台湾の二二八事件は中華民国・国民党にとっては実に都合が悪い事件であったため、長いこと市民が話題にすることは出来なかった。実際、あの事件は「台湾大虐殺」と呼ばれることもあるそうだ。
今、台北市民の憩いの場であり、早朝、市民が太極拳や体操をする広大な二二八和平公園は、1996年2月28日、当時の陳水扁台北市長(後に中華民国総統)が二・二八事件で犠牲となった台湾住民を追悼する二二八和平紀念碑を建立し、公園の名称を二二八和平紀念公園に改めたのだった。
そして、日本人ですら26年前の天安門事件と言ってもよく知らない若者がいるだろうが、支那ではこの言葉はご法度であって、インターネットでこの言葉を検索すると、すぐにネットが繋がらなくなるというのは周知の事実である。
天安門に集まった10万人の学生中心のデモ隊の約数千人が軍隊に殺害されたと言われるが、詳細は藪の中である。戦車の前に立つ青年の映像はかなり衝撃的だった。
支那がユネスコの世界記憶遺産に「南京事件」を申請して、登録されたというニュースが大きく報道されたが、西欧の宣教師が当時の南京市の人口を調べて、20万人だったという記録がありながら、日本軍は30万人を虐殺したと主張している。
終戦後、南京の人口は25万人に増えているが、20-30=25という矛盾は、実に支那っぽい笑い話である。
南京事件の前に起きた「通州事件」を日本人は詳しく知っておくべきだ。これこそ、ニュース解説の達人、池上彰先生に分かりやすい解説を週末のゴールデンタイムにお願いしたい。
通州事件を見ると、支那人の猟奇的な残虐性がよくわかる。当時の新聞記事や写真などの一次資料も数多く残っている。
為政者がコロコロ変わるたびに、歴史を書き換え、都合のいいように塗り替えてきたという人たちだからとは言え、我々とは違いすぎて、理解の度合いを過ぎている。
今、台北市民の憩いの場であり、早朝、市民が太極拳や体操をする広大な二二八和平公園は、1996年2月28日、当時の陳水扁台北市長(後に中華民国総統)が二・二八事件で犠牲となった台湾住民を追悼する二二八和平紀念碑を建立し、公園の名称を二二八和平紀念公園に改めたのだった。
そして、日本人ですら26年前の天安門事件と言ってもよく知らない若者がいるだろうが、支那ではこの言葉はご法度であって、インターネットでこの言葉を検索すると、すぐにネットが繋がらなくなるというのは周知の事実である。
天安門に集まった10万人の学生中心のデモ隊の約数千人が軍隊に殺害されたと言われるが、詳細は藪の中である。戦車の前に立つ青年の映像はかなり衝撃的だった。
支那がユネスコの世界記憶遺産に「南京事件」を申請して、登録されたというニュースが大きく報道されたが、西欧の宣教師が当時の南京市の人口を調べて、20万人だったという記録がありながら、日本軍は30万人を虐殺したと主張している。
終戦後、南京の人口は25万人に増えているが、20-30=25という矛盾は、実に支那っぽい笑い話である。
南京事件の前に起きた「通州事件」を日本人は詳しく知っておくべきだ。これこそ、ニュース解説の達人、池上彰先生に分かりやすい解説を週末のゴールデンタイムにお願いしたい。
通州事件を見ると、支那人の猟奇的な残虐性がよくわかる。当時の新聞記事や写真などの一次資料も数多く残っている。
為政者がコロコロ変わるたびに、歴史を書き換え、都合のいいように塗り替えてきたという人たちだからとは言え、我々とは違いすぎて、理解の度合いを過ぎている。