孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

危険過ぎる、安部訪韓・・

2015年10月27日 | 日記
今年の3月の出来事だったではないか。

南朝鮮自治区、ソウルの総合芸術施設での朝食会の席で、駐韓国大使のマーク・リッパートが刃物を持った韓国人の男に襲撃され、右あごの上に約11cm、深さ約3cmの傷と、左腕を貫通する重症を負った。



襲撃犯は、前科6犯の札付きテロリストで、5年前には当時の日本大使にコンクリート片を投げつけ、同席の在大韓民国日本国大使館一等書記官の女性を負傷させて捕まったが、懲役2年、執行猶予3年という信じられない判決だった。



行事を主催した側は、1人の警護員も配置しておらず、警察にも警護要請をしていなかった。それよりも、こういう札付きのテロリストを野放しにしておく南朝鮮自治区の公安の程度がとても理解しがたく、むしろテロのチャンスを与えたのではないかと思いたくなる。



犯行当時、狂信的テロリストは刃渡り25cmの凶器とカッターナイフを持ち、リッパート氏に斬り付け、右の頬骨の下からあごと首にかけての傷は、頸動脈の1cmから2cm手前まで届いており、命を失う危険があった。手当てには80針が縫われたという。

入院中のリッパート氏をニコニコしながら見舞った女酋長の口からは、ついに一言も謝罪の言葉はでなかった。あの種族の本性はそういうものなのだ。



それどころか、愛犬家として知られる入院中のリッパート氏に、こともあろうに犬の肉を差し入れたキ印の男がいたそうだから、もはや彼らは獣並みの生き物だと言えよう。

外国の指導者を気に入らないと暗殺すれば、犯人を国を挙げて英雄扱いする生き物集団である。



安倍総理や総理の取り巻きは、あの種族の本性を知らぬはずは無かろう。話し合えば分かるとか、近隣のパートナーだとか言える種族ではない。総理の顔写真を人形の顔にかぶせて、首をチョン切るようなことをやって大喜びする、狂人たちがウヨウヨいるのだ。



ここは、ドタキャンでいいので、訪韓など取りやめるべきである。恐らく、あいつらは発狂するであろうが、放っておけばいい。「身の安全の保証がない危険地帯」へ出かけるのは得策とはいえないと思う。

安倍総理には、あんな連中に会うよりも、他にもっともっと重要な優先課題があるはずだ。

見直したぜ!甘利さん。

2015年10月27日 | 日記
甘利 明氏というと、2010年5月に衆議院内閣委員会で起きた、当時お茶の間を笑いの渦に巻き込んだ、例のコント『三宅ダイブ』の被害者として有名な自民党議員だ。



労働大臣や経産大臣などを歴任した、おん歳66歳になる当選回数11回の神奈川出身のベテラン議員である。



コントの主役、三宅雪子氏のウィキペディアによると、次のようにコントの件が書かれていた。

『2010年5月12日、衆議院内閣委員会において採決が行われようとする中、与野党議員のもみあいとなり、委員長席付近で転倒した。この件について、民主党は甘利明に突き飛ばされたことが原因であるとして、甘利に謝罪を求めた。』

『しかし自民党議員の馳浩氏によって三宅氏が「自分で転んだ」と国会のエレベーター内で発言していたことが伝えられ、またその場に居合わせた日本共産党の宮本岳志氏も馳氏の言っていることはほぼ事実だと追認したが、三宅は馳の勘違いだろうと主張した。』



当時、民主党議員で、「小澤ガールズ」の一人だった宮木雪子氏は、次の日松葉杖で登院し、日本中に醜態をさらす大根役者ぶりを演じて、ワイドショーを盛り上げた。

 三宅雪子氏(50歳)

政治家に担がれた小澤一郎の言うがままに行動したあげく、立候補を続けても当選することは叶わず、挙句の果ては「生活の党」関係者とのトラブルという理由で、今は「生活の党とゆかいな仲間たち」も離党して、何をしてるのやら・・・。どうでもいいから知りたくもない。

さて、コントの脇役だった甘利 明氏の株がこのところ急上昇しているようだ。

安倍内閣の特命大臣としてTPP交渉で、見事な「タフ・ニゴシエーター」ぶりを発揮したようだ。奮闘努力の様子は、白くなった頭髪を見れば一目瞭然である。



話は昨年の9月の米国通商代表部の代表、フロマン氏との協議のときだった。以下、産経ニュースの(10/26)記事を抜粋する。



『米ワシントンで昨年9月23、24両日に行われた米通商代表部(USTR)代表、フロマンとの日米閣僚協議。両国が対立していた農産品と自動車の分野で、甘利が譲歩案を提示したにもかかわらず、フロマンは歩み寄りの姿勢すら見せなかった。

 「ふざけるな! そんな対応しかしないなら、もうやってられない」

 甘利は席を蹴り、事務方を引き連れてそのまま帰国した。24日の協議が始まってわずか1時間。甘利は「交渉をまとめるには、歩み寄る姿勢が必要だ。今後の段取りは未定だ」と不満をぶちまけたが、亀裂は決定的になりかねなかった。』

『このとき、甘利は「決裂となれば、辞任しなければならない」と周囲に漏らしている。担当閣僚を更迭されることも覚悟した。』

帰国後、甘利氏は交渉の経緯を安倍総理に報告した。すると、その返事は意外なことに・・・

「甘利さん、それでいいんですよ。どんどんやってください。交渉は全て任せます」



太平洋艦隊司令長官だった山本五十六の有名な言葉に、こんなのがあった。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。


ここぞというとき、「君に任せたから、好きなようにやりなさい」と言われると、人間俄然勇気が湧き出てきて、行動に自信が伴って拍車がかかるものである。安倍総理から、「任せたから、どんどんやってください」と言われた甘利氏も同様の心境であったことは疑う余地もない。

『甘利がなぜ強気でいられるのか-。いぶかしがる米側は甘利周辺を徹底的に調査し、その言動を細かく分析するように』なったと記事は続く。


『「甘利イコール安倍」であることを確信すると、甘利の発言に素早く反応するようになった。米側の変化に気付いた甘利は、フロマンとこんな会話もするようになる。

 フロマン「あれもダメ、これもダメと言うが、TPPをまとめる気があるのか!?」

 甘利「安倍政権の中で本気でまとめようとしているのは、俺と首相の2人だ。俺があきらめたら、そこでTPPは終わりだ」

 フロマン「分かった。俺はもう甘利としか交渉はしない」』

そうは言っても、フロマンはなかなか引き下がらず依然交渉は難航した。そして、今年の4月にフロマンが来日した。間近に迫った日米首脳会談の前になんとか成果を出そうとしてのフロマンの来日であった。

『 甘利「事務的に詰め切れていないのに、何をしに日本に来たんだ!」

フロマン「そうではない」

甘利「これ以上、閣僚同士で協議を続けても物別れだ。もうお引き取りいただいて結構だ」 

フロマン「いま、われわれはトップの意を受けてここにいるはずだ。もう少し最後の努力を続けてみないか?」

 甘利「それもそうだ。続けることはやぶさかではない」

一進一退の攻防は朝方まで約18時間に及んだ。甘利は自身のホームページで、フロマンとの日米閣僚協議について「穏やかにやっているうちは交渉は進まず、物別れ寸前になって道が開ける、の連続です」と振り返っている。


 そんなフロマンの苦労を知っていたのか、オバマは日米首脳会談の際、安倍にこう耳打ちしたという。

 「ミスター甘利は、なかなかタフネゴシエーターだな」 』

アメリカ人は、よく強く出て威嚇することがある。英語で bluff(ブラフ)というが、この脅しに日本人はすぐにビビってしまうものである。しかし、彼らは理詰めで説得すると、意外とコロッと態度を豹変させて、納得するところもある。

このあたりをよく心得て交渉ごとに当たらないと、彼らの言い成りになることになる。

甘利さん、見直したぜ!

「あっぱれ!」 やってください、関口さん。