孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

嘘つくな、マネするな。

2015年10月12日 | 日記
この時期、ノーベル賞の発表があって、日本人が受賞されると、「日本人の受賞者はこれまで合計何人ですか?」と決って質問される、と産経新聞のソウル駐在員がコラムで伝えていた。

質問した人は必ず、その後ため息をついて、何故日本人はたくさん受賞するのかと不思議がるそうだ。

数学者の藤原正彦氏が、ノーベル賞を取る国と取れない国の違いは、美しい自然に囲まれ美的感受性を育むことができる環境が歩かないか、そして自然を崇拝する精神性を重んじるという風土が存在するかどうかである、といったことをどこかのコラムか何かに書いていたと思う。

確かに、私はシンガポールに1年弱住んでみて、これを痛感させられた。いくら世界でトップクラスの教育を施しても、人工的な緑や土に育つ農作物などまったく目にすることも出来ない風土、雨季と乾季すら明確でない、一年中ただ暑いだけの気候では、美的感受性など育まれるはずがないのだ。

私は、ノーベル賞自体、特に平和賞や文学賞などは選考する人が、何か作為を持って選んだ結果のようで、過去の受賞例を見てもどこか胡散臭さが漂っていて、さほど関心を抱かないのだが、自然科学の分野では結果が明白でその功績は理解しやすい。

今回の受賞騒ぎも、マスゴミが大騒ぎすればするほど、私は引いてしまったのだが、ただ一つ、山梨の大村氏の娘さんのインタビューを見たときの一言が気に入ったのだった。



それは、大村さんが長女の育代さんによく言っていた言葉のことを話したときだった。「父は、いつも『嘘はつくな』と言っていました。」

さらに、大村氏は記者会見の席で、「マネをしてはだめだ。」とも言っていたのを聞いた。

この二点で、私は大村ファンになってしまった。

これらは日本人の伝統的な美徳でもあり、最近、日本人というか、日本人モドキというか、この国に住む人から次第に溶け出すように失われつつある日本人の構成要素だと思う。

特に近隣に住む十数億がこの真逆が服を着たような人種だから、迷惑この上ない。

どうせマネをするなら、大村氏の生き方を真似してみたらどうだ、と言いたいところだが、言うだけ無駄か・・・。

富士山、予想通りのお粗末さ・・

2015年10月12日 | 日記
2年前の6月だったか、富士山が日本人の大好きな世界遺産に登録させてもらえなくて、それでは芸術と信仰の対象という名目で、世界文化遺産として登録できれば、「世界遺産の富士山」として十分キャッチコピーになり得るのではないか・・・。

厳しい規準で観光客の減少を嫌がる山梨の強欲な観光関連業者たちを、こう説得して文化遺産の数ある構成資産のひとつに富士山を滑り込ませ、登録にこぎつけたわけだった。

ところが、富士山が抱える課題をたくさん提示される「条件付登録」だった。しかも、2016年2月までに回答しなければならないという「期限付き宿題」だったのだが、その宿題の「保全状況報告書」の原案が完成したと、ローカルニュースは伝えていた。

ネットで確認すると、『有識者会議の遠山敦子委員長(元文部科学相)は報告書の原案について「ユネスコに提出できる状況まで整えることができた。富士山は壮大なので保全管理に終わりはない。今後とも世界の宝として存続できるように協力していきたい」と強調した。』と出ていたので、「何とか間に合ったのか」と思ったら、これがとんでもない早とちりだった。

土産物屋や山小屋経営者などの観光関連業者が最も気にする、「来訪者管理戦略」に関しては、まったくまとまってはいず、GPS機器を登山者に配布したり、登山者に聞き取り調査などをして、それらを分析して、1日当たりの登山者数を平成30年までに設定するという、体の良い「回答先送り」となったわけだ。

(どうせ、行き着く先は、登山シーズンの最盛期の数日間だけを規制対象として、他の期間はユルユルの規制で、観光業者を説得する魂胆なのだろう。)

富士山の景観維持や自然環境保護というより、富士山に群がる観光客を一人でも減らしたくは無いと願う観光関連業者の方をおもんばかった、きわめて小役人的な対応で、知った途端苦笑いしてしまった。

忘れてはならない。かつて富士山は「糞の山」と呼ばれていたことを。登山客が残した排泄物は富士山の山肌に定期的にドサーッと垂れ流していたのである。麓から見て白い筋状の何かが見える。「はて?雪かしらん?」と思ったら、何と排泄物に混じったトイレットペーパーだったのだ。



ピーク時には、こういう状況で富士登山を満喫する登山愛好家が落としていくお金は膨大なもので、良い悪いは別にして、これは今に始ったことではなく、「富士講」がさかんだった江戸時代から連綿と続いてきた利権資産であると私はみている。



富士山を訪れる登山者たちの中に、マナーなどまったく気にしない連中がどのくらいいるか恐らくシーズン中にそういう輩と関わった事のない方は想像できないだろう。それは、国籍や人種を問わない。自然愛好家のような風体の登山者にもたくさんいた。



そういうのも土産を買ったり、食事をしたりして、「銭」を落として行ってくれる大事な「お客様」なのだから、ワシらは歓迎するんじゃ、と言うならそうはっきりと言えばよい。

「だいたい、マイカー規制などするのがおかしい。」と有識者会議の席上で文句を言っている観光関連の代表者らしき方がテレビのニュースに映っていたが、本音のかけらが出てしまったのだろう。



借金の返済期限が近づいたので、あらためて「返済計画を提出」してお茶を濁せばいいだろうという対応は、「納期厳守」を誇る日本人としては極めて恥ずかしいことではなかろうか。

「ユネスコ様」の応対が見ものである。