孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

幼稚園から英語って・・・

2016年07月10日 | 孫ネタ
久しぶりに初孫なっちゃんがやってきた。

相変わらずオモチャが詰まったバッグを背負ってやってきたが、その中身はいろんなゲームと共に、間違い探しの本や、カタカナの練習長などバッグはかなり膨らんでいた。

今日はガソリンを満タンにしてから、喫茶店に行って読書でもするつもりだったが、早朝にカミさんが、一言「今日なっちゃんとカナちゃんを見てて欲しいと電話があった。8時半に連れて来るって・・。」と言ってきた。

短い一言であったが、これは後に、「・・・だから、家にいて一緒に孫の面倒を見てくれよ。どこにも出掛けないでくれよ。」という主旨が省略されているのだった。

久しぶりのなっちゃんは、何だか照れくさそうに入ってきて、挨拶もそこそこにまちがい探しの本を取り出して、「おばあちゃん、これやろう。」と誘ってまちがいを探し始めた。

私は、朝刊を取ってそっと部屋に戻り、新聞に目を通すことにした。

暫くして、階下から「おじいちゃん!オセロしよう!!」と声がした。これは、カミさんに『おじいちゃんを呼べ』とそそのかされたに決っている。

私は、返事をして階下に下り、なっちゃんとオセロをした。私の大勝に不満げななっちゃんは、「今度は折り紙にする?」と言って、バッグから折り紙入りのケースを取り出してきた。新作折り紙の教則本も入っていて、私は初めて目にする作品の折り方が色々載っていた。



「かえる」とか、「人の顔」とかいくつかを一緒に折ってから、今度は折り紙の裏側にひらがなの練習をするといって、『あいうえお・・』と書き始めた。

去年だったか、5歳になったから何か習い事でもと言って、幼稚園の帰りに「公文の教室」のお試し教室に行ったそうだ。

試しにひらがなのプリントを渡されて、間違えたところを赤鉛筆で添削するという流れを説明しようとした教室の担当者が、教室に入ってから出るまでの20分くらいの間、のべつまくなし喋り続けるなっちゃんと、ひらがなをすべて自分で書いて見せた出来栄えをみて、「なっちゃんには教えることがないわネエ。」と笑いながら呟いた、とお母さんが教えてくれた。



午後になってかなり暑くなってきたので、私はなっちゃんを連れて近くのスーパーマーケットまでアイスを買いに出かけた。

なっちゃんは、私の車がマニュアルシフトなのに興味があって、シフトレバーを指差し「この「R」は何?」と聞いてきた。

「ほう、R(アール)が読めるのか・・・。」と感心しながら、「それはバックするときそこにレバーをセットするんだよ。だからバックのことだよ。」と教えた。

すると、なっちゃんは、「バックじゃないよ、バァーックだよ。」と言うではないか。
なっちゃんのその言い方に私は驚いて、どこでそれを習ったのか、誰が教えてくれたのかすかさず聞いてみた。
バァーック
「ケビンさんだよ。みんなでダンスしながら、バァーック、バァーックって言ってた。」どうも、幼稚園に時々やってきて英語を教えているケビンという名の外国人がいるようだ。

世間は幼児英語教育が益々過熱気味で、店先に置かれた就活のフリーペーパーをパラパラめくると、子供向け英語教室の管理担当者の募集がいくつも出ている。条件の欄に、「英語の知識や資格は問いません」などと書かれている。

英語教育の低年齢化は文部科学省の犯した世紀の愚策であると思う。

子を持つ親は、幼稚園から帰ってきた我が子が、「バァーック!」などと言えば、「おう!外人みたいだ!」と言って感動するのかもしれない。英語にコンプレックスの強い親ほどその傾向がある。

しかし、子供のときに力を注ぐべきはまず、母国語である。英訳にしろ和訳にしろやってみればよく分かるが、その訳文の良し悪しは、日本語の感性に係ってくるのである。

なっちゃんは、今のところ英語教室などには通っていないようだが、この先は親私大だと思う。孫の教育に口を挟むつもりは毛頭ないが、これは孫だけでなく国柄に関わる大切な問題であると私は危惧している。

なっちゃんたちは、おばあちゃんが用意した、スイカだとか野菜などいろいろなお土産を車に積んで、元気に「またねぇ~、バイバイと帰っていった。

いつものように、私とカミさんは「ふぅ~~っ」とため息をつくのであった。


コメントを投稿