孫ふたり、還暦過ぎたら、五十肩

最近、妻や愚息たちから「もう、その話前に聞いたよ。」って言われる回数が増えてきました。ブログを始めようと思った動機です。

塩分不足が熱中症を?

2017年05月13日 | グルメ
私がこれまで常識であると思っていたことが、実は大した根拠もないデマであったり、あるいは単なる非科学的なウワサであると分って、落胆することが多い。

これも、インターネットの恩恵で、いかにマスコミがただの扇動家のような存在であったか、あるいは企業の言い成りになっていたかが明白になるのだが、当事者たちはたとえ口先で謝罪したとしても、影ではぺロッと舌を出して肩をすぼめるだけのことだ。

どういうことかというと、その分野はもう様々で、一つ一つ挙げていったらキリがない。

ほんの一例を挙げれば、社会科で習う縄文時代・弥生時代の暮らしなどである。考えてみれば、そんな昔のことに時間を費やすより、幕末から近代の歴史をもう少し丁寧に教えるべきなのだろうが、学校の社会科では、このあたりに力を入れ過ぎていたような気もする。

つまり、縄の模様の土器を使用していた縄文時代は、狩猟・採集の暮らしで、その後に支那大陸や朝鮮半島から米作りの技術が伝わってきて、人々の暮らしが大きく変化した。土器も薄くなり、食生活も安定して人口も増えていったのが、弥生時代である。

今の学校ではどう習っているのか知らないが、科学の進歩で植物遺伝学とか分子生物学などが発達して、今では米ならばDNA解析により、日本のどの地域で採れた米なのか、あるいは原産地はどこの米なのかまでが解析可能である。

米作りというと、すぐに水田を思い浮かべるが、縄文土器に米粒がこびりついていることも発見されている。稲はガラス質の「プラントオパール」という細胞で覆われていて、この物質は稲が腐食しても焼かれても残留する。

これを解析すると、東南アジアで広く栽培されていた熱帯ジャポニカという品種の米だと分る。これは畑作や焼畑で作られていた品種で、大陸や半島には分布していない。

つまり、縄文時代に日本の九州あたりでは南から海上ルートで畑作の米が栽培され、縄文人たちもお米を食べていたことが分る。

ほんの一例を挙げただけだが、この古代日本の成り立ちを勉強し始めると、この他にも様々なことが最新科学の解析方法で明らかになっていき、興味が尽きる事はない。

よく、南朝鮮の人が技術や文化のほとんどは半島経由で日本に伝わっていったのであり、自分たちのお陰で今の日本があるのだ、と言いたげに調子に乗って嘘八百を並べ立てるが、こういうのも事実を暴くのがかわいそうなくらい、出鱈目のオンパレードだ。


塩分の採り過ぎは健康に良くないと言われて、今や厚生省がいう塩分摂取量は一日に6グラム以下となっている。そうなると製造業者は、こぞって減塩食品を作り始め、減塩醤油から減塩味噌、更には減塩梅干や減塩たくあんなどがスーパーで売られる始末だ。

保存食のはずが、開封後は冷蔵庫に入れて。速やかに食べ終えろ、などという表示をみると、先ごろ他界した阿藤快敵ならずとも、『なんだかな~~』と言いたくなる。

そもそも人間の体の7割は水分で、これは生理的食塩水といって、0.09%の濃度の食塩水なのだそうだ。点滴などでも使用される生理食塩水は、水1リットルに塩9グラムを溶かせば作ることができる。

健康な人は、おしっこや汗として一日に大体2リットル以上は対外にこの水分を出している。もちろん暑い日や、運動をすればこれ以上になるわけだ。

私が中学で運動部に入ってしごかれた時代は、喉がからからに渇いても水は飲むなと強く言われたものだった。しかし、今では渇きを覚える前に水を飲め、水分を補給しろと指導するそうだ。

さて、普通に生活していても人間の体からは、約2リットルの生理食塩水が対外に排出するということは、9x2=18グラムの塩分が対外に出てしまうということだ。

厚生省は、塩分は一日に6グラム以下だけ摂るようにと勧める。

この事実に疑問を感じない人は、すでに認知機能がいかれた人だろう。すぐに病院に行って薬をもらった方がいい。

人間の体は、気温が上がる春先や、運動をして体温が上がると、汗を出してその気化熱で持って体温を下げようとするようにできている。しかし、人間の体の司令塔である脳味噌は、塩分が体には欠かせないものだと心得ている。

そこで脳味噌は、汗で塩分が対外に出すぎることを抑制して少々暑くても汗を出さないよう調整し始める。汗が出ないと体温は上昇していき、いわゆる『熱中症』になってしまうわけだ。最近は、夏になると毎日のように熱中症のニュースが報じられる。

ここで私はふたたび、『なんだかな~~』と言いたくなるのである。

一口に塩分と言っても、それは塩化ナトリウムのことで、食卓に置かれた『食卓塩』という精製塩は、99%がこの塩化ナトリウムで1%は湿気で詰まってしまうのを防ぐために炭酸マグネシウムという物質を混ぜている。

 よくある精製塩

実はこの食卓塩が曲者で、砂糖に対して人口甘味料があるように、昔から日本人が使ってきた塩に対して人工的に作ったしょっぱいだけの化合物が安価な精製塩なのである。

海水から作る荒塩(粗塩)と何が異なるかというと、その成分である。アラ塩には、塩化ナトリウムは80~90%で、子の他に塩化マグネシウム、カルシウム、カリウムなどのミネラルと呼ばれる物質で出来ている。このミネラルが人間の体には重要なのである。

 アラ塩(見本1)

 アラ塩(見本2)

手間ひまかけて作るだけに、単価は食卓塩に比べて高いのだが、試してみる価値は極めて高いし、もしかすると病みつきになるかもしれない。人によっては替えた途端に、便秘がスーっと解消されるそうだ。

私も最近それまで医者に言われるがままに飲み続けていた薬を、思うことあってピタッと止めたので、利尿効果のあるカリウムを食品から摂取しようと、玉露に凝り始めたところだった。

しかし、粗塩には商品によってカリウムの含有量が非常に多いものがあり、大喜びしている。

だからと言って、何でもかんでも粗塩を使いまくればいいってモンじゃないことは、改めて言うまでもないことでしょう。



処方箋を丸めてポイッ!

2017年05月13日 | 趣味の世界
父が他界して4年になるが、最期の1年間は見ている方が辛くなるほど、瘠せていって点滴の針が刺せないといって看護婦さんも苦労していた。

特別養護老人施設にお世話になっていたのだが、食欲が無くなってきて、熱が出てきたので病院に連れて行くようにとの、担当医の指示があった。ついては家族の方も同行して欲しいという連絡があって、近くの総合病院で落ち合って医師の診断を聴いた。

その医師は、父の体をほとんど一瞥しただけで、「入院してください」と言ったのだった。

それから、一月ほどしてもう退院できると言われたが、老人施設には戻れず、さりとて自宅では介護できず困っていると、その総合病院に併設された老人施設病棟に空きが出そうだということで、そこに入れてもらうことに決った。

ドラッグストアに出向いて、いわれた通りの物を用意して、ヤレヤレと思ってからほんの数日後にそこから電話があり、容態が急変したから至急来てくれとのことだった。

大急ぎで施設まで出向くと、担当のご婦人が来て、「先ほど見回ったら、息を引き取った後だった・・・」と呟いた。「えっ?オヤジ死んじゃったんですか?」と驚いて問い質すと、「最初見たときは、まさかこうなるとは思わなかったんですが・・・」と言うだけだった。

遅れて、担当医がやってきて、能面のような顔で「○時○分、心不全ですね。」とだけ言ってから、一礼して立ち去った。

老人施設にいた時も、何度か総合病院に診察に行き、そこで入院して治療し、また別の老人施設に厄介になるということを繰り返した晩年だったが、その度に衰弱していき、とうとう残っていた体力を使いきってしまったというところだろう。

そういうオヤジの晩年を見てきた私は、自分は絶対にこういう最期を迎えたくは無いと、心に誓ったものだった。



私は当時から、医療制度や医者という職業の人たちに強い胡散臭さを感じていて、特にオヤジのような老人に対する医者たちの所作から受ける悪印象が、むしろトラウマになって私の中で増殖していったのかも知れない。

昨年後半に勤め先の健康診断結果で、心房細動なので至急精密検査を受けなければならなくなった。すぐにその通りにして、その結果主治医の診断で、『血液をサラサラにする薬」を飲み続けることになった。

その際、私はその病院では一番権威があるという主治医に「この薬を飲むことで、私の血液がサラサラになってきたと判断する指標は、この血液検査結果のどの値を見て判断すればよろしいのでしょうか?」と確認した。

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それは、単純に私が抱いた疑問で、鎮痛剤なら痛みが取れるから効果が分る。血圧降下剤にしても、血糖値にしても、私は自分で測定できるツールを持っている。

今後死ぬまで飲み続けることになるという、その薬の効果はどう見るのか?というのが私の素朴な疑問だった。

「それは分らないですね。」というのが主治医の答えだった。「でもこの薬は効果がありますよ。」と彼は付け加えた。「じゃあ、私は効果を確認できないけど、とにかく飲み続けるわけですね?」と聞くと、「いや、効果はありますよ。」と言うのだった。

降圧剤の処方箋を出してもらうため、毎月一回通院している近所の町医者にこのことを告げると、「確かに血液検査では確認できませんねえ。」と言って、「でも、その薬は効果があると思いますよ。」と同じようなことを繰り返すのだった。


その町医者に先月も処方箋をもらいに行った。

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待合室にある血圧測定器で血圧測定をして、その結果が印刷された紙切れを看護婦に渡した。私の血圧はたいてい下が95~105で、上は145~160辺りであった。

いつもの通り、ヨレヨレの高齢者たちに混じって待合室で40分ほど待ってから、名前を呼ばれ、診察室に入って、ほんの2分間程度の診察を終えるのであった。

しかし、その日に限って、中年に入りかかったくらいの青年医師は、私の血圧の測定結果を一瞥して、「血圧が高いですネエ!」と言った。「そうですか?いつもこんなもんだったじゃないですか、今までも」と私。

「いや基準は130未満ですからね。」と言う彼に、「血圧って年齢が増えれば高くなっていくものなんじゃないですか?」と私は反論してみると、「それは健康な人の場合ですからね。」と青年医師。

その日の血圧が特別高いわけでもなかったのに、なぜ医師はその日に限って、血圧結果に固執したのか理解できないまま、2分間の診察を終えて、料金を払い薬の処方箋を受け取った私は、すぐ隣にある調剤薬局に向かった。

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歩いている途中、私はその時の自分の姿が無性に嫌になった。

元はと言えば、自分の不摂生が原因の不健康なのだろうが、なんだか納得がいかない医療制度に盲従して、飲みたくも無い薬、しかも効果があるのかないのか、副作用があるのかないのか、分からないことだらけのことをさせられているようなのが嫌になった。

私は手にしていた処方箋を両手で細かく破ってから、クルクルと丸めて固めてズボンのポケットに詰め込んだ。

今まで飲み続けた薬とは、その日でおさらばすることに決めたのだった。

さあ、この結果私は早死にすることになるのだろうか?

家に着いてから、「お薬手帳」とやらも、鋏で粉みじんに切り刻んでから、ゴミ箱にポイしてやった。それに用のなくなった町医者の診察券も鋏で切り刻んでゴミ箱にポイした。こういうのを、「退路を断った」というのだろうか?

まあ、何でもいい。良かれ悪しかれ、薬漬けの生活とはおさらばじゃ。


さすがの、菅さん!

2017年05月13日 | 政治ネタ
本田技研の創業者、本田宗一郎にまつわるエピソードはいろいろある。
その真偽はともかく、どれも面白いが、私が好きなのは本田が工場を、三重県鈴鹿市に建設することになった時のエピソードである。

鈴鹿市側から本田市とする市名変更の申し出をされたが、宗一郎は「伝統ある地名を個人名に変えるなんてとんでもない」と丁重に断ったのは有名な話で、愛知県のライバルメーカーとの対比で見ると、実に「らしくて」私は好きだ。

本田技研の成長の過程で欠かすことの出来ない存在が、経営を担当した藤沢武夫であった。「名番頭」と検索すれば、この人の名前が出てくるほど、世に知れた仲であり、特に宗一郎と揃って引退した時の決断と、その爽やかさは、実に見事であった。

今、「名番頭」あるいは「名参謀」というと、私は真っ先にこの方を挙げたいと常々考えていた。安倍総理の支持率の高さは、この人あってのもの、と言っても言い過ぎではないかもしれない。

昨日の内閣官房長官・定例記者会見でのこと。

手を挙げたフリーランスの女性記者を菅官房長官が指名した。

  左は手話通訳者

菅長官は、いつもの通り、機嫌がいいのか悪いのかよく分らない表情で、女性記者の質問に耳を傾けていた。

その質問とは、「昨日、ベストマザー賞のプレゼンテーターとして出席した、民進党代表のレンホー氏が、子育てについて『ありがとうとごめんなさいを言わせるように、それが重要だ。』と発言していました。・・

・・・菅長官にもお子さんがいらっしゃると思いますが、子育てについては何が重要だと思いますか?」

質問を聞いた菅長官は、小さく小首をかしげてから、、、

  約0.8秒小首をかしげ



眼が開いているのか閉じているのかよく分らない、いつもの飄々とした表情と語り口でこう即答したのだった。




「あのう、私はね、嘘をついちゃダメだと、ずうっと言ってましたね。」



 山田く~~ん!


解説するまでも無いだろう。会見の席上にいた人だけでなく、この中継を観た人は誰もが「あの顔」を思い浮かべて、声には出さずとも「うまい!!」と心の中で叫んだに違いない。

常々、彼女には「ハキハキと嘘をつく馬の骨」というレッテル貼りをしている私などは、これを観た時、自分の右ひざを叩き過ぎて少し腫れてしまった。

 国籍はどうなった?

地上波のテレビ局は、こういう胸のすく会見を国民に伝えて、少しは日本を明るくして欲しいものである。