孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

カタカナ言葉にご用心

2015年02月10日 | 日記
世はカタカナ言葉で溢れています。面白いことに、わざわざカタカナで言う必要も無いのに、わざわざカタカナで言うところは、何か胡散臭さを漂わせていませんか?

もともと我々の祖先は外来語を巧みに翻訳しあたかも昔からあった言葉のように使いこなしてきました。漢字の本場の中国からもたくさんの留学生が日本に来て、母国にそれらの翻訳後を持ち帰ったため、今の中国人たちはそれとは知らずに、普通に使っているのだそうです。

よく言われるのが、国名である、「中華人民共和国」の中の、「中華」以外は全部日本人が外来語を翻訳した言葉だそうです。つまり、当時はpeople とか republic とかいう概念を表す日本語は存在しなかったため、新たにそれぞれ「人民」とか「共和国」とかいった言葉を作って翻訳語としたわけです。他にも、「経済」、「文化」、「社会主義」、「法律」、「宗教」などたくさんあります。

自然科学に関する翻訳語はたくさんあって、このためにわざわざ外国に留学しなくとも、日本人は国内で研究が可能となり、このため自然科学の分野で外国に遅れをとることはなかったようです。ノーベル賞受賞者が多いのも納得できます。

映画の名前も昔は、なかなか凝った翻訳がされていて、私が大好きなタイトルは、「俺たちに明日はない」で、原題は「Bonnie and Clyde」(ボニーとクライド)です。最近の洋画は、こういう名訳は少なくなって、やたらとカタカナでごまかしているような気がします。やはり昔は映画が花形産業でしたから、才能のある人がどんどん集まってきたようですから、無理もないことでしょうか。

それよりも、これは前にもブログに書きましたが、日本人の外国コンプレックスがカタカナを敢えて使いたがる、使わせたがるという所に起因してるのではないかと私は感じています。運動選手を「アスリート」と言ったり、「ジャーナリスト」がやたらと登場したり、テレビの通販を見ると、健康食品にはカタカナが氾濫しています。「コンドロイチン」、「コラーゲン」、「グルコサミン」・・・

私は、カタカナを連発する人はまず信用しないようにしています。胡散臭さが漂っていて、私の体中の警報が鳴り響くのです。


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