重んじるという風土が存在するかどうかである、といったことをどこかのコラムか何かに書いていたと思う。
確かに、私はシンガポールに1年弱住んでみて、これを痛感させられた。いくら世界でトップクラスの教育を施しても、人工的な緑や土に育つ農作物などまったく目にすることも出来ない風土、雨季と乾季すら明確でない、一年中ただ暑いだけの気候では、美的感受性など育まれるはずがないのだ。
私は、ノーベル賞自体、特に平和賞や文学賞などは選考する人が、何か作為を持って選んだ結果のようで、過去の受賞例を見てもどこか胡散臭さが漂っていて、さほど関心を抱かないのだが、自然科学の分野では結果が明白でその功績は理解しやすい。
今回の受賞騒ぎも、マスゴミが大騒ぎすればするほど、私は引いてしまったのだが、ただ一つ、山梨の大村氏の娘さんのインタビューを見たときの一言が気に入ったのだった。
それは、大村さんが長女の育代さんによく言っていた言葉のことを話したときだった。「父は、いつも『嘘はつくな』と言っていました。」
さらに、大村氏は記者会見の席で、「マネをしてはだめだ。」とも言っていたのを聞いた。
この二点で、私は大村ファンになってしまった。
これらは日本人の伝統的な美徳でもあり、最近、日本人というか、日本人モドキというか、この国に住む人から次第に溶け出すように失われつつある日本人の構成要素だと思う。
特に近隣に住む十数億がこの真逆が服を着たような人種だから、迷惑この上ない。
どうせマネをするなら、大村氏の生き方を真似してみたらどうだ、と言いたいところだが、言うだけ無駄か・・・。