孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

したたかな国、英国

2015年11月10日 | 日記
アメリカで赤っ恥をかいた支那の豚さんが、今度は英国に出向いて女王陛下と食事を共にし、宮殿に泊まってどうのこうの・・とついこの間報道されていた。

中国製の高速鉄道や原発が実際に英国に造られるのか、どんな結末になるのか、インドネシアと共に今後の楽しみになった。

一体英国はどうしちゃったのか・・・と首をかしげていると、ロシアの旅客機が墜落して乗客全員が亡くなった。その時、これはテロだと声をあげたのは、ロシアでもエジプトでもない、英国だった。

なんで?英国が?

と思ったが、きっと中東の魑魅魍魎たちに英国も関与しているのだろう。何せ007の国である。世界中に散らばっている諜報部員たちが、何か情報を得ていたとしか考えられない。

諜報機関を持たない日本のような国は、こういうニュースをつなぎ合わせて想像力を働かせるしかないところが悲しい。

そして、先週末は昔のビルマ、今のミャンマーの選挙のことを盛んに報道していた。これには、また英国が深く絡んでいる。

ビルマはもともとインドと同じ、英国の植民地であった。ビルマ人は奴隷同様の最下等に置かれ、山岳民族やインド人を使った分割統治で、搾取の限りを尽くしてきた歴史がある。

大東亜戦争で、日本軍が英国を蹴散らしたがその時、日本軍に協力したビルマ人、オンサンは、その後日本の戦争敗色濃厚となるや、「すみません、やっぱり英国側に付きます。」と言って寝返ったが、ビルマの独立は追及した結果、英連邦に入らない「ビルマ連邦」として独立することは実現した。

しかし、戦後英国が去る際に暗殺を装って、オンサンは他の仲間達と共に英国に殺されることになったわけだ。

しかし、資源が豊富なビルマを、英国がそうやすやすと手放すはずがない。

当時駐インド大使だったオンサンの妻、キン・チーとの間に儲けた、インドで学ぶ学生だった三女のスー・チーを英国に連れて行き、オックスフォード大学で学ばせ、卒業するや英国人男性と結婚するよう持って行った。

その彼女が、オンサン・スーチー、また発音の仕方ではアウンサン・スーチーで、ミャンマーの民主化のリーダーに仕立てられ、ノーベル平和賞まで受賞した。

選挙は大勝した。しかし、現行憲法下では、子供が英国籍の彼女は大統領には就けない。就けないが、彼女は「私は大統領より上になる。」とミャンマーの独裁者になる宣言をしていたのは、皮肉な光景であった。

英国の傀儡として、あの親日国をどうするおつもりなのか・・・。ミャンマーの国民は
冷静に判断した方がいい。

それにしても、アングロサクソンはしたたかである。


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